風力発電の被害者たち

H23.11月末、初めて畑地区の谷口さんから風力被害の話を聞いてから7年余りが経過しました。その時のことは『風力発電の被害』に詳しく書いています。

世間に疎い私にとっては驚くばかりの経験でした。今回の議員選挙の落選は、その仕上げだったのかもしれません。

H27年に亡くなった親父からは、最初から「話だけ聞いておけ。関わったらアカン」と言われていました。

しかし私にも被害感覚があって、徐々に症状がひどくなっていました。

泣き叫んで苦しむ被害者たちとわずかな話をしました。すぐに心変わりして、私を裏切っていく被害者たち。いや、それ以上に、なぜか私を憎んでいました。

親父は「放っておけ。関わったらアカン」と注意してくれました。

その被害者たちが亡くなると、議員たちは手を叩いて笑うのです。面白いと言って喜ぶのです。人が苦しんで亡くなったというのに、何が面白いものか。被害者を笑いものにして済ます議員たち、役場の弾圧が許せませんでした。

彼らは被害者たちから何度となく「助けてほしい」「何とかしてほしい」と訴えを聞いていたからです。

それを彼らは「知らない」「聞いたこともない」「被害はない」と言い続けました。

私は被害者たちから頼まれて、何度も役場に電話したので、彼らがいかに冷酷な人たちであるかがよく分かりました。また、被害を訴える私に対して懲罰委員会、チョウバツ議会を20数回も延々と繰り返しました。私に対する弾圧や嫌がらせの凄かったこと。すべてメニューをそろえて積極的に嬉々として実施していました。

谷口さんから最初の被害の電話があってから数か月後、H24.3月には、被害者たちはすっかり私を敵視していました。理由はいまだに分かりません。彼らから依頼があったから役場に電話したのにです。

また、一般質問で12月、3月と続けて2回、風力被害を訴えたばかりでした。

今だからこそ分かるのですが、H19年に汐見先生が隣町の広川町の風力被害の調査に来た時にも同じ拒否反応がありました。同行した黒田さんにその時のことを聞くと「助けてください。何とかしてください、と言われたからこそ私たちはわざわざ出かけて行ったのに、急に態度がコロッと変わっていた」と証言しています。Youtubeの動画morio yura(蒲公英工房での対談)にアップしている通りです。

私も近くのことですから広川町の被害者宅を訪ねてみました。汐見先生の最後の著書『左脳受容説』に記載されていたからでもありました。ケンモホロロ、エライ怒られたものでした。

このような対応は伊豆をはじめ全国の風力被害地で同じパターンが繰り返されました。窪田泰さんの証言の通りです。

つまり風力が出来て、風力被害に苦しむ人が汐見先生に助けを求める。ところがすぐに彼らは汐見先生を裏切って「大変な迷惑をした」と言って追い出すのです。

それは風力が出来なかった地域でも同じでした。汐見先生が講演した地域では、人々は「もう風力だろうが何だろうが関係ない。関りになるのはごめんだ」と言うようになっていました。

汐見先生と行動を共にした窪田泰さんも同様にひどい迫害に遭いました。彼が前ページの論文で書いているように、いろんな環境運動家に対して、その虚構、欺瞞を明らかにしているのは、そんな経緯がありました。

ということで、今回の選挙で私が総スカンを食った原因は、全国で同じ現象が繰り返されていることを振り返ると、当然の結果であったんでしょう。私もそのつもりでした。同じパターンが由良町でも当初から私を悩ましてくれたし、考える会、野鳥の会などの環境運動家の弾圧には参ったものでした。由良町議会も凄かったけどね。

私の意識の流れとしては、

  1. 被害者たちから依頼があった。
  2. 私にも被害症状があって、段々と風車病がひどくなった。
  3. 被害者たちが裏切ってしまって、私を拒否した。彼らは過激な態度をとるようになった。(全国で同じことがあった)
  4. 被害地域の人々も私を忌避して、被害を否定していた。
  5. 議会の面々が被害者が亡くなると手を叩いて笑った。人が亡くなって何が面白いのか。
  6. 私が住む地域の人々が、私を取り囲んで弾圧を繰り返した。私を拒否するようになっていた。

こんなところだろうか。先日、窪田さんに、「なぜ被害者たちは汐見先生を裏切って「私たちは風力発電に反対ではありません」というようになるんだろう?」と質問した。

「分からないよ、そんなこと。もう被害なんかどうでもよくなったんだろうよ」

私にも全く分からない現象でした。これまで何回も書いてきたように、私が直接話した被害者たちが次々と亡くなっていく中で「次は誰やろう」とそんなのんきなことを言っているのです。もちろん毎日が頭痛や目まいで苦しい日常を過ごしているのにです。

山の上の風車を見るだけで目が回ると言っていたものでした。

今回の選挙では、風力被害などないことを地域住民が全員で証明して見せました。見事というほかありません。ファシズムやね。

全国で風力被害を訴えているのは私一人となりました。

こんないきさつがあったんですよ。

途中で私が逃げ出すことなどできませんでした。

その貧乏くじ、俺が引かせてもらおうか。

人が苦しみながら死んでいるのに何がおかしくて笑うのか。私にはとてもできることではありませんでした。もし、人の死という重大な事件に、加害者として参加するようになれば、一生、後悔するやろうな、という恐れを持ちました。

あなたならどうしますか?

人が苦しみながら助けを求めている。それを拒否して見殺しにして笑いますか。風車などボタン一つで止められるのに。

これはアカンな、と私は判断しました。許すわけにはいかなかったのです。

とにかくやるだけのことはしてきたつもりです。

風力発電の普及には、初めからたくさんの対策があらかじめ用意されていました。人災です。

高度なトリックだったと感心しています。被害が認められない。被害を訴えられない。被害を訴えると弾圧される。日弁連はNGOを使ってまで風力を推進している。裁判にならない。

行政は国策と称して一歩も譲らない。メディアは提灯持ちでしかなかった。警察も行政の一部だった。誰一人、風力被害の甚大な被害を、人権蹂躙を訴える者はいなかった。私や汐見先生など、指折り数えるほどの数人だけだった。あとは窪田さんの論文にあるようにウソツキばかりであった。この7年余り、彼らは被害をうやむやにして、決して風力反対を唱えることはなかったのだから。

被害者や被害地域の人々は自業自得としか言いようがない。2/7日にアップした被害者を集めて説明会をしている録音には、傷をなめあうヌエのような言葉が語られている。人を虐め殺すとは、こういうことかと恐ろしいまでの現実が語られている。

それでも、誰もこの被害を認めないし、無視して「関係ない」と言い続けるのだ。

先日、「あの選挙を見ていて、もう由良町には住まないことに決めたよ」といった人がいた。H19年に汐見先生が由良町の阿戸地区に来た時にも、そんな言葉を聞いていた。

被害のない一般の人でも、何が悪いのかは気が付いているのだ。人の道を踏み外してまでしなければならないこととは何なのか。

「すっかり出来上がっているな」だけでは済まない社会の崩壊、人間性の腐敗でしかないと私は見ている。

由良町の発展? 地域活性化? 彼らのスローガンに、目まいがするではないか。

先日のフィンランドの15㎞離れても被害はあるという文で、参考文献をクリックすると、測定データがどっさりと記されていた。

1Hzの波長は340m、0.5Hzなら680m、0.25Hz(平衡器官が最も感度が良いとする波長、スウェーデン)なら1360m。物理現象から見ると、十分に根拠があることが分かる。7、8回、波を繰り返す地点まで被害があることは分かっているそうです。

低周波被害があることを分かっていながら被害を否定し、被害者を虐待する。日本社会という制度は、重大な欠陥があるではないか。

これまで私がブログや本で書いてきたように、風力発電は作り話の詐欺でしかない。多額の再エネ賦課金を集金して、補助金を出して、いったい何をやっているのか。誰もチェックできない仕組みとは恐ろしい制度ではないか。

単に政治家が思いついた政策ではあるまい。

行政マンの企画でもあるまい。

風力に傾けるすさまじい取り組みに、魔法の力を発揮したものは何なのか。地球温暖化ビジネスと言っても、ここまではできまい。

災厄とはこんなものなのか。戦争と一緒やね。海外ではとうにそうなっている。

日本では、風力被害者たちが怒って抗議するということはない。今のところ私一人が風力反対運動をしているだけである。これもおかしい。

原発反対運動、反戦運動といったことなら盛んにやっているのにね。

平和な日本で、確実に人々の心がむしばまれている。管理されていることに気が付いてほしい。

風力に反対するのは私一人だけれども、私がなぜ抗議しているのか理解してほしい。

被害者たちには既に抵抗する心はなく、手のつけようがない状態になっているけれど、こんな人権蹂躙を公然とやっていたのでは社会がもたない。弱者に対するいたわり、思いやりがあってこその社会なんだからね。畑地区で亡くなった被害者さんに南無阿弥陀仏。