私が風力発電の被害問題に関わってから3年半経った今、私は皆さんに伝えなければならないことがあります。
報告の義務があると思っています。
そのうえで、皆さんの考えなり、ご意見なりを聞かせていただいて、今後の判断にしていきたいと思っています。
確かに、平成23年から24年にかけては、被害地域では、被害の声を声高かに説明する人が多くいました。
2月25日に、日本気象協会が事後測定説明会をしたときの新聞記事を見れば明らかです。
松浦さんが由良町へ来たのは、平成24年の夏になってからでした。
「もうすっかり出来上がっているな」という感想でした。
私も、事業の地域対策が強烈なおかげで四苦八苦していました。
さらに、低周波音の被害にあうと、その人の性格が変わっていくようだ。という現象にも気付きました。
それぞれに変貌していくんですが、共通するのはヒステリックに赤ら顔になり、目をギョロつかせて何か叫ぶように言葉を発する、
感情的になるということです。また、陰湿な作り話や嘘まで聞かされたものです。
私は今、町会議員2期目ですが、これまで3度、選挙を経験しました。選挙に立候補すると分かりますが、大勢の人から見られることになります。
しかし、この逆もあるんです。それぞれの人のことがよく見えるようになります。
支援か否か。ハッキリと分かります。辛い瞬間です。この試練、苦難を乗り越えてこその議員だと思います。
そして、被害者たちの変わっていく有様です。
当初は皆、正直に被害を訴えていました。ところが、1カ月、2カ月、3カ月、もすると、地域対策で誰もが言葉が少なくなり、ものを言わなくなりました。
私は、風車の低周波音で酔っているんだろう、くらいに軽く考えていました。
私も被害者ですから、低周波音被害の苦しさは、人並み以上に分かっているつもりです。
その内に、何か変化して、苦しまぎれに事件が起きるだろうと思っていました。
現実は、汐見先生の時もそうでしたが、私一人の発言かのように、排除していました。
たくさんの理由を、あちこちから聞かされたものです。あっ、その話は役場で聞いたわ。というように。
マニュアル化された対応でした。人間は、順応していくものなのだ。
低周波音の被害には、慣れることはないという。
しかし、社会環境に対しては、たとえそれが強制されたものであっても、適応していくものだ。
人は変わることができる。変えることができる。大体が強い方に味方する。そして一員となる。
私は元来、内気で人付き合いの少ない人間です。それでも、たまに世間の人と話をするとき、なぜ被害があって苦しいのに、そのことを訴えないのか、という話をすることがあります。
噂では、「利便をはかってもらっているんだろう」 「何かつながりがあって、言えないんだろう」 と簡単に理由にすることがあります。
本当にそうなのか。
頭が痛くて、目まいがして、頭がワンワンとして、耳が痛くて、首が痛くて、体がしんどくて、神経がやられて、どうして、この被害の苦しさを、言葉にして訴えないのか。
どうして、率直に言えないのか。
そのことの歯がゆさ、ふがいなさ、疑問がいっぱいです。何か勘違いしている。錯誤、思い違いをしているとしか思えない。
行政や事業者は手段を選ばない。地元や関係者の協力も多い。
しかし、私は支援に窮しています。
私は一人、気楽な生活をしているが、ほとんどの人は守るものが多いんでしょう。
一昔前と違って、生活、仕事、価値観は多様化して、共通した繋がりがあるとは思えない。
しかし、人々は、畑地区は、地域社会は、と、さも自分が義務を負っているように、それぞれが誇らしいことのように考えている。話している。
地域のつながり、って、本来、そんなものではないでしょう。
まさに根拠のない、架空の、空気を信じている。自信を持って話すようになっている。何が誇らしいものか。
私には、彼らの盲点を、思い違いを正して、言い聞かせる術がない。力不足だった。
彼らは、間違った、誤った自己正当化と自己陶酔をしている。低周波音に酔っているのかもしれません。
被害者というよりも、むしろ、風力発電ができたことで有難いことだという倒錯に落ち込んでいるのかも。地域の一員として、自信を深めたのだ。
この問題には誰も触れてほしくない。由良守生は関係ない。ワシらは地域と一体だ。すべて役場に任かせている。
彼らの変わってしまった心の有り様を、酷い低周波音、空気振動の中で生活している現実を、理解させる方法が見当たりません。
これは私たちの問題です。「貴方に関係ないんと違うの。役場の人が怒っているで。」こういう状況です。
慢性疾患。社会の根本が病んでいるのではないでしょうか。