山川草木悉有仏性、山や木には命がある、神が宿る。

山岳信仰で山の上に祠があっても廃棄して風力発電を作っている。昔からの人々の思いはかき消されてタブーになっている。「言うたらアカン」と繰り返す。小学校の遠足で、それらの山へ登った記憶のある人もいるだろう。遠くに町が見えて、あんなに見えるんや、と思わなかったか。地域の素朴な信仰は、山道と共に、とうに廃れてしまったけれど、昔の人が見た風景を感じ取っていた。目には見えない人間感覚を共有した。

神仏習合とか言うんじゃなく、自然に対する畏敬がなかったか。再エネといって、山々の樹木を剥ぎ取って太陽パネルを敷き詰める。どんな効果があるんだろ❓ 確かに制度的にはカネ儲けになる。それで石油や石炭の消費が削減されたのか。二酸化炭素CO₂は削減されたのか。本来の目的は何なのか、検証されることはない。ダダ漏れに税金が食いつぶされて消えていく。政治的には与党も野党もない。砂糖に群がるアリのように真っ黒けだ。

環境運動家のはしゃぎようよ。お花畑の論議に、学者や政治家を招いて大盛況になっている。地産地消でやりましょう、とか、自前のエネルギーを持つ、とか言っている。ユートピア、SFみたいやないか。すべては作り話、フィクションなのに誰も反論しないからね。バカ言え、と思わないんやね。本当に太陽パネルの電気で電車が走ると思うか。家庭用の電気がタダになると思うかい。笑えないのは、太陽パネルにも結構な健康被害があるという事実だ。

メガソーラーの近所に住むとそれが分かるらしい。あるいは工場の屋根に設置された太陽パネルの下で作業すると、堪らなくしんどいらしいで。全国で同じ症状を訴えているから、まずは事実だろう。風力発電と同じで、低周波音を測ったら、奇妙な測定結果に驚いたという。自然界にはない異質の空気振動があるらしい。電磁波被害と相まって、そこでは住んでいられない音環境が出来ていた。特殊な「音の場」になるらしい。

私は風力発電の低周波音を測定して、何が被害の原因であるのか確信している。メガソーラーの被害者たちも、見た目、景観ばかりじゃなく、物理現象として測定、分析して説明してくれないか。環境運動家に騙されたらあかんで。大学や県庁の環境課もアカン。汐見文隆、小林芳正、といった神様を見つけることやで。法律よりも大事なことがある。それが日本人には分からない。被害者を、汚れモノ、穢れ、として蔑視する。

怒りの対象にされてしまう。各地の風力被害者を見たら分かるだろう。ボロクソよな。人とは見なされない。追放、差別、虐殺、何でもありの集団リンチだ。社会の吐け口やね。人々は大喜びして笑っているから、皆分かっているんだよ。戦争と変わらない。勝つ方に付かないとな。被害者と、加害者と、中間はない。「関係ない」、「アホよら」と言って笑いものにする。それが風力被害地の姿だ。メガソーラーでもそうなっているでしょ。

お花畑の酷さに気が付くでしょ。初めからセットになった地域対策なんだよ。環境運動の仮面をかぶっているから、レジヤー感覚で弾圧を楽しんでいる。タクトを振っている悪党がいる。世論操作、社会工作が面白い。被害地になると、誰も抵抗できなくなる。正義漢も反対運動もない。エセ反対、見せかけの地域対策ばかりだよ。「土砂崩れが心配です」だってさ。h20年頃から、延々と同じスローガンを叫んでいるからね。

ウソも繰り返せば本当の理屈になるらしい。どこにその土砂崩れがあるのか、と問う人はいない。私一人だよ。なんせ私は土木科卒の土木技術者でね、たくさんの土木設計、施工を経験してきた。ゼネコンが土砂災害なんかするかいな。作業道路は仮設だから、多少の乱れはあるだろうけど。日本人も段々と変化している。平安時代や鎌倉時代、江戸時代とは生活も考え方も違っている。

我家は由良町で千年の歴史があるから特殊だけど、一般の人は、都会人みたいにお気軽な生活が出来ている。貧乏はお互いさま。要はその人の価値観になる。山々や自然に対する信仰は、日本人なら誰でもわかるんじゃないか。神社にお参りするでしょ。我家の蜜柑畑には、熊野街道沿いだから庚申塚があってな、今も年寄りが通るたびに手を合わせている。庚申講は廃れてなくなっている。50年前までは観音経を唱えて酒盛りしていたのに。

地域の繋がりを維持する仕掛けだった。もう必要ない。ふたを開けたら憎しみや嫌悪が噴出していた。こんな事やったんや。汚い話に恐縮ですが。私に対する人物破壊だろうけど、分断は、あちこちで見ている。谷口愛子さんの手記にもそんな話が溢れているでしょ。誰も助けなかった。今もそれは変わらない。全国の風力被害地で、同じ弾圧が繰り返されている。マニュアル通りだ。キシダは「さらなる再エネの推進」と謡う。

太平洋戦争の末期と同じ感覚よな。大本営発表のウソと同じやり方だ。誰も検証しない。しかし多くの人は、それが可笑しいことに気が付いている。それを言葉にすることはない。東条は自殺未遂で後に縛り首にされてガソリンを掛けられて燃やされて東京湾に捨てられた。これが日本の有様だ。誰かが、もう止めようやないか、と言えばよかったのだ。再エネはもう止めよう。いいことなんか何もない。随分と汚れてしまった。

環境とは何か? しっかりと考え直そうやないか。被害者を虐待して苛め抜いて殺すなよ。各地には、きっと恨みの傷跡が長く残るやろ。それが目的かい。

”黙殺の音”低周波音 silent killer