風力発電が炙り出したもの

風力発電の被害に遭遇してから、たくさんの驚くべき場面を見てきた。低周波被害については汐見先生があらかた解明していたので、私はほぼ聞き役になって勉強するだけだった。私は大学の環境講座で、騒音測定の訓練を受けていたし、実際、北陸新幹線の開業時に騒音測定に参加していた。

他の人も、わりと汐見先生の説明する被害メカニズムについて素直に理解しているようだった。「これは国家犯罪だ」と怒りの言葉を何度も聞いた。風力発電が出来ると、風車病に苦しむ人が必ず出てくる。そんなことは最初から分かっていたし、事業者ならなおさら敏感に察知していただろう。問題はそこからだ。

ドイツの抗議運動を添付した。「 STOP」と書いてある。これはアメリカでもヨーロッパ諸国でも変わらない。ところが日本にはそんな言葉はどこにもない。私一人がそう言って抗議しているだけだったのだ。環境省の報告書には、風力被害を訴えるものは精神疾患のものだ、と明記している。あるいは御用学者を借りて、障害者の症状だ、と主張している。

野鳥の会などの自然保護団体も、環境省と一緒になって風力発電の被害を否定して、事業を推進している。今回の風力被害では、各地に「考える会」というトリックを作って被害者を隠ぺいする仕掛けが行われていた。伊豆の風力被害に集められた環境運動家たちは、あたかも被害を心配する風を装いながら、各地で被害者の弾圧に嬉々として参加していた。

風車病に苦しむ被害者たちは、いいように翻弄されて騙されていたのだ。その証拠がこの写真集だ。実際に検索してみると分かるが、地域の人々が一緒になって抗議運動を行っている。日本にはそんなものどこにもない。むしろ被害を訴えるものを差別して排除してきたのだ。誰一人として被害者に同情して助けましょう、なんて人はいなかった。

風力被害を訴えた私はコテンパンに弾圧されて排除されたものよ。なぜだろう? それが私の最初から目指したテーマであったのだ。『風力発電の被害』を書いたとき、まだまだ低周波被害のことだけで頭がいっぱいだった。だって谷口さんら被害者が狂いながら次々と死んでいったでしょ。人々はそれを見て手をたたいて笑っていた。なんということか、と私は言葉をなくした。

そしてこれは何も由良町だけでなく、伊豆や伊方など各地の風力被害地で行われている行事になっていた。べつに珍しいことではなくなっていたのだ。それがどうした、と言うのだ。これこそ驚くべき事件ではないか。誰も被害に抗議するどころか、笑いものにして喜んでいたのだ。一例をあげると、今、各地の風力反対運動?では「土砂崩れが心配です」と繰り返している。

参加者は拍手喝采して笑っている。何がそんなに面白いんだろうか、と私は不思議な気持ちになったのだ。風力被害とは、耳鳴りや目まい、頭痛などの風車病のことだ。そんなことは、そもそも風力発電の集会に出席する人なら知識としてあるだろうし、資料としても配布されているだろう。それを踏み超えて、土砂災害の話で盛り上がる人たちとは何だろうか、と考えたのだ。エセ運動会だったのだ。

もっとも、人々は何でもいいのだった。由良町でもそうだったからね。賛成でも、反対でも、どちらでもよい。言われるままに、「はい、わかりました」と価値観を共有して喜んでいる。それは被害者に対しても同じ思考経路だった。みんなが精神疾患といえば、その通りだと賛同する。それだけだったのだ。たとえそれが家族のものであっても、無視するか吐き捨てるだけのことだった。

その言葉をたくさん聞かせてもらったよ。もし仮に、「ドイツに倣え」というんなら、ドイツ人にはこんな場面があることも伝えないとな。偶然だが、大学でドイツ語を習って、ドイツ人たちと話す機会があってよかったよ。さもないと、こんなカラクリがあることさえ気が付かなかったかもしれない。あるいは南朝方で滅び、明治維新で息を吹き返した我が家の遺伝子がそうさせたのかもしれないけれど。