風力発電の惨禍に気が付かない。

風力発電の被害とは何か❓そのことを分析してきた。有害な低周波音、国策による被害の否定、被害者の弾圧、社会の情報コントロール、心理操作、支配の実態等、それは目くるめく災厄を経験してきたものよ。h23年、被害当初、たまたま町会議員として役場に出入りする機会に恵まれた。内気で小心な私が、ソロリと由良町内を聞いて歩くこともした。随分と成長させてもらったかな。

反発とか、罵りとか、非難されることばかりだったと思っている。もともと先祖の言い置きには政治に出てはならないと言われていたからね。私は禁を破った。個人的な事情があったし、親父の後押しもあった、から。計4回立候補して、2勝2敗の有様よ。選挙して見ると社会の事がよく分かる。やって見れば分かる。多くの人から見られるけど、私もまた厳しい選挙戦でその人の有様がよく見えた。

とくに風力被害を訴えたことで、『民衆の敵』として、人々の嫌悪の的となっていた。アレアレ、なんでやろ、と思ったよ。肝心の被害者たちは苦しみながら死んでいるくせに、被害を訴える私を拒否していた。その過激な言動に私も驚くしかなかったよ。もう大体が死んでしまっているし、年取って呆けた状態だ。それでも私に対する敵意は変わらない。私の住む門前地区は、やはり特別な対応を見せられた。

すべて親父から聞かされていた通りで、こんなにもダメなのかと我が家の歴史を振り返る。かえって、自分が何者であるのかよく分かったけどな。エシミ(羨み)だという。差別の厳しい地域だから余計に恨みが募る。150年前の由良守應の追放の罪状にも差別事件が書かれていた。身分社会の江戸時代に、何が差別だよ。「お上」とはこんなものなのだと意味が分かったかな。守應の場合はもっと深い社会的な理由がある。

明治維新の深い闇がある。実は今も隠し財産、小判、金貨の箱を探している。武家は基本、何もないけどな。個人的には、私は突っ込みどころがいっぱいあって、噂話に事欠かない。人物破壊という地域対策には、格好の的となっていた。ただ、畑地区の悲惨の被害者たちに比べればまだ生きてモノ言っている。人々の楽しみ、レジャーにまで被害者イジメは舞い上がっているけど、何とか息しているからね。

生きるので精いっぱいか。先祖伝来の自宅にしがみついている。これがまた人々の癪に障るらしい。羨ましいんや、と。そうかな❓ 田舎社会のシガラミに、アホらしくてとても相手になる気はしない。どうしても彼らには風力発電の被害が分からないらしいのだ。有害な低周波音の被害に苦しむ人でも、なんやかんやと、訳の分からないこと言っている。すでに人ではない。

そんな事はh23年度の環境省の報告書の通り、「精神疾患のもの」だ。あるいはプラシーボだという。気のせい、思い込み、だという。「ウソばっかり言っている」人々はそう言って笑う。アホにしまくりよ。その過激さが弾圧であるのは重々、知ってのお楽しみだ。地域の人々による被害者への迫害、弾圧、ホロコーストだ。被害者が死んだら喜ぶことよ。理由があるんだよ。魔法の呪文が仕掛けてある。

「関係ない」とな。私は海外の風力反対、抗議運動を紹介しているけど、どうしても日本人には伝わらない。理解ができないんだ。生贄が楽しいのだ。それが政治、行政、警察、風力ファシズムとなって保障される。地獄の風景なのに、とても楽しいレジャー感覚として被害者を叩きのめして笑いものにする。こんな社会崩壊もないわな。ところが人々にはこれが秩序だと信じ込む根拠になる。倒錯よ。

自分たちも被害者かもしれんのに、それが絶対に分からない。心理トリック、見事な魔法が地域社会を覆い尽くす。ハリウッド映画の暗黒世界だよ。それが人々には、どうしても楽しいパラダイスに見えるらしいんや。人が苦しみ狂い死んでいく。こんな現実に手を叩いて笑いあう。もはや異常なんて言葉は通じない。「オマエ一人で言っていろ」と吐き捨てるのだ。人間とは何か。社会とは殺し合いか。

風力のデモンストレーション、演出は人々をすっかり虜にしてしまっていた。【土砂崩れが心配です】と繰り返す。だから反対なんだと喚き散らす。えー、それどういう意味? 環境運動家は自信たっぷりに、「ワシらは土砂崩れなんだよ」と同じセリフを繰り返す。まるでオウム、ロボットのようだ。タダの地域対策要員だからね、道徳も倫理も、人の心さえない。被害者は人ではない。

別種の類人猿みたいな「私たち」ではない。インディアンとかアボリジニ、と言ったら分かるだろ。それら土人でさえ「私たちを殺さないでくれ」と言っている。日本の風力被害者は「私たちは風力発電には反対ではありません」と決められている。狂っているから当然か。日本には各地に酷い公害があったから、水俣や福島の惨劇を見たら、それがどういうことか分かるだろ。風力被害もまったく同じ公害なんやで。

日本人は、なんでこの冷酷な事実に気が付かないのか、理解できないのか、それが不思議な現実よ。由良町の人に、添付写真と資料を見せても「関係ない」という。誰に話しかけても答えが決まっている。烈しい感情をぶつけられる。これが役場か。これが地域社会か。これが日本人か、とな。新しい人よ、こんな悲惨な日本人論は捨ておいて、新しい日本社会を作ろうぜい。世界常識に恥ずかしくない日本人を目指そうやないか。