由良町では、ついに風力被害を言葉にする人はいなくなっている。目まいとか、耳鳴りとか、多くの人が苦しんでいるだろうにな。「風力の被害など聞いたこともない」と厳しい口調で言っていたものだけど、最近は「虚無」、なんにもなしの知らん顔、私を軽蔑しているんだろうね。心のわだかまりがあるんだろう。それが何だか私には分からない。かつて、風力被害者には烈しい弾圧を加えてきたから、この仕上がりを見て勝ち誇っている。
他の風力被害地でも同じ有様だから、私が一人、特にやり玉に挙げられたわけでもないだろう。これまでは私のブログのようにして、たくさんの被害者がなんか呟いていた。その被害者たちは、すべてが無くなっていた。代わって、各地の「考える会」という地域対策の活況を見る。秋田や山形の地域対策は有名だろ。学者を担いで、ワッセイ、ワッショイとやっていた。北海道でも同じメンバーでやっていたから、風力祭りに酔っていたんだね。
風力被害者もいたから、誰か反対してもよさそうなもんだけど、結果から見ると、それらはウソ、ペテンでしかなかったことは見ての通りだ。ちょうど東伊豆町で汐見先生や窪田泰が追い出されたみたいにして、住民、県民の意識は一致したんやね。風力日本一、と幟旗立てて賑わっている。カルトやないかい。あの風景を見たら、普通は異常だと感じるんだけど、由良町と同じ心理で「アホよら」と手を叩いて踊っているんだろうかね。
恐ろしい社会コントロールだよ。被害地域から逃げ出す人が多かった。東伊豆町や伊方町はとくに有名だ。下津町でもな、弾圧がすごい。オッと、由良町の虐殺に至っては笑い話にされて喜ばれている。だから私に対するあざ笑いは、人々の正直な思いが込められている。「アホよら、アホよら」と笑って喜ぶのだ。私も最初の頃は悔しかったけど、よくよく見渡すと、誰もが同じ言葉をオウムになって繰り返していた。
風力被害に関しては、初めから同じ言葉を、同じ順序で話すようになっていたからね。住民の人たちにはそれがどんなカラクリであるにせよ、すっかり定着した話題の提供だったんやで。つまり絶えずネジを巻かれていた。その策略が、陰謀に参加することの臨場感が、リアルでワクワクする社会運動となっていた。「低周波は冷蔵庫にもテレビにもある。どの低周波か分からんわな」、由良町では20~30回は聞かされたよ。分析図にすると、どの音源か分かるのにさ。
何も知識や思考、批判力のないままにスピーカーになっていた。私が勉強ができなかったので農業高校へ行ったんだけど、「〇〇高校だろ」と笑って言うんだよ。田畑3haの専業農家だからね。それがどうした、としか言えないんだけど。親父も母親も進学校だったけどな。私はとても出来が悪かった。人それぞれなのに、そんな家庭的なことまで笑い話になるらしい。二年遅れて長岡技大を卒業した時の嬉しさよ。
前ページにはその時の担任の先生の早川典生先生の手紙を紹介した。私の楽しい青春時代よ。農業高校もクソもあるかい。風力発電の発する低周波音により、目まいや耳鳴り、頭痛に苦しめられる。それが心筋梗塞や脳梗塞、癌にまでなって死に至らしめる。被害症状は世界中で同じものだ。それを日本の政府は否定する。被害者を差別の殻に閉じ込めて、タブーにして隠ぺいする。ジョニーデッブの映画『MINAMATA』と同じシーンだ。
日本では受け入れられることのない世界精神だけど、グローバル社会で、それがどんな意味を持つのか、見え見えじゃないか。オマエにはそのthinkが分からない。アホな被害者たちにもな。しょせんは日本の精神風土なのか。誰も世界に通じる理想を歌えないのか。アホよら、関係ない、としか言葉がないのか。大義名分は何なのか。大量破壊兵器がある、とは有名なセリフよな。
そうではなくて、なんで日本にだけ、「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)という言葉がないのか、それが残念だと書いてきた。とくに由良町で被害の渦中にいながら、人々の残酷ばかりを見つめてきた。正義漢はどこにもない。憎しみと蔑視、せせら笑いに吐き気がする。風力被害にどれだけの物語を積み重ねて来ただろう。何を言っても無駄や、と人々は言ってくれる。
オマエは間違っている、ワシらは役場の言うことが正しいと知っている、人々の堅固な意思には感服する。違う。風力被害は、水俣病と同じで精神も人間社会も破壊する。私は生きるために戦っている。風力の手先、奴隷になんかなるものか。風力被害地の、なんと惨めなことよ。誰か写真集や、その被害内容を取材して明らかにしてやれ。




