守應の破天荒な生き様については、いつか私が記録としてまとめて
守應を直接見て知っている年寄りがまだ生きていた。こんな田舎町にはとても収まりきれないエピソ
今回の担当者さんにはお礼の言葉もない。私の下手
弟の由
今、この東京の宅地がまだ残って居たらなぁ、と思う。あちこちに
質問要旨
由良守應が明治8年に購入して住んでいたという東京飯田町1丁目
回 答
東京都立図書館に問い合わせたところ、次の回答を得られましたの
1.由良守応の名前の入った地図
情報1『第三大区沽券地図(第三大区四小区)(飯田町一丁目・同
三丁目・同町四丁目・同町五丁目・同町六丁目)』(東京都公文書
https://dasasp03.i-repository.net/il/meta_pub/G0000002tokyoarchv13_0003648720001
明治6年 東京府地券課作成
清水御門前の飯田町1丁目壹番に「由良守應」の名前と「四千二百
沽券地図については東京都公文書館のフェイスブック(2020年
「江戸の約70%を占めた武家地は、本来、公儀から拝領したもの
そし
これが一段落したところで、その成果を地図に落とし込んで作成さ
https://m.facebook.com/tokyo.archives/posts/3687032591331580/
また、地図ではありませんが、当時の新聞記事に該当の住所で由良
資料1『読売新聞』1877年7月18日 朝刊4頁
迷い犬の広告記事で、連絡先が「飯田町一丁目ロ一番 由良守應」と記載されています。
明治初期の当館で所蔵する地図資料を確認しましたが「由良」の名
<その他、主な確認資料>
資料2『明治初期東京地籍圖集成 A 大日本改正東京全圖』
「實測東京全圖」(内務省地理局∥編 内務省地理局地誌課 明治12年12月校補) 「大日本改正東京全圖 1-5号」(西川光通編輯 西川光穂 明
治12年3月刊)の複製 西川光通編 科学書院 2002.6(DRT/ 290.3/ 5026/ 1 5004860108)
YM-01-04の図が該当地です。
縮尺はかなり大きいですが名前の記載はありません。
資料3『[東京全図]』辻岡文助編輯 辻岡文助 [1878](T/ 290.3/ 5256/ 1878 5003415438)
該当地に名前があるのは「大隈重信邸」のみです。
資料4『明治前期測量中央官衙街2000分1彩色地図』[日本地
1127295671)
「五千分の一東京図測量原図」の拡大複製で東京府武蔵国麹町区代
ご覧いただいたものと同じものと思われます。該当地に名前がある
等
2.土地の購入等について
情報2「東京都公文書館「情報検索システム」」(東京都公文書館
https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/
東京都公文書館の「情報検索システム」を「由良守応」のキーワー
中身はインターネット上では確認できませんが、実際にこちらをご覧いただくと土地の動きが分かるのではないかと
「由良守応雉子橋外元勧農寮用地払下云々」(明治6年~明治6年
「第三大区四小区飯田町1丁目1番地元会計官附属厩邸内地券下渡
「麹町区飯田町1丁目1番地 地主由良守応 差配人天野喜四郎 新地主高木久三郎」(明治8年~明治8年)
「第三大区四小区飯田町1丁目1番地ロ 由良守応」(明治11年~明治11年)
「飯田町1丁目1番地ロ、2番地 持主由良守応」(明治11年~明治11年)
資料5『三田学会雑誌 86巻 2号 (1993.7)』慶応義塾経済学会 (都立多摩図書館所蔵:5005287480)
p.81(221)-121(261)「明治初年、東京市街地に
p.116(256)「[表1]飯田町1丁目の地価の動向と地主
明治6年、明治8年8月頃、明治11年について記載があり、いず
明治6年については「地券御下渡願」「東京六大区沽券絵図」より
由良氏の1番地については「(記載なし)」とあります。
明治8年は「地券帳」より、また明治11年は「地価取調帳」より
こちらは慶應義塾の学術情報リポジトリでインターネット公開され
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234610-19930701-0081
資料6『都市と地租改正』滝島 功著 吉川弘文館 2003.12(T/ 345.4/ 5005/ 2003 5019216391)
p.65「表1 飯田町一丁目の地主と地価」
明治5年と明治8年の表となっており、明治5年の地番1には「租
資料7『都道府県別資産家地主総覧 東京編 2』渋谷隆一編 日本図書センター 1988.7(DRT/ 0・345/ 38/ 2
1123442527)
『東京地主案内(明治11年)』が収録されており、
p.25 飯田町一丁目一番に「千百八十五坪 由良守応」の記載があります。
また、土地の購入に関する記述はありませんが、この土地との関連
資料8『日本科学技術史大系 第22巻 農学1』日本科学史学会編 第一法規出版 1967.10(/ 5021/ N685/ N1-22
1126980402)
p.584 年表
明治5年の農村漁業生産の枠に、「五・十七 在米由良守応より送られた緬羊を雉子橋邸内で飼養」の記載があり
雉子橋は該当の箇所と隣接しています。
こちらの資料は国立国会図書館の図書館送信限定でも見ることがで
https://dl.ndl.go.jp/info:ndlj
<https://dl.ndl.go.jp/info:ndl
参考として、直前ではないですが江戸時代後期の地図で該当箇所の
資料9『復元・江戸情報地図』吉原健一郎[ほか]編集・制作 朝日新聞社 1994.10(DRT/ 0・290/ 3040/ 1127584549)
1:6500。安政年間の市街の地勢を復元し、現代の地図と重ね
資料10『元治再刻飯田町駿河台小川町絵図』金鱗堂尾張屋清七 慶応元[1865]再刻 切絵図 (特別文庫室所蔵資料:東0412-008)
当館作成「TOKYOアーカイブ」で画像が見られます。
https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000013-00042242
※資料名の後ろの()内は、特に断りの無いかぎり都立中央図書館
インターネット最終確認日:2021年6月9日
以上、東京都立図書館の回答を引用しました。
資料1『読売新聞』は当館の新聞データベースで閲覧・複写が可能
資料4で「ご覧いただいたものと同じ」と記載されているのは、当
・五千分の一東京図測量原図:東京府武蔵国麴町区代官町及一番町
https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/map_detail.php?id=002275675-0020
・東京全図(1892年)「仏国公使館」
https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/map_detail.php?id=000903708
※どちらも国際日本文化研究センターの所蔵地図データベースより
https://lapis.nichibun.ac.jp/c
資料6、8、9は当館で所蔵があります。