風力被害の否定と、洗脳工作と

由良町の風力被害を見て分かる通り、人々は全く抵抗しないし、積極的に弾圧政策を望んでいる。被害者がいて苦しんでいるのが面白くてならないのだ。最初から、まったくそうだった訳じゃないけど、いつの間にか、急速に被害者は否定されて迫害の対象となっていた。笑いものよ。この辺の社会心理は見事に操作されていたと見えるし、それを支持する人ばかりになっていた。

もともと地域には悪い人がいて、普段なら「気を付けとこ」とピンとくるものだが、行政や政治の権力が後ろ盾になってカバーした。社会政策として被害者を弾圧したのだ。悪党は小躍りして喜ぶわな。もともとが悪意の塊のような人だから、悪事、犯罪は大のお得意さ。私は、これでもかと毒気をぶち当てられたよ。

これまで聞いていた通り、さすが噂通りやなと感心した。彼ら悪党は自己実現に喜んでいたんだよ。とても幸せそうな彼らの正体を見る。ところが世間一般の人も、実に同じような態度を見せるのだった。百姓をやっていたら水引とか、共同作業がある。昔は田植え前には酒の飲み会をして、あらかじめ仲良しを演出する。

水の取り合いになるからね。二か月に一度、庚申講をやって念仏を唱えていたものだよ。そんな昔の社会の仕掛けか残っていたとしても、今回の風力被害に立ち向かえたかどうか。私は60年前の子供の頃からの社会の有様を信じていた。ヘンな人はもちろんいたけれど、それなりに枠組みにあった。

祖母が国防婦人会の会長さんだったので、昭和30年代はまだ、戦後を引きずっていた。手や足をなくした軍人さんがあちこちで乞食をしていたやないか。思いやり、と言うのか、共感めいたものが漂っていた。それが60年経つと、被害者に対する憎しみと嫌悪かい。人々の胸の内にはどんな変化があったんだろうね。

地球温暖化という陰険巧妙な宣伝工作か。「明日では間に合わない」とか言うフレーズの恐ろしさよ。国を挙げて再エネ政策を実行する。由良町では、風もないのに風車が回っている。誰も可笑しいとは思わんのやね。肌感覚があるだろうに。こんな微々たる風で風力発電になるんだろうか、とな。

それと風力発電の低周波音による健康被害だ。深刻な被害があることは最初から人々には情報として知れ渡っていた。これも、どこから?、と知れない口伝に広がっていたことを聞いている。私は、日高町のゴミ捨て場にあった、東伊豆町の風力被害を伝える資料をもって来てくれた人がいて、それからインターネットで検索して見るようになったのだ。

因みにその人は後日、風力被害はない、とヒステリックに叫んでいた。何かあったらしい。同じような経験をその後に何人も見ているからね。東伊豆町の被害資料と、由良町で囁かれていた風力被害者と、同時期だった。地域には私よりも情報に敏感な人がいた。私を全員で拒否する場面も、アッ、という間だったよ。分裂を図る。

引き剥がし、孤立化、一瞬で実行されていたんだよ。地域対策の恐ろしさ、面白さよな。私の両親、祖父母はとても大人しい善人だったと思っている。旧家だから多少の無理があったようだけど、世間の義理は欠かないし、働き者で通したんだよ。h27年に親父が亡くなるまで随分と支えてもらった。

親父の友達からもたくさんの情報を貰った。地域はボロボロに崩壊していたよ。地域社会は、こんなにして破壊されてしまうんやね。これまでは、人は無理してまで努力してのどかな社会を維持していたんだろうか。いい年して、50歳を過ぎて、子供時代が終わっていることを見た。風力発電のイデオロギーとは、社会の破壊であった。

これも最初から何度も言われていたよな。私は気づくのが遅かった。社会の健全性、人々の憎しみ、社会生活の機能不全、谷口愛子さんの書き残した文章を見るとよく分かるで。私はあのたくさんの日記ノートを見ていない。フルフェイスのヘルメットと共に、いかに地獄を見たことかと思うのだ。

ヘルメットをかぶったからと言って、低周波被害が楽になるわけじゃない。それでもそんな出来るだけの抵抗をして試していたのだ。人々はそれを見て笑った。それが私にも辛かった。前ページには印南町や日高川町の風力計画の様子を書いた。三井造船由良工場の施工とあるから、由良町と同じやり方で地獄の対策が行われている。

誰に聞いても「土砂災害だ」と言っている。低周波音の被害者はない。h24年から関わっているから、彼らだって骨身にしみている。太平洋戦争みたいに止められない。いや、彼らには風力発電が必要なのだ。「風力はワイらのもんや、オマエラ関係ない」と怒られる。東北や北海道では、風力発電地域の人々はとても嬉しそうに笑っているからね。

先日、彼らと同じ御用学者を招いて盛況だったらしい。カルトにしか見えんで。洗脳、というより、家畜化、収容所生活、ゾンビの風景を見る。すっかり頭をやられている。彼らは私を否定する。完璧だね。しかしなぁ、その風景を第三者、例えばヨーロッパやアメリカの風力被害者たちが見たら、NO、と言うだろう。

CRAZY.日本で風力発電の低周波音被害を訴えるのは私一人になっている。いろんな意見を評論家のようにしゃべる人がいるけど、何が悪いのか、他人ごとなんだよ。土木工事が目的かい。言葉のすり替えかい。いったい何を言いたいんや。と私はその人の無責任を見透かしている。ただの環境運動家。摺り込まれたスローガンを繰り返すだけのお花畑。

実はこれも風力戦略の一環なのだ。本人には自己実現で胸いっぱいになっている。由良町の悪党と、そう変わらない。どこにでもいるでしょ。ディストピア。倒錯の深化かい。風力被害地の暗闇は、ますます糞まみれ、悪臭に覆われていく。結局、人災なんだよ。破滅政策やな。その次が待ち遠しい。