なんと傲慢な人よ。

風力発電の低周波被害に遭って、風車病に苦しむと、周囲の異変が手に取るように分かる。感覚が敏感になる。蛇口から落ちる水滴の音が、「ポッチャーン」と耳の中、頭に鳴り響く。気持ちの悪い空気に包まれる。息苦しさに、はぁー、はぁー、と言っている。風力被害者の皆さんには、お馴染みの症状だ。そして人と話す時、その人の気持ちと言うか、感じが痛いほど伝わってくる。「ウソつきはすぐ分かる」と言うわな。

その割に騙されてばかりいるのは、藁にもすがりたい焦燥感から。あるいは助けを求める依頼心、期待をするんやね。やがて誰も助けてはくれないと知ると、地域の被害者を探し求めている。その頃には、とうに被害者たちも心理操作されていて、雉も鳴かずば撃たれまいと覚悟を決めている。誰か、力のある人がやればよい。沈黙は金。自分は黙っていよう。言うだけ損や。弾圧の嵐に遭って吊し上げられた人を見る。社会的制裁や。

みんなで寄って集って笑いものにされる。とても自分には耐えられそうにない。生贄にされて蔑まれるだけだ。地域の人たちの恐ろしさよな。被害者に対して、こんなに強圧的に怒りを露わにする。風力の被害を言うことが、そんなにも悪いことなのだ。関りになったらエライことよ。知らんフリしょう。あの人は急に死んだけど、たぶん自殺やな、と思えてしようがない。息子さんも後を追うようにして亡くなった。

残された家族の様子がヘンだ。もともと可笑しな人たちだったけど、急なことやった。何も聞こえてはこない。言うたらアカンのや、と得体の知れぬ恐怖感に襲われる。監視社会。うっかりモノも言えんな。沈黙に限る。下見て暮らせ。インターネットで風力被害を検索していると、あちこちに被害症状の有様を書くようになっている。h18年の東伊豆町の被害報告書がそうだった。被害者はコテンパンにやられて消されていた。全国から、たくさんの人が電話して聞いただろうに、【被害はありません】と言っている。

あるいは自称被害者は「私たちは風力発電には反対ではありません」と言っている。ヘンテコな論理に、倒錯に、どう話しかけてよいのか分からない。実際に話してみるとタダの狂人であった。演出かいな。町の発展に貢献しているんだとか。全然違うな。由良町では、いや、どこの町でもいいけど、風力被害者は、どこか狂っている。そんな被害者をいくら集めても問題の解決にならないことは、これまでの全国各地の歴史を見れば明らかだ。

逃げ出すか、じっと我慢して暮らすのか。ヘンな人になってしまうのか。首が痛い。神経がやられる。その人、独特な精神性を見る。こんな人やったんや、と改めて反省もしている。私は今まで何を見て来たんだろう、アホやった。仲よくしているつもりが、アホにされていたとは。まだ噛みつかれないだけマシか。人からケンカを吹っ掛けられてはたまらない。逃げとこ。たくさんの風力被害者が死んだ。恐ろしい被害だ。

私たちはいったい何をしたと言うのか。なぜ誰も助けようとはしないのか。ボタン一つで止められる風車を、一度建設したら止められないという。なぜな❓ 日本だけ、なんで被害者を無視して苛め抜くのか。人間狩りのようにして殺してしまうのか。私たちはインディオとか、アボリジニなのか。ユダヤ人の虐殺か。キリスト教国の陰謀か。日本人にはキリスト教は広まらなかった。ムラ社会。なんと息苦しい社会制度なことよ。

もう寺に行くのは止めよう。生活するのに必要はない。ウソつきばかりだ。顔を晒したくはない。組織になったら、なんと傲慢な人よ。これまで議員や役人に腹を立てたけど、人々のエラぶりに吐き気がする。こんな社会でしかなかったのだ。もう誰も何も言わない。軽蔑して喜ぶだけ。風力発電という政策は、こんなにも人々や風景を変えていた。破壊、転落、弾圧、なんと言っても言い足りない。

由良町ではh20年の初めから、被害のあるのは分かっていたのだ。役場は、事業者は、分かってやっている。各地の反対運動も同じことだ。みんな知っていて演出しているのだった。被害者はピエロか。笑いものにして消されていく。水俣でも福島でも、被害者は大変ならしい。これが日本のやり方か。かつて、こんなやり取りをあちこちでした。ある程度信用して話したつもりが、簡単に手のひら返しで拒否に遭う。「我々は土砂崩れなんだよ」と笑っていた。

スパイ工作員なのだった。憎しみの標的にされる。これまで何も対立はなかったけど、「うちは何ともないんや」と拒否されて笑われる。そんなに面白いんかい。もう全体的な結果は出ているから、安心して笑えるんやな。恐ろしい人たちよ。人の不幸が面白い。もう堂々と風力被害の症状や、被害者の顛末を書いて笑いものにする。こんなになるんやで、ということだ。由良町でも大喜びだよ。どうだ! というわけよ。

何も自慢するほどの事でもないけどな。たくさんの被害者を血祭りにして笑ってきた。風力の原理主義を見たか。