死者からの伝言

稲刈りをしている。毎日暑くて、一人田んぼでムシムシとやっている。例年になくきれいに仕上がっているのが有り難い。ウンカやカメムシもない。暑すぎたので虫たちも参ったんだろうね。「風力発電被害」と検索するとたくさんのニセモノ情報で溢れていた。環境省の被害否定はもう誰もが知っている。いつもの環境運動家は、それでも国の権力に縋り付くようにして「よく読んでみろ」とほくそ笑む。

権力の手先になって、弱者となった被害者をイジメるのが面白いのだ。自ら積極的に被害者叩きをしているから、被害者側からするとすぐにその異常さを感じる。水俣でも福島でも同じやり方だ。被害者は過酷な弾圧を受けて苦しむしかない。逃げ出すとかな。私にも何度となく、その地を離れろ、とアドバイスする人がいた。

善意か悪意か、うまいこと言うからどちらとも分からない。谷口愛子さんはいったん畑地区の自宅を出て、東京で暮らしていた。それが、いつの間にか舞い戻ってきて、ブスッ、とした顔を見せる。以前のように名店を見つけては食事に行ったり、ということはもうなかった。性格の変化やね。私も変わっていたと思う。

人物破壊、引きはがし、コテンパンにやられましたから。谷口さんの実家は、風車の立つ山の北側で、やはり低周波被害に苦しむ人がいた。しかしそこは封建的な閉ざされた集落で、個人が自由にものを言える環境ではないという。畑地区がそうじゃないか、と私は言った。「アンタには分からんことや」と話を締めくくる。

私は駅前アパートの管理人をしている。それでふと気が付いたのだ。東荘アパートに息子夫婦と暮らすんだと言って出て行った人がいた。しかしすぐに戻ってきて、アパートで自由に暮らす方がええ、と言ったものさ。共同住宅はいろんな人が住んでいて、自由な雰囲気でゆるい交流がある。多少のトラブルはあったとしても、聞き役の管理人を捕まえては世間話の相手をする。

あちこちに部屋が空いているから、別の部屋に行ったりね。ほとんど生活感のない人とか。百姓仕事しながら、年寄りの顔を見ている。楽な商売はない。「風車騒音が心配だ」というサイトが多い。今さら何を書いているのかと思う。各地のエセ反対は、初めから目的をもっているから言葉のすり替えばかりよ。なかには学者風なのがいてよく書けている。

被害の核心が抜けているんやね。発電効率とか、地域振興とか、地産地消とか、風力発電を前提にして論じているのだ。【反対】と言っても、その中身はスカスカな文章になっている。とうにその地域には低周波音の被害に苦しむ人がいるでしょう。地域対策で社会は破壊されてボロボロに崩れ去っているでしょう。

いや、もともとが空っぽな人でしかなかったのだろう。由良町で、イヤというほど見て来たよ。被害に苦しみながら、役場に訴えた人たち。近所の人に依頼したけど、ないがしろにされて終わった人。弾圧虐待のターゲットにされて苦しむ人。そりゃぁ、泣き叫ぶわな。人々はそれを見て笑って喜んだのだよ。アホよらとな。

社会操作はこんなにも簡単なことやった。水俣の本には、こんな事実がこれでもかと書かれてあるやないか。だから言ったらアカンのや。今も風土とはいえ、過酷な弾圧差別があるという。凄まじい被害に、去年、ジョニーデップの『MINAMATA』が公開されたけど日本人には何のことか分からない。それが「水俣病」なのだよ。

世界で水銀汚染があると、どこでも「水俣病」というでしょ。水銀病じゃない。人災の代名詞となっている。チッソ、バンザイ。環境省のアホ。全国でこれだけの風力被害を見ながら、どこにも「Stop wind turbines」の言葉がない。これが各地に張り付いた環境運動家の答えだ。スパイ工作員でしかない実態を見ただろう。

実は、h24年、最初から、ジャーナリストたちが来て、「あの人たちはいったい何者で、何を目的にしているのか、そのことを知ることが先決でしょ」と聞かされていた。知っていたよ。ジャーナリストたちは各地の風力被害を視察しながら、共通した暗闇の仕掛けを見たのだ。被害者が苦しみながら死ぬ。そのことだけでダメなはずが、因果関係がないと切って捨てる。

被害者が、「私たちは風力発電には反対ではありません」と言うようになる。その被害者は、すっかり環境運動家に変身していたのだ。彼は谷口愛子さんとも仲良くなり、風力被害を否定して行政に協力していると言っていた。「由良さん、アンタ一人何を可笑しなこと言ってるのや。私たちは役場に協力してるんやで」と言うのだった。

狂気、転落、自己否定、低周波音は頭をやられるからね。性格が奇妙に変わっていく。カルト宗教の信者が、頭に白いバンドを取り付けて電線で刺激していたでしょ。ああいった狂気に陥るのだよ。谷口さんはフルフェイスのヘルメットをかぶって寝ていたでしょ。指示する悪党がいる。被害者つぶしが面白い。遠藤周作の『沈黙』にもそんな場面がありましたな。

藁蓑に火をつけて火踊りをさせて殺す。あるいは反響壺に逆さ釣りして精神を殺す。日本伝統のの残酷よ。それが風力発電の弾圧政策だ。被害を訴えるものは精神疾患のものである。その精神が弾圧の正体だ。由良町で見た被害者の惨殺は、見るに堪えなかった。それを人々は「面白い」と声にしてからかいに来る。

どうしてそんなことができるんだろうか。これも低周波音による精神の高揚感が原因か。彼らの顔は鬼瓦のように、面を付けているようだったで。たまたま谷口さんはたくさんの記事を書いて残した。誰も関心を寄せないね。各地のエセ反対では「土砂崩れだ」と言っているでしょ。堂々と風力被害を否定して、土木工事が必要だと言うのだよ。

いったい、どこに土砂崩れがあるんだろうね。「心配だ」の心理トリックが日本人にはどうしても分からない。それだけ中身のないアホでしかなかったことが分かるじゃないか。日本人はIphoneをもっても検索しないからね。天気予報と時間を見るだけかい。ローマ字も分からない。ましてやアルファベットなんて理解が及ばない。

由良町は特別にアホなのか。いや、各地の風力被害地でも同じような状態にあることは皆さんの見ている通りだよ。ナニも考えない人々の群れを見ている。人間的には、かなり低い群集心理にある。もう間もなくやな。何かが始まる。

Wind Turbine Syndrome – Kythira Wind Turbines Information(kythira-windturbines.com)
https://kythira-windturbines.com/el/wind-turbine-syndrome/