風力被害の修羅を生きる。

風力発電の低周波被害に苦しんでいる。畑地区の谷口さんらもそうやって死んでいったことは何度もこのページに書いてきたとおりだ。破壊工作、環境運動の闇。被害者を見事に消し去る社会システムのオゾマシサよ。戦争でも災害でも、被害者は簡単に忘れ去られるからね。人間の心理構造には「忘れる」という機能が備わっている。

今朝のタイトルには各地で行われているエセ反対を具体的に書くつもりでいた。「考える会」という。h18年の東伊豆町の風力被害から、もう随分な時間が過ぎ去った。進化して、さらに悪意が洗練されてきている。全国、至る所に風力被害地が悲鳴を上げているから、大体の人は何が行われているのか、不穏な言葉とともに触れていることだろう。

気持ちの悪い地域対策だよ。メガソーラーと共に、山々では風力発電が回っている。最近は太陽パネルの被害も明らかになってきたようだ。景観とか、パネルによる気候の変化だけでなくって、段々に過敏症になっていく。初めは分からなかったらしい。「体が異様にしんどい」。不定愁訴というそうだ。とにかく辛い。

更年期障害だと言われる。野鳥の会がそう言っている。自然保護団体特有のプロパガンダだ。やがて環境運動家の闇を見る。海外の自然保護と、日本のそれとはずいぶん違うでしょ。それ以前に、やはり人間感覚として「ウソは、しょせん嘘でしかない」と分かって来るわな。私はh24年の当初から「ウソつけっ」と汚い言葉で罵られている。

自作自演だと笑いものにされてきた。風力の被害など聞いたこともない、とな。由良町の人の言葉には一貫した論理はどこにもない。その場限りのスローガンにして、被害者を否定する作戦に燃え上がっている。烈しい敵意を見せるからね。初めの頃は、いったいどうしたんだろうと驚いたものさ。実は今でもそうだけどな。

人に怒られたら怖いじゃないか。それが人々には面白いのだ。やっつけろ、というわけだ。私はもともとは小心で内気なタイプだ。自分の考えを言葉にして伝えるなんてことが苦手でね、まさか、こんなにして谷口さんらの悲しみを伝えるようになるとは思わなかったよ。とっくに死んでいるのにさ。私にも理由があるんだろう。

たくさんの風力被害者を見てきたから、そして私が重症の低周波被害者だから、敏感に彼らのことが伝わっている。過敏症、なんだよ。だから太陽パネルの被害感に敏感になる人の気持ちが分かる。なかにはその地域を逃げ出した人もいるようだ。風力発電の被害、顔負けの事態になっている。エコヤクザ。そんな言葉をあちこちで聞く。

東京では新築住宅の屋根に、太陽パネルの設置が義務になるんだとか。人数が多くなると、被害者がどっと出るんだろうね。監視カメラのように、ダミーの偽物パネルを載せたりしてね。しかし周りがそんなもので囲まれたら、逃げ出すしか手はないような気もする。東京の人は、なんだかヘンだ、と感じたことはないだろうか。

以前からある江戸っ子気質、とか言うんではなく、宇宙人のようだと見る。田舎から出て、東京駅を出るとそう感じるんだよ。もはや人間の住む環境じゃないな、とな。巨大なエネルギーを目の当たりにする。そんな威圧感だ。それが電磁波であり、低周波、空気の汚れ、人々の吐き出す熱気なのかもな。田舎だけではなく、東京で生きていくのも大変なことになっている。

限界にあるようだ。限界集落、弱者は生きてはいけない。日本は住みにくい社会になっていたのだ。だから移民を導入するのか。風力被害で地域社会を破壊して、ちょうど空いた間隙に活きのいい外人社会が定着する。イスラムや中国人社会が、既に各地にあるんでしょ。私なら、もちろん新しい人材に期待する。

そうやって日本を新しくするつもりかい。「再エネの更なる推進」政策は、創造的破壊なんかい。被害者は堪らんね。日本人には誰一人として、「被害者がいて苦しんでいる。だから止めろ」なんて言う人はいなかった。由良町と同じ事が、東北や北海道で、さらに大規模に行われている。ちょっと覗いてみるとすごいで。

私は由良町の風力被害、惨劇を説明しているけれど、彼らのはまるでナチス運動にまで発展して盛況だよ。カルト宗教そのものよ。人々は被害が嬉しいんだよ。ホロコースト、大虐殺になっていることはもう分かっているだろう。彼らの喜ぶ姿に、もう誰も触れることはない。もっと、もっと風力発電を建てましょう。

とてもじゃないが狂気としか見えない。それもかなり洗練された心理作戦、策略を見る。産廃の反対運動のアホらしさは知っていたけれど、エセ風力反対は、社会を根底から破壊していた。陰謀、というより、人々が待ち望んでいた日本社会の破壊願望よ。「ワシらは面白うてならんのや。ワッハッハッ」と私に告げに来た人々がいた。

普通はこんなことあるはずがない。なぜや? と今も驚いているのだ。日本人もPhilosophy哲学を持たないか。何が行われているのか、どうなっているのか、人間とは何か、真剣に考えて答えを持とう。「考える会」はアカンで。

Disciplined and on-message, wind farm opponents are a force to be reckoned with (theconversation.com)
https://theconversation.com/amp/disciplined-and-on-message-wind-farm-opponents-are-a-force-to-be-reckoned-with-15258