泥沼、囚人と化す。

添付のイラストに、LAWS、RULES、TAXES、TARGETS、SUBSIDIES(法律、規則、税金、標的、補助金)とある。ドロ沼の再エネ政策よ。FUKUSHIMA MAHNTは、福島の警告。今や世界用語だ。原発の殺人、と書いてある。今すぐエネルギーを変えろ、とさ。風力発電が壊れて人を殺している。イラストに描いてある通りだ。世界中、どこでも同じ被害がある。日本人は島国根性で、日本語しか使わない。

日本語だけで生活できるし、大学も、論文も、日本語だけで成り立っている。素晴らしいことだと思う。しかしその反面、外国のこと、様々な国があって、特徴のある言語が飛び交う、そんな国際社会の事は理解が出来ないでいる。ウクライナ戦争や、パレスティナの事なんか、誰にも分からんわな。私の所にイスラエルからいくつかのメールが来たけど、すべて断っている。パレスティナ人のモノもあって、どちらが、と判断できない。

ゴメン、としか言えない。日本人の狡さかな。それでも、ゴラン高原の風力反対を見たら、紛争にまでなって、現地の人はさぞや考え込んだことだろう。日本人とはまた違った反応を見せる。いかに風力が悪いものなのか、徹底しているで。日本人との差よな。由良町では、「なんで外国の事ばかり言うんですか❓」と言われている。私に対して、彼らは勝ち誇っているんだよ。優越感、どうだ、と私をやり込める。

アホ丸出しなのにさ、これまで風力被害者がいて苦しみ死んだことが嬉しくてならないのだ。何が悪いのか知らないんじゃない。それを笑いものにして敵意・嫌悪を見せることが嬉しいと言う。役場でも、被害地でも、そんな人が手を叩いて踊って見せる場面にあった。他の被害者さんも同じ目に遭って泣いていたからね、へーえ、と笑うしかない。由良町だけではなく、近隣の風力地域、全国の風力でそんな地域対策になっていた。

東北の風力祭りは有名だ。生贄の儀式を兼ねている。インディジョーンの映画みたいに、見せしめにして楽しむんやで。日本は平和が長く続きすぎた。過ぎたるは、なお及ばざるがごとし、とはよく言ったよ。もともと日本にはそんな儀式があった。磔とか斬首とか、獄門晒し首は明治の初めまであった。ほんの100年前の話だ。いや、太平洋戦争でも、結構たくさんの殺戮をしたんでしょ。

オーストラリア人の大量処刑の本なんか見ると、ゾッとするで。戦時中とはいえ、残酷なんだよ。それが平和に飽き飽きした理由だと見る。被害者となって死ぬものも、恍惚感を見た。ワシはみんなと一緒や、とか言っていた。アホよな。そして、この悲惨な風力被害に、誰も反抗する人がいないんだよ。歯止め、がない。どこまでも落ちていく。仏教とか、神々とか、宗教心は消えてなくなっていた。

道徳なんてアナタ、何の意味もないやないか。人の不幸が面白い。それが風力発電の被害の正体だ。日本では、ついに風力反対運動は起きなかった。由良町での「考える会」のアホらしさよ。初めから、あれは反対でも何でもない、と知らされていた。トリック、洗脳、社会操作が簡単に展開される。このページに書いてきたとおりだ。ドイツやフランスの風力反対を見てみろ。どの町でも、カンカンになって怒っている。

日本の「ドイツに習え」なんて言葉は、笑い話にもならない。妄想を振りまいていたのだ。ゲーテやヘルマンヘッセ、カラヤンがあるからね、理想だと思わされた。私だってアラベスクが大好きさ。少し古いか。少し寄り道すると、ベルリンブィル、ニューイヤーコンサート、ほとんど外人さん観光客だと言う。その地に住む人は行かない。ウィーン大の学生たちも行ったことがないって。

由良町だけでなく、どの風力被害地を見ても、特殊な空気が覆っている。デストピア。強制収容所。人と話しても、もうそんな会話もないけど、限られた語句で、ロボットのような、AIになっている。模範的な囚人です。出所して世間に出ることはない。水俣や福島がそうでしょ。逃げ出した人が正解だ。これまで、風力から逃げ出して転居した人は多いでしょ。石もて追われる。これが出所の誉れか。

風力の麓で、顔をしかめて暮らしている。その地域では独特な優劣、差別心が定着する。あんなトコによう住んでるな。いや、だからこそ風力が出来たんやで。その腹いせよ。

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