理性は日本人を救うのか。

水俣病の本は有名で、今もたくさんの人が、そこで何が行われたのかを知って「ワッ」と驚いている。45年前、私が新潟の長岡技大にいたころ、全国的に公害が問題になっていた。新潟県にも水銀被害があって、新潟水俣病と言われている。この言い方もヘンよな。世界では、ブラジルのアマゾンの水銀被害も水俣病だと言っている。つまりな、「ミナマタ」は世界用語になっているのだ。ヒロシマ、とか、フクシマ、とかね。

日本を代表する言葉の数々には共通した日本独特な現象がある。私が風力被害を訴え始めた時、「コラボでやりませんか」とある若者に言われたことがあった。こっちは必死になって戦っている最中に、なんという失礼な! と一瞬怒りを覚えたものよ。しかし彼に言わせれば、「公害はどこも同じでしょ」、と言うことだ。水俣にしろ福島にしろな。それらの町の議会を見たか。惨憺たる有様やないか。これが日本の民主主義、住民たちの反映なんやで。

日本人はそれを常識だと信仰している。敬っているのだ。しょせん日本人とはそのレベルでしかない。もし、水銀被害を訴えたら迫害・弾圧の懲罰が加えられる。社会的な制裁だ。粛清よ。日吉フミコの本や、原田正純の本を読むと、本当にこんなことが許されるのかと驚愕するで。日本とはこんなものなのか、とな。今、その近くの菊陽町にTSMCの半導体工場ができる。ピカピカの公害企業だ。原発みたいなものかな。

被害が分かっているのに、日本中からたくさんの人が押し寄せているという。産経新聞には毎日のようにその宣伝記事が載せられていた。煽ることよ。被害の事は何も書かない。カネが大切らしい。反対する人がいてもよさそうだけどな。実際はそんな気配もない。人々は大喜びだよ。たぶん日本中の敏感な人はその結果を見つめている。社会実験じゃあるまいに、聞き取り調査に行く奇特な人もいるだろう。警察に逮捕されるで。

前ページでは、マンガに描いた環境運動のアホらしさを紹介した。「あの人たちは何者で、いったい何を目的にしているのか、それを知ることが先決でしょ」と言われていた。環境運動が被害隠ぺいのトリックにされていたのだ。お花畑と言う。そんなことは常識的に誰にだって分かるわな。私でもすぐに気が付いたけど、由良町の風力被害者でも、最初はそんな話に反発の声を聞いていたんだよ。ところが谷口さんからの電話で、「被害者を集めて考える会を作ったよ、ワッハッハッ」と言ってきた。

「由良さんは一人で門前地区でやったらよい、私らは畑地区の人たちと頑張っていく」と追放宣言だった。その結果が2019.2/7日のページにアップされている1hrの録音だ。地獄の底で這いまわる彼らの言葉が恐ろしい。聞き取りにくいけど、要所要所の言葉を拾い集めると、弾圧とは何かがよく分かる。私は関係者(❓)なので彼らの様子が手に取るように分かる。とても辛い。しかしな、一般の由良町民は面白いと言って笑うんやで。

アホよら、とな。恐ろしい社会やな、と思うのは私一人なんかい。他にも2018.1/22日、1/20日のページに谷口さんの録音がある。誰も同情も助けようともしない。この辺の社会心理が、恐怖やと思わんか。実に、他の公害でもこんな塩梅なんやで。各地でやっているペテンの風力反対を見るがよい。マンガの内容と全く同じでしょ。土砂崩れが心配、川の水が濁る、水源地がある、等々、どこにも低周波音の被害、風車病の言葉はない。

もしあったとしても付けたしの「ツイデ」になって無視される。アホにされまくりよ。それが彼らの目的であった。行政や政治、事業者と連携して楽しくやっているのだ。由良町役場で見てきたからね。周辺の町でも全く同じ構造だ。問題は、誰もそれを指摘して「止めろ!」と抗議しないことだ。たぶんどこかに事情を知って悲しむ人がいるかもしれない。被害者の中にも、私と同じように不条理に反感を抱いているものもいるだろう。

何も言わなかったら、それは「ない」と同じ事なのに。それが無事だと信じ込んでいる。言葉は既に通じない。意味を持たないのだ。「何がいいのか、悪いのやら」とか言ってな、人ではなくなっていた。もともとが思考も思想もない人やったんやで。私一人が「それは違うでしょ」と言葉にして訴えている。日本では私一人なのが面白いかな。一人舞台だよ。ニセモノはたくさんいる。環境運動家なんだってさ。

h18年の東伊豆町に集まった悪党リストがあるから、その後、この連中がどんな悪行を繰り返したか聞いてみたら面白いで。タダのオチョクリよ。風力のコマよ。しかし風力被害の否定の一環として機能してきた。日本人て、なんてアホなんや。カネ儲けのダシ、鴨葱、人とは見なされない、風力発電の被害の実態を確信する。たくさんの環境運動家が由良町に来ているから、きっとワンダーランドなんやで。動物園とか。