風力発電の被害をめぐる心理について
私は最初から風力被害には違和感がありました。ヘンな音が鳴っているし、それは止めようと思っても止められない音だったからです。
頭痛や目まい、耳鳴り、息苦しさ、体のしんどさ、吐き気など、さまざまな症状に襲われます。
風力被害者は他にもたくさんいるのに、彼らの様子はどうもヘンでした。激昂して掴みかかってくる人もいたし、泣き叫んでいた人もいました。何度も何度も電話してきて苦しさを訴えた人もいました。
私はh24年当時、町会議員でしたので、そのまま役場に被害のあることを伝えたのですが、役場職員たちは「電話してくるな」、「どこか悪いのなら病院へ行け」と酷い言葉で拒否するばかりでした。
被害者たちは私だけではなく、直接に役場に連絡していたし、他の議員たちにも、何度となく被害を訴えていました。
ところが議会では、職員は「被害の訴えはありません」と証言するし、議員たちも「聞いたことがない」と繰り返すのです。r1年の今も、同じ言葉で被害の訴えは「聞いたことがない」と証言しています。
被害者たちについてはh24年には「私たちは風力発電には反対ではありません」と言うようになっていました。
まるで手のひらを返したような変心でした。
私はその時には、汐見文隆医師が全国の被害地から低周波被害の訴えを聞いて、依頼されて訪問調査したり、勉強会を開いたものが、突然、迫害されて追放されることを繰り返していることを知っていました。
h19年に由良町の阿戸地区で勉強会を開いたときなど、参加者は皆、ボロクソに汐見先生のことを非難していました。もちろん後日、畑地区でもそうなっていました。
ですから私が畑地区を歩いていて「出ていけ」とあちこちで叫ばれることがあった時には、「やはりな」と、不条理な怒りを、その理由を探していました。私は完全に拒否されていました。
h31.2月の議員選挙では、誰も私に入れてくれる人はいませんでした。風力被害を否定して、被害者を笑いものにする候補者に全員が一致して投票しました。
被害者までが、なんでやろ、と私は今も不思議に思っています。
(風力どうのよりもまず、オマエの人間性やろ、という人には何度かお会いしました)
最初に、私に被害を訴えてきた畑地区の谷口さんでさえ、私に「出ていけ」と何度も激しく叫んでいました。谷口さんは私の選挙参謀でしたから、私の親父と親しかったこともあって、強いきずながあったはずでした。ですからそれ以降も喧嘩しながら亡くなるまで私に電話がありました。
2018.1/20、1/22日、2019.2/7日、のページにアップしている録音を聞いてみてください。
役場職員や議員たちも、人口6千人のこんな小さな田舎町ですから、何が起こっているか当然知っています。
それが、被害者の苦しみを訴える声を聴いては不機嫌に否定し、その被害者が亡くなると笑うのです。
「ワシらは面白うてしょうがない」と。
私は地域の人たちからも何度となくこの言葉と、笑い声を聴きました。
とくに議会では、議員たちは手を叩いて笑うのです。人が死んで何が面白いものか。
私は定例議会で20数回の懲罰委員会、チョウバツ議会を受けて、弾圧されて苛め抜かれました。誰も助けてくれる人はいませんでした。
私は議員でしたから覚悟はありますが、一般の被害者たちは「ダメやろうな」という予想はありました。
しかし、一人残らず自分の被害を否定するとは、私は思いもよりませんでした。
しかも選挙で、それは実際に証明された。
風力発電の低周波被害を訴えているのは、私一人だけであって、誰もそんなこと言う人はいませんでした。私に対して批難轟轟の嵐でした。由良町のすべての地域で同じ拒否にあいました。
実に興味深い社会現象だと思いませんか。みんな知っているのに、ですよ。
添付資料の『自由からの逃走』と『夜と霧』は、大量虐殺をしたドイツ人と収容所の囚人の記録です。どちらも名著として、今日でも、人間が極限に立った時、どうなるか、という事実を考察しています。
私は役場職員や議員たちが、なぜ被害者を弾圧して虐待したのか、笑いものにしたのか、それが不思議でした。
被害者たちは、私に訴えたように、彼らにも泣いて苦しさを伝えたと思います。
職員や議員たちは、その事実を否定して「聞いたこともない」という。
そして風力発電に低周波被害はないという。私に20数回も懲罰委員会、チョウバツ議会を繰り返して弾圧して、それを議会便りにして町内の各戸に配布したのにね。
「因果関係が分からない」と言っても、住民が何か困っていることがあれば対応するのが行政や政治の仕事です。それ以外に何があるのか。
しかも私以外の全員が、被害を否定するのだからこの意思統一には何らかの仕掛けがあったのかもしれない。
いや、彼らは皆、自主的に被害を否定したと思う。だからこそ被害者を汚く罵り、その死を笑ったのだ。権力の側にあることを自慢するためだった。新聞の写真にもあるように、全員が、本当に被害を否定したのだ。
被害者たちに至っては、もう説明の言葉も息苦しい。私は6人ほどの被害者から直接に苦しい症状を聞かされたし、ひどい裏切りの言葉をぶつけられた。
それぞれ亡くなる時には、何も分からなくなっていたと思う。『夜と霧』に書いてある通りだ。その苦しみに意味などなかったんだよ。
人は虐待されると人間性をなくして動物になる。ジャーナリストたちは「ヒツジにされる」と言った。権力者にいいように操られる。
環境省の報告書には「精神疾患のもの」と書いてあるが、まさにそのとおりであった。
私が不思議に思ったのは、全国的にも、被害を訴える汐見先生や私を、なぜ排除して追放して、口汚く罵るのか、ということだった。
風力発電の低周波被害の苦しさを訴えてくれる貴重な人間ではないか。それをなぜ悪意を込めて非難するのか、拒否できるのか、私には被害者たちの心情がまるで分らない。(私も被害者だけどね)
その上で被害を否定して、被害者を笑いものにする候補者を一生懸命応援して喜んでいるのだ。
彼らは、私に対して憎しみを込めていた。まさに狂っているとしか思えなかった。
私は当初から彼らには近づけなかった。被害の話を聞いて、その次の日にはエラク怒られたりした。
彼らは管理されていたのだ。そりゃ自分たちで役場や議員に、風力業者に、何度も電話して被害を訴えていたのだから、危険人物は誰か、すぐに登録されていた。
私はh24年に風力発電の被害を訴えるために署名活動をした。
その時、環境運動家たちは「被害者の名前が知られると運動が潰される」と激しく何度も繰り返して私に抗議してきた。3回も4回も続けざまに電話して怒ってくる人もいて、その異常さに驚いたものだった。彼らは行政の手先だった。被害者でない人の方がはるかに多いのだからね。
あるいは署名活動に協力するふりをして、私の活動を妨害するために、谷口さんや他の被害者たちに署名を拒否するように、精力的に動いた人もいた。
谷口さんは怒りの言葉で署名を拒否した。目を赤く泣きはらして「出ていけっ」と叫んでいた。「私のことを気違いやと言うてるやろ」と言っていた。
つまり由良町のたくさんの人が風力発電の被害を隠ぺいするために、h24年には動いていた。
r1年の今、ニーナピアポントの「Wind Turbine Syndrome」を知っている人は多いと思う。私のトップページに第一章を翻訳して載せているので見てほしい。
また、ヨーロッパやアメリカなどでは、風力発電の反対運動が強力に行われていることも紹介している。
Stop wind turbine!「風力発電を止めろ」と地域の人々が協力してデモ行進しているのだ。
海外には、風力発電の低周波被害を調査して研究報告している学者が多くいる。
日本にはなぜか「風力発電を止めろ」という人も、低周波音被害を研究して、被害状況を報告する学者もいない。
なぜ日本には風力被害を訴える人権運動家、学者がいないのか。
その逆に、「地球温暖化に資する」「自然エネルギー」といったキーワードを掲げて被害を否定するヘンな人はたくさんいる。発電効率が悪い、とかいうお門違いもいる。
私が卒業した長岡技大などでは、環境科という講座があって、高価な低周波音測定器が買いそろえてあるのに、風力発電の有害な低周波音は測定しない、のだという。「飾り」にして飾っているんだという。
学生時代には優秀な人だったと思うが、今はタダの奴隷のような先生であった。何の役にも立たない片田舎の教授職が生きがいで楽しいのだ。私はひどく軽蔑された。
こんな状況は全国の大学で同じことになっている。風力発電の発する低周波音は測定してはいけないらしいのだ。
前述の社会現象について、私はあちこちの大学の心理学教授に由良町の資料を渡して、事情を説明して、解決に協力してくれないかと頼んだことがあった。
10人ほどの心理学の先生方は全員はだしで逃げ出した。何人かに資料を返してくれと請求したが体よく断られた。
日本の学者とはその程度のものであった。エラそうに見せているだけで中身は腐っていた。
風力発電という時代に逆らわないための世間知なのかもしれない。世渡り上手が信条(ズルさ)であった。
2009年(h21)、伊豆の風力被害者たちは被害調査を取りまとめて毎日のように環境省やNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)に抗議に行った。その時の彼らの調査報告書を見たが一級の被害調査資料であった。知識人がいたらしい。
その後、20軒ほどの被害者は別荘の自宅を捨てて引っ越していった。
後に残った自称被害者たちは「私たちは風力発電には反対ではありません」と繰り返して言っている。
こんな被害者はいないよな。エセ(偽)としか思えない。
しかし畑地区の谷口さんらは伊豆を視察して「私たちは伊豆の風力先進地を目標にしています」と言うようになっていた。奴隷への選択であった。2/7日の録音にもそう語っている。
近くでは、和歌山の下津町大窪地区で2軒の農家の人が引っ越して逃げ出している。なんと県の環境課が9回(数年間)も低周波音の測定をして、その度に「被害はない」と弾圧を繰り返した。
私も大窪地区で低周波音測定を行ったが、ひどい低周波空気振動の波形が観測された。そりゃ何度も救急車で運ばれるはずよ。被害者は、ここでは生きていけなかったのだ。
被害者を弾圧するために、低周波音を測定して説明会を繰り返していたのだ。「被害の基準はない」と。
さて、風力発電の低周波音被害を振り返ると、加害者は誰で、被害者はなぜ弾圧されて殺されるか、逃げ出すしかないのかが見えてくる。
大政翼賛会になっているのだ。これは日本独特のシステムよ。
地球温暖化、自然エネルギー、CO₂削減、とキーワードを掲げて、錦の御旗、錦旗を振りかざすのだ。
「進め一億火の玉だ」というわけよ。
本来なら、私たちを取り巻く環境問題に対応するために、環境省、野鳥の会、自然保護団体などが対応するはずである。それが、すべて風力発電という利権に漬かってしまっていた。
ヨーロッパやアメリカには、とうに風力発電を疑問視して、被害を訴える人々がいるのに、その事実すら「ない」として闇雲に風力発電を推し進めている。被害者を弾圧して被害を隠ぺいしてきた。
被害者は弾圧されて苛め抜かれると、本当に何も分からなくなるらしい。人間の弱さ、悲しさを随分と見せられることになった。
それを笑いものにして喜ぶ人たちがいる。社会の崩壊である。
h24年にジャーナリストたちが我家に来て、そう予言していた。
日本で、風力被害を訴えて抗議しているのは今のところ私一人かもしれない。
何の罪もない被害者を苦しめて殺す。地域から叩き出す。何が面白いものか。
弱いものを見つけては「いじめ」を楽しんでいるのだ。
「ウソつけ」、「作り話するな」と叫んで被害者を貶める。権力の手先になっておごることが嬉しいのだ。
こんな被害の仕組みを話そうとしたが、由良町では誰も聞いてはくれなかった。いや、全国の被害地でも同じだった。
どうすれば風力地獄を解消できるのか。
アウシュビッツでは連合軍がStopした。
日本では2発の原爆がStopした。
水俣病では? イタイイタイ病では?
国家総動員でプロパガンダが行われる中で、やはり一般国民が人の世の常識に気づくしかあるまい。
私たちは暗示をかけられて騙されている。
終戦が8/15日に決まっているのに特攻で死んだ兵士がいたでしょう。
特攻で恐怖心を和らげるためにシャブを使っていたでしょう。
由良港にも魚雷を使った特攻基地があったらしい。
悪いことだと分かっているのに堂々とそれをやっていた。
それに対して誰も責任を取らなかった。
私の祖母の実家は楠木正成の子孫だが、その大叔父は「あんな戦争で死ねるかよ」と言っていたし、堂々と兵役を拒否した。日本には戦術も戦略もなかったのだ。
とにかく由良町の風力発電を止めてくれ。