風評被害というレトリック

「本当は土砂災害なんやで」と各地で聞かないか。物識りを自慢するように、薄笑いを浮かべてそう断言する。コイツは何者なんや、と私は心に突き刺さる痛みを感じていた。それぞれの風力発電の地域では必ず低周波音に苦しむ人がいる。フィンランドの被害調査報告書では15㎞離れても、風車病独特な倦怠感や頭痛に遭う被害者がいたという。有害な低周波音を測って見たら分かるんだよ。

2019.2/22日~3/26日のページにかけて、小林芳正教授の解説をアップしているから参考に見たらよい。これが現実だ。風力の地域対策に迎合する人は多い。国策だからね。権力の手先になって、優越感に笑っているつもりらしいのだ。環境運動の仮面をかぶって、子や孫に、今の自然を残して行こうという。それが風力発電とどう関係するのか。メガソーラーはそれほど有り難いのか、と受け売り言葉の繰り返しに閉口する。

彼らには、何を言っても通じない。風力ファシズムが出来上がってしまっている。社会実験として、由良町の閉ざされた地域社会で何が行われたのか、私にもっと分析能力、作文力があればと残念だよ。大変な殺人事件に人々は狂喜した。私はすぐに全国にこの惨劇を伝えて、助けを求めたつもりだったけど、誰も反応しない。ニセモノばかり、ペテンの環境運動、お花畑があるばかり。

いや、それらはエセ原発反対と同じで、環境運動に頬かむりしたスパイ工作員のたまり場であった。あたかも心配そうに風力反対と言っているかと思えば、全然、議員や学者を担ぎ上げて、「風力発電には反対ではありません」とやっていた。山岳信仰で、山の上に祠があれば、それを撤去してまで風車を建てるからね。信仰も文化もないわな。地域の歴史とか、これまでの生活の有様を否定するのだ。

破壊活動だよ。たまに風力計画を残念した地点もあって、それぞれに真っ黒な悪意というのか嫌悪を向けられた。私のような風力被害者に対する差別心、汚らわしいという信条だ。これはどこでも共通していたね。「関係ない」そう言うんだよ。風力推進の嵐の中で、賛成・反対に関わらず、すでに被害に苦しむ者に対する優越感は別格の笑いを伴っていた。こんな感情は世界で日本だけやで。

昨日、3/22日には水俣病の裁判で棄却の判決があった。すでにドロドロやからね、部外者の私がモノ言う隙間はない。ここでも市民活動、環境運動の仮面をかぶった人々が地域対策の主力になっている。実はな、風力被害を否定するお花畑は、これが原点やろ、と思っている。水俣病に関わり、活躍した人でもとんでもない人がいるからね。風力反対には電磁波を言いなさい、とかね。

その人の本を読むと、とうにオカシナ発展を遂げていることが分かる。今も水俣病は対策されている。知っていたよ。原田正純の本には「まだ水俣病は終わっていない」と書いてある。地域を挙げて、国家権力で、ボロクソに弾圧されていたのだ。優しい言葉、なんてウソばっかりよ。これは熊本独特の精神風土なんか。これからTSMCの半導体製造が始まる。公害付きなのに人々は大喜びだ。被害は認められない。

分かっている人もいるだろうにな。私は『風力発電の被害』を書いて、直接的な弾圧の嵐を明らかにした。どこでもやっていることだから特段珍しいことではない。だから、だろうか、各地の風力被害地からは何の音沙汰もない。むしろ嫌悪の言葉とか、「キサマを訴えてやる」なんて怒りの声を聞いてきた。環境省が書くように、まさに精神疾患のものよ。被害者になるとロボットになって皆そのように作り上げられるのだ。

海外の常識では考えられない、まるで正反対な虐待が繰り広げられる。人々は大喜びさ。生贄、磔、獄門、日本人も悪いやないか。死んでいった被害者たちは、それは水俣も福島もない。何か日本人の価値観で、大切な人間性が否定されている。「アホよら」と笑うからね。私がよく紹介する海外の風力反対の怒りとは、全然違うでしょ。人ではないんだよ。もし、日本人が、そんな海外の風力地域でそんなこと言ったら殺されるで。

それほどに過激化しているんだよ。それが面白いと手を叩いて笑うからね。単なる洗脳、社会コントロールでは済まされない。殺人者としての自覚がない。それが恐ろしいかな。今や「黙殺の音」、低周波被害者の会、谷口愛子さん、などと言っても話は通じない。タブー、ヘンな人、関係ない、と散々な排除になっている。やはり日本社会は危険な世界にハマっている。風もないのに風車が回っている。

低周波音、風車病で目まいがする。息をするのも苦しいんだよ。そんなに面白いかい。いずれオマエも別な所で分かるだろう。