fictionとfantasyと

たまたま業者のサイトに由良町の風力写真があった。ナセルから撮ったものだろう。部外者にはできない風景だ。麓には民家が見える。山々の尾根が、こんな形に工事されていたんだと驚く。雨司山には祠があって神さんを祭っていたからね。ここからは50㎞離れた和歌山城が見えたと言われている。昔は山中にたくさんの里道があったんだろう。

小学校の遠足で登ったことがあった。フィクション(虚構)からファンタジー(幻想)か。私はダム建設ラッシュの頃を思い出す。やがて脱ダム宣言が意識される。「仕事が欲しいんです」ということか。近所の印南町では、ダムと風力の二つともやってしまったから魔界の嵐よな。梅干しが有名で、毎年梅干しの盗難が記事になる。

樽のまま盗まれるというから関係者の仕業よ。由良町でも、刈ったばかりの、脱穀前の稲束が盗まれる、と笑っていたことがあった。盗られる方が悪い、らしいのだ。山々がこんなになると、山に対する畏敬、恐れがなくなるわな。何のために? と思わないか。たぶん発電の役には立っていない。関電に資料があるだろう。極秘になっている。企業秘密だ。

全国どこでも同じことよ。風力建設の時に、地元合意の文章が残されている。各地区の区長さんとの議論と承諾がある。もちろん作り話だ。田舎者の百姓に風力発電の実態が分かるはずがない。すべてマニュアル通りの書類が残されている。これも一般には見せてはもらえなかった。それらの区長さんは「被害はない」と言い張っている。

どんなに話したところで受け付けてはもらえなかった。私の住む門前地区でもな。ひどい話さ。低周波音被害、風車病が風力被害の核心にある。しかし全国の自称、風力反対のアホどもは、絶対に風車病、被害者の言葉は出てこない。元々が環境運動家で工作員だからだ。行政や環境省と「お話」が出来ることが自慢らしいのだ。彼らの目的が何であるのか丸見えだ。

ピエロだよ。被害に苦しむ者をあざ笑うのが楽しいのだ。吐き気のする連中よ。その上で、こんな風景写真を見ると、巧いこと言うな、と彼らの悪意に感心する。たしかに自然破壊だし、土砂が下流に流れていく。巨大な風力発電が林立する。田舎の素朴な信仰心、お祭りなんか遠い過去の彼方だよ。人の心は荒むわな。風力発電は精神を破壊する。

伊豆や伊方の被害報告書にも、精神的に変化していく有様が書かれていた。被害感はなくとも、性格が変わっていく。それでもそこに住み続けるんだから、よっぽど辛抱のいることだろうて。谷口さんだって、由良町に帰ってこなければまだ生きていられただろうにね。本当によく電話してきて愚痴を聞かされたものだよ。最後の時までな。

私への悪口の数々はさておいて、人々はなんで風力発電に疑問を持たないんだろうね。幻想でしかないのに、再エネだ、自然エネルギーだ、風力だ、と言っている。風もないのに風車が回っている。普通に考えればオカシイと気が付くだろう。インターネットの天気予報にはいつも風力が書かれている。そんな微風で巨大な風車が回るはずはないのに、誰も気にしない。

風力発電のとこだけ強風が吹いているのか。そんなことあるはずがない。写真地図でも風力発電はすべて消されている。誰も不思議とも何とも思わない。心理コントロールの策略に、誰も抵抗できないんだよ。大本営の発表でしかないのに。風力発電は金儲けのダシだ。そのために法律まで作って被害者を弾圧して黙らせた。地域対策も酷いものだった。

それが全国展開している。全国大会だというのだからアホらしくて、日本人はどこまでおめでたいのだろう。SDGsの魔法は見れば分かるだろう。サステナブル、ってさ、カルトのマントラなんやで。何がウソで、何が本当なのかを見極めようやないか。騙されっぱなし、やられっぱなしでは、社会が持たない。あとは転落だけやで。風力発電に反対しよう。被害に抗議しようではないか。