風力発電の発する低周波音には、分析図にすると倍音、高調波があって、特異なピークのあることが分かっている。環境省では、風力に卓越した成分はない、と断定している。被害自体を否定する。そして被害を訴える者は精神疾患のものと扱き下ろすのだ。国家権力による凄まじい人間否定なのに、不思議なことに日本人は誰も反応しないし、逆に喜んでいるのだ。私に関わったものが環境運動家という、スパイ工作員が多かったせいもある。
由良町は酷い風力地獄になっていて、有害な低周波音だけでなく、思想統制、恐怖政治にまで舞い上がっているのだ。町民はとても喜んでいるからね。電話して聞いてみたらよい。「風力の被害など聞いたこともない」と判で押した答えが返ってくる。由良町だけの事じゃないけどな。東伊豆町や、全国の風力被害地で同じセリフを聞く。風力祭りと言って、大勢集まって、幟旗立てて叫びながら行進するイベントもある。
ナチス運動、突撃隊みたいだ。日本でも昔、提灯行列とか言って、戦意高揚のために各地で行われた。社会が、国の在り方が、戦争一色になる。そんな古いパターンを繰り返す。私たちの脳裏に摺り込まれたプログラミングよ。誰も逆らえない、社会の方向性として風力運動は定着する。人々は、何も知らないんじゃないんだよ。被害者を弾圧する時、死んだとき、手を叩いて喜ぶからね。何か理由があるんでしょ。
お上に逆らう不届きな奴、全体主義、大衆となった特異な意思を、狂気を目の当たりに見る。とくに音の響きとして、バイオリンやピアノの音色と同じ効果がある。人の感情に影響する。だから余計に苦しむのだ。低周波音はインフラサウンドinfra-sound、 infra-sonicと英文にある。音の基盤。人の耳には聞こえないけど、効果がある。聞こえない音は人体に影響しないと断ずるのは日本の政府だけだ。
ここでも水俣の教訓がある。水銀があるのに、測ってもない、としていたことだ。世界中の笑われ者になっても、カエルの面にションベンだ。それが水俣の風土として定着する。差別が嬉しい。こんな面から由良町の風力被害を重ねてみる。風力の建てられる地域とは、住んでいる人も含めてそういうことなのだ。ほっとけ、相手になったらアカン、と言われていた。それほど特殊な社会の現実が露出する。
高度経済成長、バブル経済を経て、豊かさに慣れた今の時代においてさえ、人々の差別心は冴えわたる。差別言葉をささやき合う。私なんかはボロクソやで。つまりな、人間破壊して懲らしめて、村八分の見せしめにして殺す。今回は主催者がいた。役場、議員、環境運動家と、スターが勢ぞろいした。問題の大きさを取り違えてはならない、という。一流企業がやっているんや、被害などあるはずがない、と豪語する。
被害者の苦しみ狂いようが面白い。一時、由良町は喜びに沸いたのだ。なぜや❓ 社会とは、こんなにも脆いもので、人には憎しみしかなかったんかい。正義とか、哀れみの心はどこにもないんかい。じつに私一人であった。全国でも風力被害を言葉にするのは誰もないでしょ。「土砂崩れが心配です」とか言ってさ、笑わせるで。友エサ、鮎の友釣りみたいにして、地域の風力被害者を効率よく描き集める。
「考える会」の冷酷な非情な政策は、初めから全国展開されていた。仕組まれた罠だからね、哀れなものさ。人は簡単に心理操作されていた。有害な低周波音があっても、なくても、こんなに簡単に人が操られる。大学の心理学の講座でやっている以上の成果を見る。こんなにも日本人はアカンのや。誰一人として、「それは違う」と反抗しなかったからね。東伊豆町の風力被害はh18年、由良町はh23年、今も変わらず低周波被害に苦しみながら、誰一人として反抗することはなかったし、その気配も見せない。
プログラミングされているのだ。見れども見えず、聞けども聞こえず、ロボットにされていた。この言葉はh24年に来た環境運動家たちの漏らした感想だ。「すっかり出来上がっているなぁ」感心、感心、薄っぺらな人間性と、地に這う様な卑屈なものよ。嘲笑っていたんやね。私はまた、市民運動とか言って、ウルトラマンみたいに助けてくれるものと期待していたんだよ。真逆、正反対なトリックだった。支配の完成形を見ている。
私の出番はない。ただ、誰かがこの風力被害の真実を発信する必要がある。このままで良いはずがないだろう。かつて「黙殺の音」、「低周波被害者の会」として活躍した人たちがいた。私もその奇人の列に並ぶつもりだ。騙され、侮られ、無視されようとな、日本にもこんな人がいたんや、と自信を持って生きていく。なんと海外の風力反対が羨ましいやないか。日本だけ、親方日の丸としてやっていく。
個人の思いは関係ない。環境省を礼拝する人たちの卑しさを見たか。それは真実の否定、科学の拒否、カルト邪教の類いになっている。こうはなるまい。私は自由に世界常識を見ている。たとえ一人になってもな。