h18年の東伊豆町の風力事件から、全国的な風力被害を紹介してきた。とても私一人では対応できないし、由良町の被害ですら、コテンパンに排除されてきたことは誰に聞いても同じ答えが返ってくる。後悔はない、かな。もし、あのまま黙ってしまっていたら、タダの笑いもので終わっていただろう。苦しみながら死んだ被害者たちは、死人に口なしよ。冷酷な被害状況を説明したつもりだ。
これが日本社会か、社会の秩序なんか、と反抗しているのは私一人になっている。民主主義という、いや、今や誰も風力に反対する人も、苦しみを言葉にする奴もいない。私をあざ笑うだけになっている。憎しみ、敵意を見せて笑っている。相手が違うだろう、と言っても通じない。すっかり魂を抜かれているし洗脳が出来上がっている。強烈な低周波音の暴露がある。精神被害、社会的な圧力、社会運動にまで昇華する。
アホよら、関係ない。いつものスローガンを聞いている。私は「民衆の敵」。こんなに風力一色に染め上げられるんやね。東北でも北海道でも、カルト、邪教になって【風力日本一】とか言っている。今さらのように御用学者を担いでノボセている。地域対策が連続している。みんなが連携して繋がれているんやね。自己家畜化していく様子も見ただろう。由良町で、同じ社会コントロールを見てきたから。
その社会変化に、なぜ日本だけ反抗する人がいないのかと訴えてきた。ドイツでもフランスでも、どの国でも烈しい風力反対をやっている。何が悪いのかも、世界共通の価値観がある。日本だけ違うんだ、と云うんだから、政治も行政もニセモノだわな。ナチス運動みたいな現象よ。私は風力裁判にかけられたから、警察や裁判所のアホらしさも経験した。畑地区の風力被害者だった谷口愛子さんは警察じゃダメだから検察庁に掛け合うことにしたと言っていた。
嫌がらせ、圧力が強められていた。その検察官の酷いことよ。「懲役刑にしてやろうか」ヤクザの脅しよ。私は先祖の由良守應が安政の大獄で牢屋暮らしをしていたから、明治になっても宮城の刑務所に行っていたから、へーえ、と検察官の正体を見極めた。幕末も明治も、お上意識は変わらない。我家は南朝方で戦ってきた歴史がある。権力とは真っ黒けや。下関市の風力裁判は有名で、罰金刑と懲役刑(執行猶予)になっている。
守應は伊藤博文などと仲が良かったと聞いている。弟の渓五郎は長州藩士200石になっている。奇妙な政治戦を聞いている。それで私も真似して、山口県の人に話しかけてみた。「風力の被害など聞いたこともない」、何人かの長州人からそんな暴言を聞いた。オマエを訴えてやる、とまで言われたよ。山口県にはたくさんの風力被害者がいて苦しんでいると聞いていた。その顛末が、私に対する罵声だった。由良町と同じや。
東北地方でも北海道でもな。つまり日本では、私の主張する風力被害は、【人々の憎悪・嫌悪】として返されてきた。相手は風力発電だろう。それがなんで私を恨むことにすり替わっているのか。言葉のすり替えは、「土砂崩れが心配です」と同じトリックだ。アメリカでやっている「OFF SHORE NOT ONSHORE」(海に作れ)と同じことか。いくら遠浅でも、海岸に作られたら悪いらしいけどな。
漁師はカンカンに怒っている。ところが日本の漁師、漁協は大賛成だ。原発じゃないからいいんだって。和歌山の漁師もそう言って笑っている。私に敵意を見せながら「1㎞先は公海だ」と言っている。西海岸だから凄いことになるで。頭のイカレタ漁師相手に、もう御免だからね。百姓もダメだけどな。ここでも身近な人々が完全に洗脳されている。せっかくの砂浜、海岸を埋め立てて、造成した敷地に太陽パネルを敷き詰める。
採算なんかない。何のために❓ の疑問がない。信仰、信心だけがある。社会にカネが有り余っているのだ。余分な泡銭をそうやって自然エネルギーだと有難がる。資本主義社会のガス抜きなんかね。海外の風力反対と見比べながら、日本人の意識レベルの低さ、酷さにアホらしさしかない。最近、添付記事のような特攻作戦の賛美が姦しい。マスゴミ。自爆攻撃がそれほど嬉しいか。靖国も、ほどほどにしないとな。
必要な施設だとは思うけど、皇祖皇宗の理念があるだろう。ヘンに精神利用されたらあかんで。衆院選挙で、日本の空っぽさが明らかに見えないか。もう与党も野党もない。何言ってんや、とバカバカしくなってくる。これが国会議員かと思う。アメリカやヨーロッパでも同じ現象らしいけどな。田中角栄の時代には、もっと腹の座った人物がいたと記憶している。
今の候補者の、なんと小粒なことよ。近所のスーパーマーケットで安売りサービス見るようやないか。トテモ危ない時代を予感する。風力発電の被害は、実は人災、社会の凋落(ちょうらく)でしかない現実を見る。新しい日本社会を作り直す、そんな社会政策になるんだろうね。このままじゃ転落しかない。人物はおらんのかい。