これは和歌山で見たことと全く同じパターンなので、とくに東北が酷いとか、貧しい所ほど悪い、と決めつけるものではない。10年前、蒲公英工房で黒田街子さんが証言したように、由良町の周辺にはビッシリと風力発電の計画が書き込まれて実行されていた。被害が確認されて、被害者たちが悲鳴を上げて死んでいるのに、由良町議会では、せっかくの風力計画を進めないのはもったいないと繰り返していた。
私の被害の訴えなど、馬耳東風だったのだ。被害者たちの悲惨だったことよ。今回のインターネット記事でも、あたかも風力反対らしい「中止」を演出しながら、実際はたくさんの風力発電建設を進めている。そこに被害者の姿はない。無視。被害は認められないのだ。国が、環境省が、政治が、行政が風力被害を否定する。それに輪をかけて地域の環境運動家が被害者を愚弄して否定する。
生きるか死ぬかの苦しみに、被害者はたまったものじゃない。それがまた、弾圧する方にとっては面白いらしいのだ。これが全国で行われている風力発電の被害だ。前ページに書いた、海外の風力反対運動とはまるで、何かが違うだろう。いや、ドイツのエセ反対運動に見られるように、被害のあることは分かっているから、それから一歩進んで、ルールを作って風車を建設しましょうとなる。ウソばっかしだけどね。
笑いものにして喜んでいるんだから、被害者にとっては悪魔でしかないわな。私は何度もそういった記者にいじめ倒されたよ。私の書いた『風力発電の被害』はトンデモ本だとかさ。誰も被害を言う人はいないでしょ、とかさ。新聞記者が、弾圧の手先として闊歩していたのだ。もちろん地元新聞もな。地獄に落ちろ。私はアメリカのニーナビアポントが酷い批判を受けていることを知っている。
検索したらそんな記事が溢れるほど出てくるからね。それに対して被害者の声はどうだ。迫害される身になれば、それはもう死刑宣告されたようなものだよ。日本では、あの戦争の時ですら「世間の批判が怖かった」という。戦死するより、村八分や苛めが怖かったらしいのだ。今も田舎には10軒ほどをまとめた「班」という隣組制度がある。県民の友などの回覧板を回す行政の末端組織よ。
祖母が国防婦人会の会長さんだったので、気軽に話ができるものと勘違いしていた。私に対する弾圧の酷さよ。これがあの隣人かと驚いたよ。そんなものだったのだ。ただ、私はそんなものに価値を置いていない。被害を受けて苦しみ死んでいくのを目の当たりにして笑っている。何が面白いものか。アホにするな、と私は嫌悪を見せている。彼らはそれが面白いという。多分、中には被害感のある人もいるだろう。
畑地区でそんな奴をたくさん見たからね。弱者、というより、関わりたくはないわな。すでにそんなのは人ではない。ところが海外では、地域の人々が協力して、風力の被害に対して抗議運動を起こしている。「Stop wind turbines !」というのだ。羨ましい話よ。残念ながら、宮城の記事にそんな気配はない。由良町は、もっと酷かったかな。今、全国で、風力発電の低周波音被害が猛威を振るっている。
苛政は虎よりも猛なり。昔も今も、人のやることは変わらない。恐ろしいことだよ。なんで誰も、「止めろ」と言わないんだろう。それは加害者側でしかないことなのに。被害地域を見ても誰も何とも思わない。本当は、何でもできるところやで、とアホにされている。カネにされている、ということだ。それは海外のグローバル企業かもしれないね。世界からアホにされているんやで。