大学を卒業してから、何度か担任の先生を訪ねたことがある。授業を終えて教室から出てくると、「いや~レベルが落ちた」と落胆しながら自室に帰っていく。私の時でも難しい理論はほとんど理解していなかった。なんとか60点、もらって卒業させてもらった恥ずかしさがある。就職して、仕事の中でカステリアーノとか、仮想荷重の計算が出来るようになる。同じ土木科を卒業しても、どうしても工業数学が分からない人もいる。
でも分からないなりに、一生懸命に工事現場を回しているから、それはいいんじゃないか。数値計算なんか、机上の空論、論理思考の塊でしかない。コンクリート壁の厚さが2mもあったら、いかに計算と現実が違うかぐらいは見当がつくだろう。河川の流量計算も、計算式とは違うでしょ。洪水被害に言い訳はない。想定外よ。大学の教授は生徒を育てるのが仕事だから、たまに遊びに行ったら喜んでくれた。
学生はそれでいいんだよ、と結論はある。社会への橋渡しとか。海のものとも、山のものとも分からない、それを送り出しているんだってさ。同級生は、なんでオマエ、先生とそんな話が出来るんだ? と怪訝な顔していたかな。たしかに亡くなるまで話し合うことが出来た。『風力発電の被害』の仮製本を読んでもらったのが最後だった。段落がない、文章がヘタ、内容的にどうか、手厳しい指導を頂いた。
教科書を書いているんじゃないからね、悲惨な風力被害に人が死んでいる、緊迫した状況での判断だった。さすが御用学者、と限界も見た。仲よくしていただいたし、励ましの手紙も貰った。とても嬉しくて泣いたものさ。私にもこんな有難いサポートがあった。風力発電の被害では、低周波被害者の会の窪田泰さんがそんな役を担っていた。汐見文隆医師と全国の被害者を訪ねたという。
東京の国立市で事例研究会に参加した人も多いだろう。低周波被害に苦しむ人たちを励まし続けていた。みんな甘えていたんやね。このページでは主に風力発電の被害を論じている。誰かが助けてくれる、根拠もなく、そう思い込んでいる被害者が多い。苦しみの原因である低周波音を測定するまで、なんと困難な長い闇夜よ。低周波は測っても意味ないで、と否定する人たちがいる。
風車病を否定する工作員、手先だ。魑魅魍魎が跋扈している。人の苦しみが面白いのだ。その理由もまた悪魔の論理に湧いている。ウジ虫を見るようだよ。由良町では、風力被害者を否定して笑いものにするためには憎しみとか、差別心を煽って喜んでいる。それが社会破壊でしかないのに、不条理な理不尽な破壊が、背徳が面白いのだ。正義感はないのか、道徳はないんかいと訴えてきた。
風力に関しては誰もいなかったんだよ。なぜや❓ と書いている。周辺の町でも同じ風力被害があるのに、言い訳する人はまだいいとして、「土砂崩れが心配なだけや」と決められたセリフを繰り返している。風車が心配なんかい、人間の事はないのか、と話しても無駄だ。風車教に染まっている。社会全体が、日本の国が、カルト風力に信仰してしまったようだ。衆議院選挙では、どの候補者も【再エネを積極的に推進する】と繰り返す。
皆さん同じ言葉を順次よよく話すもんだから、教科書があるんだな、と分かる。風力発電に関係していたら、そのレベルの低さに笑ってしまわないか。しょせん日本人の反映でしかないんだけど、国会議員が、誰か匿名の教祖が書いたマントラを繰り返しスピーチしている。今や全国に風力被害やメガソーラーがあって、これはイカンやろ、と環境破壊に怒りを持つ人もいると思うのだ。
長野県なんか、風力もメガソーラーも拒否しているでしょ。とくに環境意識が高いわけでもない、多少、議論好きな県民性がある程度だ。それでも風車教に汚染されない精神性とは何なのか、脱ダム宣言で懲りたとか。長野県は頬かむりしている。さぞや各地の風力被害に、社会の崩壊に首をすくめているだろう。一旦、被害地になると、もう後戻りはない。ダムでも、作ってしまったら、それまでの風景も社会もなくなってしまう。
川は死ぬ。何のために、と反省するのは必要なことやで。自然エネルギーといって、耳触りの良い理想論なんて、タダの環境言葉よ。よくも尾瀬沼がダムにならなかったものだよ。しかし今、高級ホテルを建てて金儲けしようと企んでいるらしい。そこまで転落してしまうのか。聖域とまではいわないが、区別は必要だ。巨大な風車やメガソーラーが光っていたら興醒めするでしょ。
その環境破壊を、素晴らしいと絶賛する環境運動家がいる。環境テロリズム、価値観の多様性というか。エネルギー論でもなく、ただの妄想やで。ドイツではWindwahn(風キチガイ)と言っている。全国的な共通用語やで。検索してみな。それでな、日本の場合と比べて見な。日本の地域対策、心理操作で「土砂崩れ」と言葉をすり替えしているでしょ。何の話をしているのかと思ったら、心理テクニック、心理学をやっている。
日本人は騙されている事すら分からない。各地のエセ反対をやっている活動家も、てっきり自分たちが風力発電に反対していると思い込んでいる。いや、大体は自分たちが体制派だと思っているけどな。「ワシらは土砂崩れや」と吐き捨てる人がたくさんいた。「ワシなら、やはり土砂崩れだ」と断言する。つまり低周波被害に苦しむ私を否定して喜んでいた。優越感に徒笑うのだった。
由良町は酷い有様で、たくさんの風力被害者が泣いて死んでいったけど、東北地方では大規模に社会政策として展開している。御用学者を担いで威張ってみたり、風力祭りで気炎を上げたりと、反対意見、被害者など許されるものではない。大勢の中にも、真実の被害について気が付く人、反発心のある人もいるんじゃないのか、と思うけど、どうなんだろうか。今のところ見当たらない。
窪田泰が秋田県に行って、低周波測定をする予定だったけどな。直前に倒れて計画倒れを見ていた。もし彼が行ったとしても、東伊豆町と同じで追放されただろうけど。ウソつきばかりなんだよ。オッと、それは由良町の事か。私がそのウソつきだと言われています。日本の風力発電被害は特殊でしょ。政治、行政、警察や検察・判所、何より国民という住民たちが反抗しない。
「私たちは風力発電には反対ではありません」と言っている。苦しみながら死んでもそう言うからね。レべルが低い、以前に、人間性の問題なんだろうかね。私は、そろそろ、ガラガラポンが必要な時だと思っている。この惨劇は、このまま済ましてはならないんだ。








