風力発電に反対だと言いながら、

このページでは、由良町で引き起こされた風力発電の低周波音による被害の実態を書き記してきた。以前には、東伊豆町や南伊豆町などの人が、風力被害と社会への警告を書き綴っていた。市民運動に盛り上げたいような、しかしボロクソに潰されていたのは見ての通りだ。「私たちは風力発電には反対ではありません」というようになっていた。

なんと被害者が風力推進に賛成だ、協力します、というんだから話にならんわな。低周波被害者の会の窪田泰さんはカンカンになって怒っていた。ウソつきばかりだと。現地の人に、誰かマトモな人はいなかったのか。それを言うと、では、由良町はどうなのさ、と笑われそうだ。添付記事は愛知県の例だが、他にもこの地域には悲惨な被害者たちがいた。

今はどうしているんだろう。愛媛県にも山口県にも、全国至る所で風力被害者がうめき声をあげては消されていく。やがて被害者対策のマニュアルがあって、行政、政治、警察が一体となって弾圧体制を固めていることが分かる。自然保護団体などの環境運動家が権力を嵩にきて威張り散らかすはずだよ。ユダヤ人狩りみたいに容赦はしない。

谷口愛子さんみたいに、11人の友人知人が次々と自宅にやって来ては、由良さんがアイちゃんがキチガイになっていると言いふらしている、と伝えにくるようなもんよ。昔からよく知っている人たちだから、私はあの人たちを信じます、だってよ。最初は否定して笑い話にして驚いていたのにね。作り話か? パラノイア、偏執狂か。

あの時、谷口さんから電話があって、「どうしたんよ。何があったんよ」と怒っていた。さらに輪をかけて圧力を加えられたようだ。差別地域だった。相手になったらアカン。ほっといたらいいい。そう言われてきた。ところが、その時には私が低周波音の被害に参っていたのだ。彼ら被害者たちの話を聞いていたから、頬骨がこわばっていたし、首が引きつって回らない。

激痛に苦しんでいた。道を歩いているとバタンと倒れて気絶していた。土の匂いを嗅ぎながら、ふと目を覚ます。その繰り返しよ。最初の頃、6ケ月ほどはとくに苦しい症状が出るらしい。窪田泰さんには特にお世話になった。弾圧に身を震わせていたからね。もちろん私一人で立ち向かう。【鉄板の胸当てを当てて役場へ行け】。そう励まされていた。

町中の人が私を否定して笑っていた。被害者たちもだよ。畑地区には300人ほど、私の住む門前地区には400人が住んでいる。なかには学歴もあって、さぞや信頼できる大人役もいるだろうと思っていたんだよ。すっかり化けの皮が剥がれていた。私の勝手な幻想、思い込みだった。まともな人は誰もいなかったのだ。

いや、親父の友達がなんとか声をかけてくれていた。今、由良町の周囲では更なる風力計画があって、賛成だ、反対だとか言っているのを聞く。風力反対と言っても、土砂崩れが心配です、と言っているからウソなのは初めから分かっている。そう言って今の風車を建設してきたのだ。由良町と同じ三井造船由良工場が施工したことになっている。

悪意のカラクリがある。議員という闇の組織よ。私一人、よっぽど邪魔だったようだ。御坊市には地元紙が二つあって、どちらも行政のアピール紙だ。私に対する悪意は、作り話の弾圧記事の通りだ。彼らは恥ずかしくないんやね。それが私には魔法の世界を見ているようで面白かったかな。

この辺で、由良守應に見られるように、人種が違うんや、私は公家、武家なんや、と自覚するようになった。それまでは旧家だからとしか漠然としたものでしかなかったけど、先祖から伝わった遺伝子がこんな所で目を覚ます。都落ちの意味、これを雅というのか。周辺の人との違いをこれでもかと見た。最後の一人、生き残りだよ。

天然記念物だと思っている。家畜として黙って殺される。人間らしい思考は奪われている。ロボットの様な薄っぺらい人間になる。初めからそう言われていましたなぁ。ジャーナリストや環境運動家は、皆、知っていたんだよ。誰一人「止めろ」とは言わなかった。笑っていた。これが日本の現実だ。

由良町は当然として、周囲の印南町や日高川町などのエセ反対運動には吐き気がする。いったいどこに土砂崩れがあるんだ。オマエラは谷口さんらから直接風力被害の酷さを悲しみの声を聞いている。その上で笑いものにして土砂崩れと繰り返す。あの時も泣いていたで。「私は何を信じてよいのか分からない。もう無茶苦茶や」とな。

社会は、完全に崩壊していた。これも初めから指摘されてきた風力被害だ。海外の風力発電の反対記事を見るがよい。日本にはこんな記事はどこにもない。つまり新聞はとうに情報統制している。情報の遮断。都合の良い記事だけでコントロールする。家畜化だ。きらびやかな自然エネルギー、クリーンだ、グリーンだと繰り返す。

アホにされているのが分からんか。それにしても私の人望のなさよ。人物破壊とはいえ、社会とはこんなものでしかなかったことに面白がっている。いいもの見せてもらった。道徳も倫理も見せかけよ。幻想を信じて社会は成り立っている。学歴も家柄も職業も貧富もない。薄っぺらな人間感覚の日本を見る。

風力被害を通して、エライものを見てしまった。10年前の何も知らなかった頃が懐かしい。バカになり切って走って来たけれど、不運の結果もまた、奥が深くて感慨深い。年取ると分かることってありますな。誰もいないのかい。志士の活躍を待っているのや。