先日、秋田県の地方紙に、市長らがヨーロッパの風力視察をして「被害はない」と断言して、秋田にも「被害はない」と書いていました。
じつはその前に、秋田の人から「議員らがヨーロッパに視察に出かける。それで判断すればよい」と言った話を聞いていました。
「ドイツ語やデンマーク語が分かるのか?」と私は聞いたものでした。
由良町の風力では、各地区の区長を集めて、国内の風力発電を視察しています。
私の住む門前地区の区長は「案内してもらって勉強したが、特に何もなかった。騒音と言うけれど、うるさい音も感じなかった」と正直な感想を話してくれた。
彼の家の目の前には21基の風力発電が回っている。
「風車に近い畑地区では、多少うるさいと言っているのか?」
彼は無責任丸出しに笑っていた。
私は言葉少なめに、低周波音被害があるらしい、と言ったが、当然のように彼は受け付けなかった。風車から2㎞も離れていない。静かな田舎のことなので、夜になると何か感じているはずだが、彼に被害感はない。
彼の近所に、自称被害者がいて、体調が悪いのは風車のせいかもしれないと、私に話してくれた。
低周波測定器NA-18Aで観測してみると、風力発電独特の卓越した被害成分が上下に激しく振動している。
しかし不思議なことに、彼は抗議することはなかった(役場の悪口を言いながらも)。h24年春のことである。世間体があるんだろう。r1年、まだ健在だ。
低周波音被害は不思議な分かりにくい病気で、そこに1時間や2時間いても分からない。
大体100人中、3人程度が重症になると言われている。10人ほどが被害症状に悩まされると聞く。
風力発電の現場に立って、気分が悪いという被害を感じるのは、せいぜい100人中3人ほどだろう。
視察には20人ほどの参加だろうから、何も感じない人ばかりの可能性が大である。しかも車に乗ってのツアーだから、低周波の空気振動、気圧変動はブロックされている。(分からなくされている)
巧妙に低周波被害の実態は隠蔽されている。
しかし区長にしろ、市長にしろ、風力発電には低周波音被害がある、と分かったうえでの視察なのだから、まったく何も感じなかった、気が付かなかったという話も問題だ。
とくに由良町では、風力被害者たちは泣き叫んで苦しみを訴えていた。役場にも何度も訴えて助けを求めていたのだから、区長にも情報があったはずである。
それを全然知らない。受け付けない。という事態は、彼らの死を見ながら笑うのだから、殺人になった顛末に笑うしかなかったのだ。
何も知らずに笑うことなどありえない。
由良町長もh23年12月から「被害はありません」と繰り返している。
秋田の新聞では、市長などは海外に被害はない、と断言しているのだから、普通では考えられない事態に陥っていることが分かる。
私のページでは、これまで何度も海外の風力発電被害のニュースや文献を紹介してきました。
「すぐに風車を止めろ」という抗議運動が各地で起こっていることも伝えた。
「Stop!」、「NO」と主張しているのだ。
私もおせっかいで、全国の風力反対運動に資料を送ったりした。記事の紹介もしてきたつもりである。
しかしその反対運動も、スパイや工作員といった環境運動家が多く、反対する人を管理して閉じ込める、誘導する、エセ運動会になっている。
全国の「考える会」などは、初めから風力事業とセットになっていた。風力は被害があるから被害者対策が同時に講じられていた。弾圧と隠ぺいである。
御用学者を招いて、低周波被害の否定を繰り返しているのだから話にならない。
何人かの風力反対運動している人に聞いているが、「風力被害を心配してくれている」と判で押した答えが返ってくる。何も考えないのだよ。
だから「考える会」という名は、実に的確な目的を表している。あたかも考える、と言いながら。繰り返し、真逆の情報に浸っているのだ。
彼らには何度も注意したから「気が付かなかった」というものではない。風力発電の低周波音被害とは何か、私なりに説明してきたのだから、何度も気が付く機会はあったのだ。
「人を集めるための方便」だと言った運動家もいた。
しかし低周波音の被害原因を否定し、被害者は先天的な疾患の持ち主で、一般の人は気にする必要がない、心配いらない、と繰り返す様は、洗脳の強制だよな。
これが全国の「考える会」の実態だった。そこで講師となる御用学者や御用運動家は共通していて問題のすり替えだった。
日本には「風力発電を止めろ」という反対運動は一つもない。
いや、h19年に伊豆で1年ほどあったがすぐに潰された。20軒ほどの被害者が転居した。
今は私一人が「由良町の風力発電を止めてくれ」と抗議している。
全国に風力発電被害がバラ撒かれているのに、誰一人として抗議する人がいない。
我慢してクスリ漬けになって死ぬ人、転居して逃げ出す人がたくさんいるのに、誰も気に留めない。笑いものにされている。
なぜな?
私はドイツのアウシュビッツの収容所の話を『夜と霧』フランクルで読んだ。あるいはハンナアーレントを読んだ。
なぜ、あれだけの大量の人が反乱も起こさずに殺されたのか?
人は弾圧されて虐待されると動物になる。人としての尊厳をなくしてしまうのだ。
しかもその地域のユダヤ人リーダーが協力していた。名簿を作成して、行政として大量殺戮を繰り返していた。
まったく風力発電の被害と同じではないか。
「関係ない」「知らない」と繰り返すのだ。
ドイツでは風力発電の数も多く、抗議運動、反対運動も多数、頻発すると聞く。一般的な都市部ではなく、やはり地方の、それなりの田舎に建てられる。日本と同じよ。
たぶん、80年前、虐殺の有った地域と、風力発電の地域は一致している。ドイツ放送で、緑の党やネオナチが「私たちには風力発電が必要だ」と叫んでいるのを見てそう思った。
一方、日本では、「ドイツでは上手くいっている」「ドイツに習え」と散々繰り返されてきた。
「ウソも百回言えば・」という、刷り込みだ。
情報を遮断して、エセ情報を刷り込む手法よ。これこそ洗脳ではないか。恐ろしい事よ。
新聞やテレビでは、決して風力発電の低周波被害のことは伝えない。
日本人は、新聞やテレビを信用しているのだ。いかんせん、インターネットはバーチャル「架空」でしかない。
日本では、twitterでもエセとオチョクリが多すぎる。アホらしくなって止める人は多いだろう。
日本だけが、なぜ「Stop!」「NO」という抗議運動がないのか。考えてみれば分かるだろう。過酷な弾圧や。
現実に風力発電の低周波音被害で、人々が苦しみながら死んでいる。自宅を追われて転居した人たちがいる。
なぜ、この被害者や家族は怒らないのだろう。地域の人は風力被害に反対しないんだろう。抗議しないのだろうか?
そして私一人が被害の実態を明らかにして「風力発電を止めてくれ」と訴えることになったのか。
じつは由良町では、風力被害が明らかになってから、3ケ月もしないうちに「出ていけっ!」と私は罵られることになった。
なぜなのか分からない。(本当は知っているけど、今でも信じられない)
「由良さんは門前地区で一人でやればよい。私たちは畑地区の人たちと一緒に頑張っていく」そういう話になっていた。
「由良さんのせいで、皆がエライ迷惑した」そんな話もどっさりと聞かされた。
2018.1/20、1/22日、の録音と、2019.2/7日の録音を聞き比べてみるがよい。見事に被害者たちが屈服してヒツジになっている姿がみられると思う。風力事業に加担して、被害者を黙らせる工作員の話も入っている。地域ぐるみで低周波音被害に苦しむ人を殺していたのだ。
この人たちは、この殺人事件の物語を知らないはずがない。この集まりで、自分たちの話として確認しているのだ。ぜひ、この世にも恐ろしい話を聞いてみてください。役場の行政の演出です。
いかに風力事業の洗脳が深化しているかが分かります。彼らは風力発電被害の真っただ中にいながら、「このことは言ってはならない」と信じ切っているのです。
自分で情報をシャットアウトするのです。
その典型が今年2月に行われた議員選挙でした。誰一人として私には入れませんでした。それどころか汚い罵声を散々浴びせられたものでした。
「被害はない」「誰も由良さんには入れない」
彼らは恍惚として私に叫んだのでした。あるいは笑いものにして喜んでいました。
私は驚くと同時に、その狂い様に感動しました。
この現象は風力被害地だけでなく、あまり関係のない海岸部の地域でも同じことでした。
「風力のことばかり言う。もう誰も聞きたくない」と。
さらにこの現象は、あの伊豆や伊方、愛知県などでも同じことになっていました。確かh19年に風力反対運動していた人が、今は「被害はありません」とまるで手のひらを返したように被害を否定していました。畑地区の谷口さんから聞いていた話とだいぶん違うなと思ったものです。変わり身の早さか。そもそも理由があったのか。
つまり伊豆や伊方でも工作員や協力者がいて、初めから被害者を排除、隠ぺいする計画があったのです。試しに、東伊豆町、南伊豆町に電話してみるがよい。
「風力被害はありますか?」
「被害はありません」
「私たちは風力発電には反対ではありません」
と判で押したような答えが返ってくる。由良町も同じことになっている。
彼らは善悪の判断能力があって、言葉にしているのだ。
オウム教事件の数々で、信者たちが現実に殺人を行っていたのとまったく同じ構造よ。
悪いことだと分からずにやっていたのではない。確信的に「ボアしてよかったね」と殺人を喜んでいるのだ。犯罪集団として権力をふるう快感にとらわれ、あるいは犯罪行為による利権、天下り先やら、ポストやら、ゼニと金に執着しているのだ。卑しい連中よ。
何がこうまでして道徳が貶められているのか。
由良町の被害否定は恐ろしい事件だが、秋田の新聞でも、海外に「被害はない」、秋田にも「被害はない」と繰り返している。
その市長さんを選挙で支持したのは秋田の人々なのだ。当然のように秋田の海岸にはたくさんの巨大な風力発電が林立することになる。
あの被害者の聞き取り調査は何だったのか? コッケイではないか。
同じような調査報告書はh19年の伊豆の報告書にもあった。全国各地の被害地にもある。
由良町での被害は、私のページか『風力発電の被害』に書いた通りである。
それなのに、全く無視だ。
被害者が死のうが、逃げようが、泣いて抗議しようが、笑いものにして受け付けないのだ。消費者事故調査室など、待ってましたとばかりに専門の弾圧員がヒドイ言葉で罵倒してくれる。
これも試した人は多いだろう。被害に苦しむ者をさらに言葉の暴力で叩きのめすのだ。
ヤクザ顔負けの言葉の暴力でした。
風力被害に苦しむ者、被害者を弾圧して笑いものにする者。まるでNHKでやっているドイツのドキュメンタリーを見るようではないか。しかもドイツ人はユダヤ人大量虐殺を知らなかったという。
収容所の職員でさえ、命令されたからで、自分には責任はない、という。
オウム教でも同じだが、凶悪な殺人を犯しながら、悪いことだとは気が付かなかった、などあるはずがない。
同じように、風力発電の低周波被害で、被害者たちが被害の苦しみを訴えて死んでいく、引っ越しして転居する。各地にたくさんの被害報告がある。それを見て「知らない」「関係ない」「被害はない」と断言する市長や町長、職員たち、その手先となって働く地域の協力者たち。
まったく被害に気が付かなかったのか。そんなことあるはずがない。
それぞれ個人、個人に責任はあったのだ。行政として、政治として、風力発電を進めているという罪を希釈して誤魔化しているに過ぎない。みんな分かってやっている。そんな誤魔化しがいつまでも許されるはずがないやろ。
最近、テレビを見ながら気が付いたことに、74年前、爆弾を抱いて自爆することが名誉なことだと思われていた。「お国のために」と。
アフガニスタンなどの自爆テロとどう違うのか、と。
我家では祖母方の大叔父は「あんな戦争で死ねるかよ」と吐き捨てた。
なんで19、20歳の青年なのか。50、60歳のオッサンでもよかったんではないか。ダマしやすかったんや。ヒネた50、60歳のオッサンでは、簡単に死んではくれんやろ。英霊と言われて褒めてもらっても、その時には死んでいる。分別のあるオッサンたちは何を考えていたんやろ。ヒドイ洗脳があったことと思う。
日本人は世間や社会に弱い。
思想や命令に弱い。
日本人は、風力発電という洗脳で、どれほど貶められたか考えてみろ。
海外に、風力発電に関する知見はないのか。
海外に風力発電被害はないのか。
日本に風力発電被害はないのか。
被害の事実を堂々と否定する町長や市長は、獄門やで。
『夜と霧』に書かれてあるように、一旦、収容所に囚人として管理されると人ではなくなる。そのように洗脳されるのだ。風力発電の被害地でも同じようになっている。風力発電を撤去して元の状態に戻したとしても、社会が回復するまでには、長い年月を要することになる。
由良町の風力発電を撤去してくれ。