風力発電の被害を知る、嫌悪、恐怖だ。

環境運動家という存在が、今ほど忌まわしく感じることもない。国連のグレタ騒動は演出だけど、地球温暖化にどれだけアピールしたことか。再エネの根底には、そんな根拠があるんでしょ。でもその効果については誰も分からない。アメリカや中国で、いったいどれだけ成果があったかなんて、検証を見ないからね。もちろん日本にもない。電気自動車EVが伸び悩んでいるという。なんせその電気は火力発電由来でしょ。ガソリンで走らせた方が効率いいわな。

どんなに巧く表現しても、物理、真実は変わらない。技術開発で、どんな展開が期待されるんだろ。経済発展なのか? 風力発電や太陽パネルでそれはない。阿蘇山の草原、釧路湿原に敷き詰められたメガソーラーを見たら、これはアカンやろ、と思わないか。すべて税金やで。法律で定められた仕組みがあるという。政治も民意も【再エネの暴走】を止めることはない。役場や行政のアホらしさは、これまで見たとおりだ。

すっかり再エネの支配下にある。SNS、twitterにはよくそんな写真や風景がアップされているけど、反対運動や抗議デモになることはない。たまにあったとしても地産地消で、とか言っている。環境運動家のアホらしいことよ。何が悪いのか、倫理観がない。知識がないのか、判断能力がないのか、特殊なカルト教団を見ているようだ。大体は環境省の報告書通りの事を話したいようだけど。再エネの手先だね。決して被害者の味方じゃない。

被害者側に立って、【止めろ】なんて言葉にはならない。あくまでも環境運動なんだよ。AI人工知能の、どこかで聞いた言葉の羅列になっているでしょ。「ドイツに習え」は有名なセリフよな。未だにそんな言葉を繰り返すんやで。彼らがいかに低能で、権力の手先になって踊っているか分かるだろ。それが各地でやっている「考える会」の実態だ。とうに賞味期限は過ぎているのに、「風力で町おこしだ」とか、「アンタだけでしょ」とか言って喜んでいる。

ネジを巻かれているんやね。タクトを振っている悪党がいる。日本には、ついに風力反対運動は起きなかった。どの被害地にも「風力発電を止めろ」という抗議デモはなかった。私は、地域対策の悪意が人々を扇動して、被害者を消し去ってきたと見ているが、元々は住民の方にも生贄の需要があったのだと理解している。待ってました!、という訳さ。だから風力被害に苦しむ人に、あれだけの弾圧が爆発したのだ。

その中で、由良町の場合は特殊だと思うけど、町民が一体となって被害者を否定して楽しんだ。私の議員選挙での総スカン、風力裁判での人々のあざ笑い。その風景を見ながら、こんなになるんや、と驚いてばかりだった。つまり風力被害は娯楽となっていたのだ。私自身が今も耳鳴りや目まいに苦しんでいる。他にも被害者が50人ほどいて苦しんでいると思っている。しかし誰も被害はない、ということになっている。非常に厳しい現実だ。

アホ役だとは思っているけど、こうまでアホにされて迫害されると、他にやり方・生き方もあっただろうに、と思えてくる。苦しみながら死んだ被害者を見ているから、誰かがこの被害を訴えないと、とは思ってきたけどな。10年経った今、結局は笑いものでしかない事実が定着していた。それにしても低周波音で頭痛がするし苦しいのだ。完璧にやられている。それが人々には面白いと言われる。たぶん、全国、どこでも同じ有様だ。

日本だけの被害者イジメ殺戮を見てきた。なぜ誰も「止めろ」とは言ってくれないんだろう。面白いから。ウザイ、とか。被害者たちの恨みが由良町には染みついている。臭い立つような毒気、悪鬼がある。風車から遠い海岸部の人は無邪気に喜んでいる。ざまぁ、という。狭い地域社会で、誰が知らいでか。風車が林立する山の、南側も、北側も、被害者がいて苦しんでいる。面白いやないか。ヘッ、アホやで。海外ではどの国でも風力反対と抗議している。

日本にあるのはその正反対で、「土砂崩れが心配です」と言っている。ペテンの地域対策だ。そのイカサマをいくら説明しても日本人には分からない。環境省の権威にひれ伏している。あるいは役場、行政の指導に有り難さに打ち震えるのだ。日本人には抵抗とか矜持といったものはないんかい。誰かが風力発電の健康被害、地域対策の恐怖を理解して伝えなければならない。

人柱、生き埋め、生贄の儀式は日本独特の文化なのか。平和には犠牲者がいるのか。一人、由良町で風力被害を訴えている。年取ると、さらにシンドイことよ。