「風力反対」と言いながら、被害を否定する御用学者や、土砂崩れが心配です、と繰り返す。この人たちは、いったい何を言っているのか、と初めから違和感があった。私でh24からだから、もう12年にもなる。東伊豆町の風力被害なんかh18年だからね、延々と18年も嘘っ八の風力発電をやって来たわけだ。被害は最初だけだったらしくて、今はもう、すっかり静かな別荘地になっているという。
誰に聞いても「被害はありません」という。18年前の風力騒動はウソのようだよ。いや、酷いウソが横行していた。自称・被害者でさえ風力発電の低周波被害を否定する。全国に発信した風力被害情報は、いったい何だったのか、と思わないか。その時の関係者は、蜘蛛の子を散らすようにして誰もいなくなっていた。実際はいるんだけど、ピエロの仮面は剥がれていた。とても醜い顔していた。キチガイやな、と思ったさ。
あれから話題になることもなく、誰も近づけない。何か言ったら怒られる。修士論文にした人もいた。由良町のようにして、アンケートや、被害者の有様を記録した人もいたと聞く。秘密主義だった。県の環境課、環境省などが極秘資料にして知らん顔しているんだろうか。和歌山県下津町なんか、有害な低周波を9回も測りながら、完璧に被害者を否定している。弾圧とセットにしてな。
もちろん東伊豆町でも同じ対応になっていて、人々の裏切り、策略に、被害者たちはまんまと騙された格好になる。誰もその経緯をバラさないね。何があったのか❓ 言うたらアカンのやで。これが地方の田舎町でも、東伊豆町のようなヨソ者の集まりでも、金持ちさんでも、黙らせることに成功した。行政や政治の悪いことよな。議員とか、自治会の役員とか、そこに住んでいたら何でも分かるはずなんだがね。頬かむりして知らん顔かい。
低周波音の被害、これは世界で同時に引き起こされているから、被害地特有の敏感な反応があったと思う。ニーナビアポントの『Wind Turbine Syndrome』、汐見文隆『左脳受容説』、ともにh19年の出版だ。これらの情報を受けて、環境省ではh23年度の調査報告書に「被害を訴えるものは精神疾患のもの」と明記する。同時に出された「納得してもらう」政策集には、風力被害のためのマニュアルがドツサリと書き込まれていた。
シャドーフリッカー対策には、光が入らないように雨戸を閉め切るとか、別の部屋に移動するとか、悲惨な被害を前提に、弾圧政策集になっていたよな。なんでこんなことしてまで風車を立てるんや、と思ったよ。愛知県でも大変な風力被害があったと聞く。全国版で被害は広がっていた。だからさ、行政としたら、被害のあることは分かっているんだから、別の観点から、地域の限度とか、許容範囲とか、心配してもよかったのだ。
すでにアメリカやヨーロッパでは烈しく風力反対デモが行われていた。知らなかった、で済む話じゃない。いやいや、知っていて知らんふりを決め込んでいた。「海外に知見はない」と毎年の報告書に明記しているからね。確信犯よ。何がこうまで彼らを悪意に駆り立てたのか、被害者の弾圧に向かわせたのか、「看守と囚人」心理なのか、政治は機能しなかった。「そんなことは環境運動の市民レベルの話だよ、我々はもっと重要な使命がある」議員たちはそう言って嘯いていた。
何かがある。由良町の議会でも全く同じ風景を見た。被害者たちの苦しむ姿を見て、その鳴き声を聞きながらよ。これが議会というものか。因みに、近くの下津町では、風力反対を議決したという。しかし今も風車は回っている。何も変わらない。弾圧の酷さもな。環境運動家たちの魂胆も見え透いている。音がやかましくても辛抱したらええのや、それよりも土砂災害や、何かあったらどうしますの? と話にならない。
AIロボットよな。風力発電は、被害に遭っても、何もなくとも、関係者はみんなオカシクなる。倒錯、誤解、欺瞞、悪意もある。人の苦しみが面白いのだ。こんな感情の嵐が被害地を覆っている。ワッ、という気持ち悪さ、人々の狂喜を感じ取る。敏感な人が視察に来ると、卓越した低周波音による緊張感と圧迫感、そして人々の異様な雰囲気、敵意に吐き気がするという。普通じゃないんだよ。もちろん被害地の人は何でも分かっている。
例えばさ、由良町でもいいし、秋田や山形の風車が林立する地域でもよい、そこには人、人が暮らしている、それを見た時どう思う❓ 自然エネルギーで素晴らしい、サステナブル、ってか。これが今の日本人の姿なんだよ。しばらくはこのまま判断は変わらない。日本人には分からないし価値観がない。風力発電が必要だと思い込んでいる。破壊とか殺人兵器とかじゃなくてな。分からないんだよ。世界中で日本だけの特異な文化になっている。
なぜなんだろう。ニセモノの反対運動は、全国にいくらでもあるのにさ。「それは違う」と誰も言えないんやで。その感覚がないんやで。世界からはアホにされるわな。鴨葱や。幕末の大塩平八郎の乱と、頼山陽の本を読んでいる。これが明治維新のきっかけになるんだが、その時にはまだ、誰もこんなことになるとは思わなかったらしい。人と人との出会いは、だから貴重よな。私も独り相撲のようでいて、たくさんの人に導いてもらった。
「群れたらあかんで」とはよく言われた言葉だ。各地でやっているエセ反対運動のアホらしさよ。お花畑はいらないけれど、いつかは、ガラガラポンになる。ニセモノは淘汰される。読者の諸君、本物になろうやないか。再エネには毒がある。悪党の悪さを見透かしたやないか。新しい日本にしようぜい。







