風力被害の茶番

『風力発電の被害』には当事者として驚いたことばかりを感情的に書きました。本当はもっと踏み込んで、何が悪いのか、何が間違っているのかを的確に指摘した言葉を書くべきでした。当時も今も、私に対する弾圧は変わりません。あの時、死に追いやられた被害者たちは、コテンパンに叩かれて消えていく。

初めの話とは違う、裏切りの言葉が次々と投げつけられました。人の、なんと弱いことよ。狡賢い悪党の姿を見て、こんなものが社会を支配するのかと怒りを持った。だが誰も反抗する人がいない。孤立無援。引き剥がし、孤立化させる、人物破壊に自分でも笑っていたのだ。すべては自業自得だと反省している。

制裁なんだろうとな。被害者たちの奇妙な作り話には残念だった。田舎の百姓にはない語彙があって、刷り込まれた洗脳だと気が付いている。2019.2/7日のページにあるように、彼らは何度も洗脳教育を受けていた。主催者は悪魔の様な言葉で呪いをかけていく。谷口さんらはもう人間であることを止めたようだ。

死んでいった被害者の名を指折り数えて、意味のない言葉を呟いている。地獄の風景やな。こんな地域対策を各地でやっているという。なんで誰も反抗できなかったんやろ。由良町だけでなく、全国の各地には、いろんな風土、気性のあることなのに。谷口さんは各地の風力被害者と連絡を取っていた。

私もその伝手で、それらの人と話していた。すべてダメだったね。低周波被害者の会の窪田泰さんは、それらの人を嘘つきだ、と言っていたけれど、私もそう思えてきた。なんだか違う。ヘンなのだった。なかには雑誌に投稿した人もいて、風力被害の悲惨なことを理解しているんだろうと思っていたのに、実際に話してみるとアキラメ、無力な年寄りでしかなかった。

誰も助けるものなどなかったのだろう。ここに海外と日本の違いを見る。日本にはこれまで「風車を止めろ。人が苦しみ死んでいる」、(Stop wind turbines)という人はいなかった。なぜな! と私は訴えて来た。最近の調査で、日本人が、日本人を信用できるか、というアンケートに、ほとんどの人が「いいえ」NOと回答していることを知った。

アメリカやヨーロッパの社会への信頼とはエライ違いだ。TwitterなどのSNSを見ても分かるよな。匿名で、人の悪口ばかりが溢れている。私もやられているから、これが日本人かい、とあきれているのだ。ほとんどガセだね。日本社会の特徴が、こんな身近にハッキリと見て取れる。添付の谷口さんの訴えをアップしても、誰も反応しないのだ。

小林芳正教授の論文を載せても分からないらしい。振動学と低周波被害の関連も伝わらない。話を受け止めるだけの受け入れ能力の問題なのだ。日本人の信頼度のアンケートを見て、当たり前にそう感心したものさ。全体の2.8%の人が信頼できるらしいで。風力発電の重傷の被害確率は2~3%だ。

こんなものだろうね。やっと統計的な根拠を見たよ。人のことなど構うものか。自分に影響なければ、多少のことは見てみぬふりをする。人が笑えば真似て笑う。それだけの事だったのだ。今も各地で風力発電の建設が続いている。風力反対がウソであってもエセであっても構わない。

産廃のニセ反対運動は有名だから、すぐに気が付く人はいるし、自称・風力反対でも当初から指摘されてきたしな。べつに私がそのことを説明しても意味のないことだったのだ。もともとがアンケート結果と同じで関心もない、期待もしない心模様の希薄が前提にあったようだ。日本人に対する不信感。政府、政権に対する服従心。

何でもやれるんや。これが日本に風力反対のデモがない理由だった。ちょっとした心理コントロールの罠、弾圧を見せれば人々はひれ伏していた。死んでいった、殺された風力被害者たち。それを笑いものにして喜んでいる人々の闇。なんで誰も気が付かないんやろうね。善・悪の判断がない。

谷口さんを指して、人々が「あの人はウソを搗いている」と繰り返す。オウムじゃあるまいに。風力発電のアセス、そして事後評価を同じ業者が実施する。わざわざ、こんなに丁寧に仕事をしてくれると感謝する。茶番だと思わないかい。議論しようにも、疑う、真実の追求、被害の否定、何でもやりたい放題やないか。

意味が分かるかな。アホにされているんやで。それを海外の人はジッと見ている。鴨葱やん。政治の災厄だね。再エネ促進連盟とか言う議員の利権を見たか。その手先が自然保護団体や環境運動家なんやで。ボロボロの環境ビジネスだよ。環境テロだよ。日本でも風力発電に反対しよう。

エセ環境運動に反対しよう。騙されるだけじゃ詰まらんで。アメリカやヨーロッパの常識に習って、「風車を止めろ」と言おうじゃないか。