風力発電の被害を明らかにしよう。

由良町の近隣で、自称「考える会」とかいう地域対策が行われている。h24年に、谷口さんや私が、それぞれに被害状況を聞きに行っていた。他にも由良町の風力被害を伝える人がいて、意外な場面で、掘り下げた被害者の苦しみ話を聞くことになった。知っている人は知っているんだ、いくら秘密にしても、隠蔽対策しても、人の口に戸は立てられない。単なるうわさ話じゃない。風評被害でもない。

印南町でも深刻な人間破壊が行われていることを聞いている。初めから私は拒否されていた。日高川町でもな。念の入り様よな。これも私以外に、たくさんの環境運動家が出入りしていたという。もちろん彼らは環境運動しているんだよ。被害者のために、何か言うことはナイ。あざ笑いだけ残していく。どこでもそうだけど、風力被害者は社会的に弾圧を受けてさらに狂っていく。

ヘンな人になるのだ。それが面白いと人々は言う。キチガイや。昔あった光化学スモッグで鼻水垂らして泣いている被害者みたいに。弱いんだよ。もう人じゃない。優越感で一杯かい。キミは勝ったんだよ。私は彼らにそう言っていた。前ページには、メディアの情報統制と、心理トリックの罠を書いた。人の心理操作の常道だ。何も知らない人々に対して、少しだけ必要な事実を書いて慣らしていく。

【土砂崩れ】とか、【河川の水】とか言ってな。意識を誘導していくのだ。言葉に間違いはないけど、問題の核心ではない。真実の被害が見事に隠されている。果ては、生まれつき耳の内耳に障害のある、その人自身の病気、責任だという。水俣病でもそう言いましたな。そんな御用学者を、ワザワザ日高町まで呼んできて宣伝するんやで。可笑しいと気が付く人もいただろうにな。専門家だという。

これも手垢のついた真っ黒な地域対策だよ。黒を白と断定する。こんな魔法が日本には堂々と罷り通る。人々は大喜びだよ。被害者は、結局、生贄の儀式に消されていく。嫌悪、蔑視、差別の対象だね。よく私の事を「同和だろ」と言ってくる環境運動家がいる。お花畑とはこんなものなのだ。それで各地の自称「考える会」は被害者弾圧の組織なんだと理解する。「ヘッ、ワシらは土砂崩れなんだよ」と言ってくるからね。

私の家柄自慢は、とても恥ずかしいけどこんな理由がある。由良守應の昔話は、私の名前の由来だから心の支えになっているかな。近所の古刹、開山興国寺は虚無僧の寺として南朝の復興に利用された。源実朝の墓があるのにね。我家には「笛吹になるな」とキツイ言い置きがある。古いとてもいい音色の尺八が残されている。けど。風力発電の被害を通じて、人の有様、社会の仕組みがよく見えた。

仕組まれた罠に、人々は簡単に迎合する。オウムになって受け売りの言葉を繰り返す。人は同じ言葉を同じ順序で話すのだ。まるでロボットやな、パロットな、(parrot)と言うけれど、同じ言葉、同じ価値観を共有することでヒトはこんなにも笑顔になれるんや。「ウソ言っている」「悪い人」、「誰も何も言うてへんで」、それで役場の言うことが正しいというのだった。由良町の周辺の町の人でもそうなっている。

隣町の従妹たちに聞いてみても、まったく反応しないように設定されていた。せっかく私の書いた『風力発電の被害』を渡して説明したのにね。反応してはならないのだった。広川町でも日高町でもな。もちろん低周波音被害の事は知っているだろう。それでもダメなのだ。沈黙の無視。これが親類か、と思ったよ。風力被害者はどこでもそうでしょ。家族の誰も味方になってはくれない。アホにされて終わりよ。

厄介者、死んでくれてセイセイする。人の意識は根底から支配されていたのだ。また、被害者でさえ、私を憎み拒否することが決められていた。これもロボット化よな。地域対策とは、そこに住むすべての人に意識改革、ロボットになることが決められている。例外はない。全国の風力地域を見回してみろ。誰か低周波音の被害で、何か言ったか。h24年の当初にはたくさんあった風力被害者の声はどこにもない。

徹底した弾圧の成果だよ。見事やないか。それに対して海外では風力反対が烈しさを増していく。誰が被害に遭うか分からないし、自覚症状なしに癌や脳梗塞で死んだら堪らない。悪魔、ゴーストに憑りつかれるという。日本の被害者弾圧政策とは正反対だよ。風力裁判では、ハッキリと「アンタ一人でしょ」【低周波の法律はない】と断言された。それがどうした。たくさんの人が助けを求めて訴えて来たでしょう。

警察の悪いことよな。下関の風力裁判では罰金1500万円、懲役三年(執行猶予)だとさ。人々は大喜びだよ。とくに由良町ではな。由良守應も牢屋に放り込まれたからね。江戸時代の安政の大獄、蛮社の獄と変わらない。人々の意識、反応も同じ有様を見る。「守應は刑務所に行っていたんやで」と言って笑いものだよ。アホらしくて、日本人はこの程度かと溜息にもならない。やはり日本人に民主主義は無理なのだ。

そんな事は明治維新の時、分かっていただろうにな。社会の有様は何も変わっていないということだ。s57年の西名阪自動車道の香芝高架橋の低周波被害訴訟では、汐見文隆医師と小林芳正教授が活躍した。これが原点だと考える。対策されたんだよ。そこに参加した人たちはコテンパンにやられた。所詮は時代の波か。いや、日本人に自覚がなかっただけだと見る。企業倫理も技術者倫理もなかった。

被害者の否定は、水俣病と同じだ。福島の被害は、誰も書かないね。触らぬ神に祟りなしか。今やこんな日本人論が世界名物になっている。ミナマタ、フクシマ、ヒロシマ。風力被害は何と言うんだろうかね。日本全土を覆っているから、ついに日本の本質的な風土が明らかにされる。人の不幸が面白い。嘲笑い、蔑視、関係ない、アホよら、という。戦争やっている世界から見ると、まだまだ平和なんか。

そうは見えんけどな。もうすぐ南海地震が来る。助け合いも何も、その時にはさらに日本人の持つ「関係ない」精神が明らかになる。もうすぐだからね。