恥がない、と言うか。

今朝の産経には「ロシアに恥はない」と書く。よく言うよ。古典の中国だって、どれだけ酷いことか。日本人も大層恥知らずなことは見ての通りだろう。私とて随分と後悔は多い。穴を掘って隠れてしまいたいことがある。そんな時、日本人って、ここぞとばかり笑いものにして喜ぶ習性がある。田舎者根性丸出しで、いかにご自分が正しい人間かと言って笑うのだ。

それはイカンわな、と言って人を誹る。殺人や詐欺などの犯罪ならまだしも、政治や社会問題になると一変に偏執狂になっている奴を見ないか。とくに水俣や福島の公害では、現地人でもエライ落差を見る。受益者、対策要員がいる。スパイ工作員と言ってもよい。こんなものが国策かい、と吐き気がする。被害者の方もカネを貰おうとして、すっかりダメになるからね。

何が悪いのか。何が間違っているのか、なんて分析、思考は崩れ去っているのだ。「水俣学において・・・」大上段に構えて雄叫びを上げる人のアホらしいことよ。恥ずかしくないんやね。あそこまでウソが昇華すると、悪党の正体が丸見えじゃないか。何人かのロシア人と真面目に話し込んだことがある。日本語がとても上手で、大学で日本語コースを取っていたんだと言っていた。

マナーをわきまえたとても上品な人だった。こんな人が手のひら返しで戦争を賛美するんだろうか。よく言われるように、「個人としては良い人でも、集団になるとコロリと変わってしまう」と言われる。日本人でもそんなとこあるわな。さて、風力発電の被害でも、同じことがありましたのや。「あの人たちは恥というものを知らないんや。何と哀れなよぉ」と泣き声と怒りを混ぜて私に伝えてきた人がいた。

地域対策で被害者を特定して弾圧を加えたのだ。苛め抜かれてそれらの人は死んでいった。家族の人は皆セイセイしたようだ。だって煩いしヘンなこと言うからよ。風力被害を聞いて回っていた時、よくそんな家族から汚い言葉で罵られた。よっぽど嫌だったんだろうね。近くの下津町では、被害者の家族が一緒に、その集落を去ったと聞く。とても聞いていられん話にゾッとしたよ。

私の事でもあったんだよ。被害者に対する嫌悪と差別。水俣でもありましたなぁ。有名な話だよ。田舎は、とくに濃い人間関係があるから、ひとたび転落したらもう一斉に責められる。村八分なんて簡単な言葉じゃない。泣き叫んでいたよ。『風力発電の被害』に書いたとおりだ。由良町だけじゃないでしょ。被害者をアホにして、手を叩いて踊ってみせる。

全国共通のマニュアルだからね。そこには「恥を知れ」なんて感覚はない。じつに私一人だったんだよ。親父は「ほっとけ」と言っていた。昔から言われていた逸話は本当の事だった。差別には理由があった。日本社会の凋落(ちょうらく)を見る。耕作放棄地が増えていく。今年の田んぼの水引では、集まった百姓たちを見て、すべてが入れ替わっていた。10年前の人は皆死んでいた。

私も65才だからね。これ以上、手を広げて耕作する気はない。北川の山々には風力発電が林立して回っている。それを見るだけで目まいがする。見てはいけないのだ。だから人々は見ないために早々と家の中に入ってしまう。家の中は余計に低周波が籠っていて苦しいのにね。もっと苦しめ。そして死んでいけ。自己家畜化症候群と書いた。

風力発電症候群(Wind Turbine Syndrome)には、低周波被害だけでなく、トンデモナイ災厄、弾圧が課せられていた。それであの本を書いたんだよ。こんなことが許されるかいな、とな。インターネットで「風力発電被害」と検索すると、風力のコマーシャルが覆っている。あるいは被害を否定する学者を担いだエセ風力反対がある。

少し覗いてみると、土砂崩れが心配です、とか、環境が大事ですとか、いろんな言葉が書かれている。風車病の被害がない。被害者の弾圧がない。汚い地域対策であることは見え見えになっている。本当に風力に反対したら警察に逮捕されるからね。安政の大獄みたいに、吉田松陰のようにして殺されるんやで。私の場合はこれでもかとやられたからね。

人々は大喜びだよ。やっと自分のアイデンティティを得た瞬間だった。立派な差別主義者になっていた。親父に言われたとおりだよ。親の言うことに徒はない。東北や北海道ではドンドンと風力発電が建てられていく。人数的には、かなりの数になっていて、どんな被害があるか、なんて調査もあるだろう。私みたいに聞きに回る奇特な奴がいないか。そんなことしたら悪口言われるだけか。

しょせんは奴隷根性でしかない光景を見る。次の展開が待ち遠しい。ホロコースト。日本人が日本の被害者を虐待して喜んでいる。カミカゼ、特攻の悲惨な最期の映像を見て固唾をのんで見るような、日本独特な殺戮の現実に、あの時も口を噤んで何も言わなかった、と気付いている。生贄なのだ。