彼らは何でもいいんだよ。風力の妄想でもな。

我家の近くには興国寺と言って、大層古い禅寺がある。北条政子の荘園になったこともあって、座禅堂の横には源実朝の墓がある。笹竜胆の家紋が軒瓦に連なる。15代将軍の足利義昭も1年余を由良ノ庄で暮らして、それから鞆の浦に行っている。置き土産に名刀の太刀を残していて、刀好きの私は惚れ惚れと見る。将軍様の逸品だね。

昔の刀は吸い付くように切れる。やって見れば分かる。現代刀では、再現できない触感よな。臨済宗だから座禅で有名だ。なんと裏山に巨大な風力発電が林立することになっていた。とても座禅どころじゃない。それで反対運動して、何とか裏山だけは勘弁してもらったという。しかし風力発電の発する有害な低周波は、山々を超えて飛んでくる。

汐見文隆医師は、この風力反対の結果を見て、なんでもっと勉強しないのかと怒った。今にして思えば、一級の知識人の発言力だ。測って見れば分かることで、興国寺の境内では、風力発電の低周波の空気振動がくっきりと観測できる。倍音、高調波があるから、指紋のようなもので、風力発電由来の空気振動だと分かるのだ。

聞いて回ったけど、寺周辺の集落に風力被害者はいなかった。あの時、ほぼ全員が反対署名したから、何が悪いのかの情報はあるだろう。しかしその後の地域対策の波に呑み込まれていく。ここでも私への拒否が決定的になっていた。寺男に、ここでの低周波測定を禁ずる、と叫ばれたからね。出て行ってくれ、ともな。

周囲の人たちの険しい目にも合う。そんなに私が憎いのか。アレアレ、すっかり出来上がっているやないか。昔からの親類もあって、多少の甘えがあったものだが、今はもう話す機会もない。被害がなくてよかったじゃないか。寺創建の時に他所から連れてこられた人たちの子孫だ。苗字が決まっていて、役割もそのままよ。

いや、文化伝統はとっくになくなっている。茶飯、漬物が美味しかった。子供の頃は、ずいぶんと可愛がってもらったのに。寺関係は妙なプライドがあって嫌いさ。といっても、私の住む門前地区には400人ほどが住んでいる。すべての人が風力被害を否定して喜んでいるからね。コピーして揃えた風力資料を見せたりしたら大変なことになる。

「それはアカン!」一気に顔付を変えて拒否するからね。アホにしまくり。怒りだす人もいる。よくもここまで仕込んだものだよ。言っとくが、海外では被害地の人が協力して「Stop wind turbines」と言って抗議している。世界中で被害地域の人は、風力発電に対して怒っているのだ。それが何で由良町では、その対象が「私」なんだろう。

私のことを「アカン」と規定するんだろうね。なかには風力被害に苦しむ人がいるんだよ。とうに裏切って知らん顔して笑っている。ヘンになった人がいる。もともとがそうだったやないかと人々は笑う。誰一人として風力被害に向き合う人がいない。私に対する憎しみだけにネジを回していたのだ。その他のことは一切受け付けない。

村八分。いいね。カネを払ってもこんな感動ドラマは見られない。地図を見たら分かるように、統計的にも低周波被害者はたくさんいる。畑地区だけの話じゃない。それをさ、畑地区の人は「風力の被害など聞いたこともない」と言っている。笑えるじゃないか。それを誰一人として、禁を破るものはいない。

私はよく、山奥のサルどもめ、と言ってバカにしているけど、我が家の周辺を見回しても同じ有様だよ。今まで風力の低周波で苦しんでいると言っていた人はすべてが前言撤回、知らん顔して生きている。その人らは、まだ死なないね。何が生死を分けるのか、それが分からない。同じ低周波被害に苦しみながら、やはり個人差、寿命ということか。

もし風力発電が出来ていなかったら、こんな被害に遭うこともなかったのにさ。たぶん被害の苦しみを押し殺して仮面をかぶっているんだろう。被害感のある人は、何が原因なのかは痛いほど知っている。被害者の死を見ても、自分の事とは思えないらしいのだ。綾小路きみまろのコメディと同じ内容だね。自分のことを笑われているのに、それが自分のことだとは分からないで笑っている。

人間心理の闇を見る。2019.2/7日にアップしている録音には、そんな被害者たちの哀れな姿がある。2018.1/22日、1/20日の頃の様子と比べてみればよい。叩きのめされて動物になっているでしょ。そしてみな死んでいく。主催者は鬼やで。スパイ工作員もな。権力の手先となると、こんなことができるんやね。

それにしても地域の人々の冷酷さよ。海外の風力反対との違いを見ると、これが日本かいな、と驚くのだよ。家族の人でも、被害者を嫌い、拒否するからね。由良町だけの事かい。下津町の風力被害では、家族を引き連れて集落を出ているからね。大切な蜜柑畑、百姓家、思い出や愛着が染みついているだろうにな。

私も百姓しているから分かるんだよ。しかし、誰も同情しないし笑っている。和歌山県環境課が、何度も訪れては弾圧を繰り返した。笑いものの極致を見る。それほどおかしいのかい。被害者は泣いていたで。さて興国寺の寺男が言うには、「彼らは何でもいいんだよ」、彼らには分からないんだ、というのだ。

今は寺を叩き出されてその後のことは知らない。ボロクソに弾圧されていたことは聞いている。行政や政治、議員って悪いね。「興国寺は修行の寺なんだ。観光レジャーの寺じゃないんだ」目黒絶海和尚は私にそう言って諭してくれた。書きものの上手な人で、たくさんの達筆な掛け軸が残されている。

私の親父は、それを右から左へと人に渡していた。もったいないことをした。寺の経営も大変だろうからね。年取ると、いろんなことが分かってくる。風力被害だけはアカンね。