地球温暖化の防止、脱炭素、自然エネルギー、日本でやっている再エネは本当だろうかね。私は由良町で風力被害に遭っているから、どうもそれは違うで、と確信を持って国策のデタラメを非難している。被害を訴えると弾圧される。これは水俣でも福島でも有名な場面だろう。警察の厳しい管理? 嫌がらせに遭う。
国が相手だからね。裁判官も弁護士もない。執拗に叩き潰される。公害とはそんなものでしかないのかい。同じ地域に住みながら、人々の迫害を見る。社会とは、こんなにも陰険で恐ろしい感情に覆われていたことに驚く。風力発電のなかったころの由良町が懐かしい。風力が、何もかも壊してしまったのだ。と被害に苦しむ私は考える。
被害感のない人はとても嬉しそうに笑っている。「アホよら」と、もう何度その言葉を聞いてきたことか。結局、人間の悪意が高揚したのだ。泣きながら死んだ被害者は、本当にお気の毒さま。散々に私を罵ってくれたな。被害を訴える私が、そんなに憎かったのかえ。私はもうバカらしくなって、その人の弱さや、アホらしさを嫌というほど見て仕舞ったよ。
人々の意識変化は、仕組まれたものだと見ながらも、何の正義感もモラルも見られなかった。私に対する敵意。被害者の否定。政治家や行政が、嵩になって攻めたてる。だから被害者は声にならない呻き声を上げて泣いていたんやな。家族にも否定されるしな。この辺、家族とは何なのかと、由良町の被害家族の現実、厭らしさを見る。
家族の一人が低周波音の被害に苦しんでいるのに、怒りをその人にぶつけるのだ。そして死んだら、セイセイしたと喜んでいる。こんなん家族と違うで。私は一人暮らしだったから、「誰にも迷惑をかける人がいないから議員になって頑張ってくれ」と言われていた。私にだって親兄弟はいるのにね。親類だって多い。
すべて敵に回しての立ち回りになっていたよ。風力被害を訴えると、こんなになるんや、と思い知る。谷口愛子さん宅でもそうだったでしょ。私は風力裁判を引きずっていたので、その酷さを見た。どこでも被害者の家庭は同じようなものだったよ。被害者の否定だ。持って行き場のない被害の苦しみに、弾圧に、被害者たちは消されていく。
だから海外では、あんなに烈しくNO, Nein, Kein と言って風力発電を社会的に拒否するのだ。風力被害に、地域社会が固まって抗議を行うのだ。自分たちの問題だ、としてな。彼らが何を大切にしているのか日本人には分からない。それが悔しくて残念だ。民主主義は、自分たちの手で勝ち取るものだ。
しかし日本にはそんな歴史はない。日本の民主主義は上が与えられたものでしかない。明治維新でもな。我家には由良守應がいたからなおさらよく分かるのだ。由良町では守應は偉人として有名だけれど、何をした人? 何を考えていた? なんて知っている人は誰もない。牢屋暮らし、刑務所送り、と変人奇人の経歴を笑う。
私から見ると、和歌山市の陸奥宗光(外務大臣)に付き合って、刑務所まで行ってしまう、友達付き合いの面白さが羨ましい。東京では、宗光は守應宅に居候していたと聞く。慶應4年、明治維新の時、何かがあったのだ。記録も言い伝えも、何も残されてはいない。紀州大納言茂承(もちつぐ)の供をして参内した理由もな。
結果として、西郷隆盛や木戸孝允の倍の広さの宅地を東京でもらっている。その理由を知りたい。風もないのに風力発電が回っている。こんな微々たる風で、発電など出来るわけないだろう。由良町の山々に林立する21本の風力発電は、これまでどれだけの費用を費やしたんだろう。すべて税金でやっているのに、収支報告はどこにもない。
全国でそうなっているでしょ。デモンストレーション、演出なんやで。それでも彼らは「ここは風況が良いですから」と言っている。風狂の間違いだろ。広川町の山本地区に1本の風力発電1500wがある。公園になっていて、風速計が表示されている。地域の人は怖がって誰も近寄らない。ここからは由良町の風車群が見渡せる。
どんなウソを搗いたって、これは詐欺だ、ペテンだ、と分かるのだ。今もインターネットに載せているから、広川町の政策に人々が信頼する理由が私には分からない。汐見文隆医師の『左脳受容説』にも書いてあるから見たらいいで。嘘八百だよ。ここは母の実家があって親類が多い。広川の人は口を噤んで何も言わない。
「誰も何もよう言わんやろ」そう言って百姓たちは笑っている。印南町の坊主とここの大僧正は兄弟で、互いに風力被害のあることを知っている。そして笑って喜んでいる。仏教という宗教界にあって、この転落は何なのかと思う。由良町の開山興国寺でも同じ事かな。我家は大変な協力をしてきたつもりだが、何の役にも立たなかった。
寺の敷地に入るな、と言われたからね。水俣にも福島にもイヌが張り付いている。同じようにして、風力発電地域にはスパイ工作員と、破壊工作がある。環境運動家というピエロが踊る。私は風力反対だという各地の環境運動家と話してきた。風力被害は、汐見先生の指摘する低周波音の被害だと一応の会話をする。
分かったような、分からんような、自然環境を守る大切さ、みたいな結論を言う。私の被害症状も聞いてくれた上でよ、「私はやはり土砂災害が心配だなぁ」と結論するのだ。なーんや、何も聞いてはいなかったし、その地域で活動しているらしい様子に、ただのイヌやないかと分かるのだ。
低周波音の被害者になると敏感になるからね。音だけじゃない。その人の考えや価値観がヒシヒシと伝わってくる。辛い感覚だよ。被害者諸君もそう思わないかい。あるいは否定するか。日本だけ、風力反対運動がない。あると見えるのは偽物の地域対策で、被害者を弾圧する、低周波音被害を隠蔽する工作活動だ。
「Stop wind turbines」の言葉がないでしょ。風力のエージェントなんだよ。地域の人々はそんな悪意にひれ伏すしかないのかい。海外の風力反対運動や抗議デモを見て見ないか。日本の我々が、いかにアホにされて、金儲けのダシにされているか分かるで。政治家が信用できるか。役場の職員が良いと思うか。
太平洋戦争の時のウソを思い出せ。竹槍もって、アメリが軍に立ち向かうと真剣に息巻いていた。歪んだ精神論だ。アホとしか言いようはないだろう。それと同じ心理作戦なんやで。被害者を苛め抜いて殺して喜んでいる。手を叩きながら踊って喜ぶ議員たち。土砂崩れだと❓ いったいどこにそんな事故があるんだい。
それで風力被害者たちは苦しみ、死んでいったのか。違う。オマエが殺したんやで。被害者は、オマエを恨んで死んでいった。私はその言葉を何度も聞かされたんだよ。恐ろしい恐怖政治よな。ディストピア。反乱の火の手は上がらんのかい。
Port Stephens residents protest proposed wind farm – NBN News
https://www.nbnnews.com.au/2023/09/19/port-stephens-residents-protest-proposed-wind-farm/