風力発電のウソつきたちへ

海外の風力反対を見て、なんとヒステリックに嫌悪の感情を見せていることよ、と思わないか。デモ行進は彼らの文化そのものか、と日本人から見ると思うのだ。そんな日本の風力反対でも、プロの環境運動家が演出すると、鬼気迫る迫真の演技を見る。環境ゴロ。「遠山の金さん」や水戸黄門に出てくる、いつものゴロツキと変わらない。

こんなものが風力の手先となって、各地の風力運動会を主催していることは、これまで書き連ねてきたとおりだ。環境運動しています、感だね。地産地消だとか、土砂崩れが心配です、とか、いろんな言葉にすり替えられている。いろんな意見が必要です、ってか。違うよ。健康被害を受けて苦しんでいるから「止めろ」と言っている。

それをたくさんの言葉で薄めて、希薄な一般論にしてしまう。大学の教授を呼んできて、別の物語にしてしまうんだよ。権威を利用した服従の心理だね。原発の時そうだったよな。和歌山では45年前、私が学生時代に賑やかにやっていた。なんせ由良町の周辺に3つも原発計画があった。私は土木科の学生だったから、有利に就職できる、と喜ばれたものさ。

私には判断材料がなく、何が本当の事やら分からなかった。建設会社やコンサルタント業は、作る方の立場だからね。被害があるなんて発想、価値観なんてない。仕事、カネ、それしかないんだよ。地域の人々、暮らしなんて、言葉のダシでしかない。当然のように地元対策として採用された。田舎者だからね、若かったし、バカだから意味なんか分からない。

それでもh24年、親父の友達に原発反対の闘士がいて、当時の有様を、人々の酷い反応を聞かせてもらったのだ。ちょうど東北地震があって、福島の原発事故を見ていた。和歌山だって南海地震があるからね。いくら耐震設計したって、津波対策したって、自然災害に勝てるわけがない。せいぜい、想定外の、というだけだ。

誰も責任を取らないのは見ての通りだ。原発は人の住まない、住めない問題のある地点でしょ。もともとが、災害にはめっぽう弱いんだよ。私の元上司は高浜原発の建設課長だったからさ、随分世話になったよ。原発音頭を踊って、人々は祝っていたやないか。それほど原発利権は大きかったのだ。今もそんな幻想を抱いている悪党が多くいる。

悪意。私はそんな仕事をしてきたから、彼らの悪さがこれでもかと分かる。これも風力発電の低周波被害で、死ぬほど苦しんだおかげか。低周波被害者の会の窪田泰さんと話して、被害者か、そうではないのか、という判断の目安よ。低周波被害者にはヘンな人が多かった。まさに精神疾患だよ。これが正直な感想だ。

h18年の東伊豆町の風力被害に始まり、やはり低周波被害者の狂気が目についた。窪田泰さんは、低周波被害によって人格が変わることはない、と断言した。しかしヘンな人が多いよな、という話には笑っていた。被害者が「私たちは風力発電には反対ではありません」と言っているでしょ。意味のない言葉だけれど、とんでもなく理不尽な心理模様よな。

だったら黙っていろよ、と言ってやると、キサマを訴えてやる、と怒っていた。各地の何人かが、私にそう言って怒りを露わにしていた。何が悪いんだろうかね。それこそが被害に遭って苦しんでいる証拠なのにさ。自己家畜化。自ら進んで奴隷になっているんだよ。苦しみを隠して、ヒョットコ面をかぶって踊っている。

自身は環境運動しているつもりなんだよ。そのように躾けられるんやね。環境課の誰さんと話したとかね。アホにされているだけやのに。風力発電の低周波は強烈だから頭をやられる。この悲惨な被害は世界的に常識だ。だからこそアメリカでもヨーロッパでも、あんなに烈しく拒否をしているのだ。日本のエセ反対と見比べてみると、真逆、正反対なのが分かるでしょ。

地域対策のための偽物の環境運動とすり替える。トリックなんだよ。なかには本当にカルト宗教もあって、サイコパス、狂人やなぁ、と思うこともある。便乗型とも思えない。再エネ政策は、もともとがいろんな勢力を取り込んでいる。再エネ偏執狂、というのか、反社会的な活動家が多くいる。日本の自然保護団体なんて、行政の傘下で風力推進しているでしょ。

被害者を弾圧して喜んでいるでしょ。これってカルトやで。それも組織的にやっている。私には破壊活動にしか見えない。そんなものが東北や北海道であんなにも風車を立てる原動力になっていると見る。そのシンボルに元首相の銅像を駅前に立てているんだとか。風力発電バンザイだよ。恐ろしい光景だと思わないか。

こんなにも人々は簡単に支配されるのだ。由良町だって同じ論理だけどな。風力の被害など聞いたこともない、と人々は口ずさむ。オウムだよ。日本独特の被害者の弾圧、人々の自然エネルギー賛美、言われたことに忠実に行動する。人としての尊厳、考え方、アイデンティティはないのか、と思わないか。抵抗力、反骨、奇骨、風力被害に反対する日本人はどこにもなかった。私一人だったよ。

じゃぁ、アメリカやヨーロッパの風力反対は何なんだい。由良町では私に、ウソつくなっ、と言われている。作り話、自作自演だというのだ。初めからそのように罵られていたから、誰かが旗振りをしていたんやね。人々は喜んで体制側に就いた。アホよら、とな。日本人の中身はこの程度のレベルだったのだ。

いや、嬉々として被害者を弾圧してその死を笑ったから、大した演出を目の当たりにする。もちろん環境運動家たちは何もかも知っていて喜んでいる。ウソつき、オオカミ少年よ、と私を罵った。今もインターネットでは耳触りの良い環境論にすり替えられた「エセ風力反対」が覆い尽くしている。風車病に苦しむ被害者の悲しみはどこにもない。

タブーなのだ。日本だけ、「Stop wind turbines」の言葉がない。誰も抗議しなければ、関心を持つこともない。風力地域では、すっかり風車教カルトが人々の精神に浸みこんでいる。もともと空っぽだったからね。喜んで新しい教義を受け入れたんだよ。再エネ100%だと。そこには既に人としての価値よりもロボット、アンドロイドとなってインプットされたプログラムが更新されている。

アップデートに反応して、その時その場面で同じ言葉を同じ順序で話している。テレビや新聞では、絶対に必要な情報は伝えない。完璧な情報管理、心理コントロールになっている。インターネットで、海外の情報をチェックしないんやね。人間の退化現象。自己家畜化が進んでいる。生きるための知恵だとは思えないんだが。

https://www.windturbinesyndrome.com/2013/fucked-wind-company-lease-maine/?var=wts