風力発電の譫妄(せんぼう)

風力発電は一般には風が吹いたら発電していると思われている。日本では30年前ごろに、竹下登内閣の時、ふるさと創生資金1億円で、シンボリックな風力発電を計画する市町村が多かった。その時の担当者はまだ生きているから聞いてみたらよい。実際に風車を建てた自治体はすべて失敗している。初めから電気モーターで回す観光風車にしていたけれど、すぐに壊れてしまう。風で発電なんて、とても無理だったのだ。

技術的に未熟で技術者がいなかったのか、そんなことはない、技術立国として繁盛していたやないか。日本製の車が世界を席巻していた。公園などに設置された風車はすぐに撤去されてしまう。証拠隠滅だ。それから環境省や経産省の主催で、何度となく風力発電の実証実験を繰り返して、すべて失敗している。予算の消化が目的としか思えない。福島沖の洋上風力は600億円の予算消化と、50億円の撤去解体費があった。

無駄遣いというより、税金の略奪よな。稼働率が3%余だと書いてあった。凄まじい失敗劇だ。それまでも各地で作っては取り壊し、を繰り返しているから、担当者の目的意識は何だったんだろうか。東大をはじめとして大企業が参加しているから、怖いものなしか。濡れ手に粟の利権がある。莫大な資金が闇に消えている。誰も検証しないし、批判もない。波が荒れていたから近寄れなかったとか。

陸上風力でも失敗ばかりだったでしょ。やがてアメリカやヨーロッパから低周波被害のニュースが入る。環境省の被害否定の報告書に驚いたものだよ。納得してもらうとかさ、窓には厚めのカーテンを引き、雨戸を閉め切ってシャドウフリッカーを防げとか、無茶苦茶な文体にして踊っていた。あの悲惨な報告書や指示書を見て保管している人もいるんでしょ。

そして実際に被害者が苦しみを訴えても、それを否定する仕組みを構築していた。地域対策、考える会、警察、裁判所、国を挙げて行政も政治も舞い上がっていた。明日では間に合わないという。それで今、間に合ったのかい。タダの狂気でしょ。町長も議員も、県議員や国会議員も、誰一人風力に反対する者はない。せいぜいが土砂崩れが心配です、という程度だ。これも心理トリックで風力被害者を叩きのめす効果があった。

風車が大事なのか、そこに住む住民が大切なのか、何のことやら分からない。住民の意識変化として、被害者に対する弾圧や差別が推進される。みんな大喜びさ。とくに被害地では低周波音が覆っているから、気分的なヒステリックがある。悪党は活き活きとして喜んでいた。笑い声をあげて【アホよら】と歌っていたよ。この悪意が地域を支配する。その地域の人による被害者隠蔽の陰謀だ。

私は総スカンの議員選挙と風力裁判で、その人たちの正体をこれでもかと見た。エライ目に遭ったけど、いいもの見せてもらった。実際に多くの人が低周波音に苦しみ狂い死んでいる。人間破壊が、現実にあった。タブー視する。何もない町だから、イベントのようにして悪口にして楽しむ。被害者どうしで泣き合ったとも聞く。こんな面白い話もない。もともとがそんな地域なのだ。

私の住む門前地区なんかは、もっとすごい有様だった。親父や祖父から聞いていた通りの世間が牙をむく。ワッ、怖いこと。畑地区と同じで被害者がいて苦しんでいる。私だけの被害じゃない。それでも私を敵視する。憎しみに燃え立つ人々の怨念を見せられた。それほど私が憎いか。まるで悪の権化になって笑われていたし、皆喜んでいたようだ。役場の扇動だけではこうも行くまい。

もっと根の深い心理作戦が展開されていたと見る。家族の一人が苦しみながら死んでも否定するんだもの、異常心理よな。全国、どこでも同じ被害でしょ。日常の譫妄(せんぼう)に変わっていくか。添付の記事は、『死に山』P325、326の記述だ。風力被害の文献では、あちこちに引用されている。日本には紹介されないから情報コントロールされている。と云うか、日本では低周波被害は否定されているから意味の持ちようもないか。

どちらが正しいかは世界常識がある。役場や環境運動家のアホを見ないか。日本には低周波被害はない。風力の被害など聞いたこともないという。世界中の笑われものよ。日本では総理大臣に至るまで口パクにされている。オウムのように環境言葉で風力発電を賛美する。催眠術よな。集団ヒステリックだよ。とくに風力発電の出す低周波音は有名だから、余計にその狂気の原因に踏み込んでいく。

日本人の空っぽさ、精神の希薄、意思も思考もないのかと驚いている。国を挙げて再エネだという。自然エネルギーの活用だと言っている。山々の樹木を剥ぎ取り、太陽パネルを敷き詰める。人間感覚として、広大な自然破壊を見ないかい。原発も悪いけど、風力やメガソーラーもな、公害でしかないで。私は由良町で一人、低周波被害に苦しみながら抗議の声を上げている。誰も味方になるものはない。

剥き出しの敵意を見せて笑っている人々がいる。これが世間というものだ。それとな、被害者同士が結びつくことはない。策略もあるけど、人間破壊されるんやね、内的にも外的にもな。哀れな被害者を見たんだよ。君に危機感は無いのかい。ただ笑って見ているだけ、あるいはアホにして喜ぶか。私に「関係ない」と叫びに来ないだけまだマシか。