日本には風力被害者はもういないのか。

私一人が風力発電の低周波で苦しんでいる。弾圧や嫌がらせの被害があって、風力裁判なんかその典型よ。何が悪いのか、なんて盛沢山の事件があるから明らかだ。海外にも既にたくさんの風力発電が建設されている。そして被害に対して現地住民が抗議の声を上げている。ドイツやフランスなどのヨーロッパ、アメリカ、アフリカでも南米でも、オーストラリアの風力被害は有名だ。

h24年、由良町で風力被害を訴えた時、「オーストラリアのような人の住んでいない所なら問題ないわな」と、あちこちで聞かされた。素朴な人柄なんだろうか、由良町の百姓たちは笑顔で私にそう伝えていたのだ。実際は地域対策の扇動で、誰もが同じ言葉を、同じ順序で話すようになっていた。「低周波はテレビからも冷蔵庫からも出ている。どう区別するんだ」とかね。まるで自慢するように告げに来るんだよ。20回は聞かされたかな。

役場でも議員から同じ話が出る。すっかりオウムになっていた。役場は魔窟、地獄の釜だったけどな。たくさんの人が電話して聞いたんでしょ。風力被害を訴えた人も多い。それらをすべて否定して、なかったことにしてしまう。誰や、被害とか弾圧なんか言うバカは❓ それでもな、毎日、風力の低周波で耳鳴りと目まいに苦しんでいる。首が痛い。身体障碍者になっている。まだ生きて、「なんとかしないとな!」と頑張っている。

由良町で一人、変人、狂人として笑われ者よ。【低周波被害者の会】というのが昔あってな、汐見さんや窪田さんが被害者宅へ行って相談を受けていた。卓越した低周波空気振動を観測して見せた。被害成分、尖塔化したピークを持った周波数、空気振動や気圧変動がある。これが原因で耳鳴りや頭痛で苦しむんです、と説明する。そこからが本番だよ。ボロクソだったな。私は汐見先生らを神かと思ったで。手を合わせて泣いた人もいたんと違うか。

今、低周波被害は禁句、タブーになっている。有害な低周波音を測定することはない。「あるのに、ない」ことになっている。悪政、というのか、弾圧政策なのか、誰も被害者のためにモノ言う人はない。差別心に笑うだけよ。水俣病がそうだったでしょ。水銀を測ったらアカンのやで。独特な精神風土が出来ていた。私はそれを風土病みたいなもの、と思っていた。今も変わらないからね。人の心は簡単に操作される。

ヘンな環境運動会があって、「風力の被害とは土砂災害だ❣」と絶叫していた。お花畑にしてはどぎつすぎるな、と違和感を持つ。可哀そうにな、そう言う地域なのだ。ところが翻って、私の住む由良町だって、トンデモナイ、魔法の国デストピアになっていた。たくさんの被害者が苦しみ狂い死んでいく。なんで笑って喜んでいるのか。地獄の風景やで。全国的には無関心が覆っていて、風力も太陽パネルもない。再エネバンザイよ。

【土砂崩れが心配】というフレーズに統一されている。全体主義、再エネ・ファシズムやね。ディープステートdsだから何を言っても通じない。ヘンテコなスローガンだけが流通する。「ドイツに習え」はおバカの代表よ。「ドイツでは上手く行っている。日本でなぜそれが出来ないのか、そのことを考えよう」なんてね。よくもこんなたわごと抜かすな。私はドイツ語が少し分かるのですぐに検索して調べてみた。

「Kein windpark 」今では対策されて、すべてが風力の写真やコマーシャルになっている。日本と同じ隠蔽作戦だ。少しググると、ドツサリと各地の風力反対が出て来るけどな。何人かのドイツ人に聞いてみたけど、どうも日本とは事情が違い過ぎる。アウトバーンを走っても風力発電なんか見ないってさ。環境運動家や学者の吹聴は、無茶苦茶だったんやで。私は仕事柄、建設コンサルタントの経験から、日本では風力発電は無理だと知っていた。

私レベルの技術屋エンジニアなんて掃いて捨てるほどある。h18年の東伊豆町の被害報告書をまとめたのはそんな技術屋さんでしょ。今では誰も見向きもしないし、大体覚えていない。貧しい風土よな。逃げ出した被害者たちは、その後どうなったんだろう。土砂崩れの心配が無くなったので、ボツボツと帰り始めていると言われている。可哀そうにな。どこまでも弾圧の嵐よ。ま、金持ちさんのグループが目立つから、貧乏人から見れば、ざまぁ、というか。

由良町周辺の風力被害地はとても貧しいけどな。どちらにせよ、被害に遭ったら逃げるが勝ちと云うことだ。私のように千年もこの地に暮らしていれば妖怪みたいなものでな、人の魂を吸い上げて生きていく。弾圧する方も、される奴も、救いようのない餓鬼、魑魅魍魎に見える。払えども去り難く、難儀な低周波被害に泣いている。私一人だったのか。幕末の大塩平八郎の乱には、まだほど遠い。陽明学、行動哲学の本として何度か読んだことがある。

頼山陽と交流があって、意気投合していたらしい。ここから倒幕、明治維新が始まる。日本にも、こんな夢のような羽ばたく瞬間があったのだ。由良守應は宮城の監獄で、陸奥宗光と三年間暮らしたという。人は笑うけど、私は羨ましいと思うんやで。ここから始まる。そんな瞬間がある。クソッタレの風力発電を取り壊すまで、あとどれほどの事があるやら。日本人だって、理想や希望を持つて生きたことがあったんやで。風力発電を撤去せよ。