h23年12月から風力発電の被害に関わってきた。このページを初めからめくってみると、まだまだ書かなければならない策略、陰謀のあることが分かっている。環境省の風力被害否定の報告書はスゴイから読んでみた人は多いだろう。大勢の学者を集めてインチキの嘘八百にまとめられている。水俣病の時もそうだったな、と振り返る。私がちょうど学生時代でな、いったい何をやっているんだろうと、当時の環境庁の中身を見たものさ。
寄り合い所帯。園遊会みたいなもので、きらびやかな芸能人やスポーツ選手を前面にして、後ろには腐臭の政治や事業のオッサンがたむろする。悪の花園かい、と主催者のご苦労が見える。そこでの杯はドブ水の味がするんやろうな。今回の風力被害では、野鳥の会などの自然保護団体が被害否定の先鋒になっていた。環境省と一体になって被害者を弾圧した。利害関係、利権があるんだろう。
各地のエセ反対には必ず「野鳥の会」が名を連ねている。風力発電は野鳥に遊び場を提供しているんです、という。日本だけの宣伝文句よな。俄か仕立ての「考える会」も、反原発であったり、左巻きの環境運動会であった。長野県の脱ダム宣言は行き過ぎのダム建設に「待った」を掛けたものだったけど、今回も長野には風車建設はない。せっかくのアルプスの絶景に観光・リゾートは台無しになる。
それに対称して秋田や山形の山々の無残なことよ。信仰もクソもない。人々はカルトと化していた。既に多くの風車病に苦しむ被害者がいるだろうに、弾圧真っ盛りだ。最初の頃の弾圧風景はスゴイで。ワッ、と人の悪意の底深さを見る。人は命令・指示されるとこうも悪党になれるのだ。それも勝ち誇って喜んでいるからね。精神が簡単に操作されることが分かるわな。『服従の心理』、『看守と囚人』に示されたとおりだよ。
マニュアル通りに実行された。この支配技術を知っている人もいるだろうにな。由良町の風力被害など、最初からそう指摘されていた。それで「風力の被害など聞いたこともない」と住民たちは言っている。アレアレ、谷口さんらの苦しみや死は何だったのかい。「関係ない」、「アホよら」と人は言う。私に対しては「ウソつくなっ!」と怒鳴りつけて喜んでいる。由良町だけじゃなく、他所の町、どこの地域でもそう叫ばれるからね。
たぶんもう百人ぐらいの人から同じセリフを聞いている。私も有名になったもんだよ。いや、相手の人がそう叫ぶのは何も私だけじゃないだろう。誰に向かっても同じセリフを繰り返すオウムとなっている。日本人はすっかり出来上がっているじゃないか。これが日本の原理主義となって、今も全国で巨大な風力発電が建設されている。その地域の人たちは大喜びさ。なんで❓ と私は質問を続けている。フリーエネルギーなんだよ。
地球は自転しているだろ、そのおかげで無限にエネルギーが使えるんだ。火力発電なんか必要ない。自信たっぷりにそう説明されるから反論する気にもならない。実はこれが風力発電の正体だ。風もないのに風力発電が回っている。風車の近くへ行ってみな。バサッ、バサッ、と大きな羽が空気を切って回っている。先端の速さは300㎞/hr、新幹線の速さだ。ミツバチの羽のように細かく振動しているのが見えるだろう。
ビデオカメラの望遠で見るとはっきり見えるで。自然の微風でこんなものが大きく回転するはずがないだろう。電気仕掛けの観光風車だよ。デモンストレーション。多額の電気を使って風車を回している。採算なんてない。フリーエネルギなんだよ。ウソ、詐欺、幻想の世界よ。そこに低周波音の被害が人々を襲う。頭をやられるんだよ。s57年の香芝高架橋の低周波公害訴訟と同じ理屈だ。
この事件を契機に低周波被害の対策が行われる。被害の否定、弾圧政策だ。その関係者はまだ生きているから聞いてみたらいい。本にまでなっているから見比べる。私の書いた『風力発電の被害』みたいやないか。皆さん逃げ飛んでしまっている。国の政策に逆らうとロクなことがない。弁護士の汚さをこれでもかと見た。環境戦争と言ったら大げさか。ウクライナやパレスチナの戦争は世界を巻き込んでいる。
地球環境と言いながらこんな無駄な資源浪費もないわな。それで兵器産業が大儲けする。日本の電子機器も大層役に立つているんでしょ。こんな由良町にもウクライナ人がいるという。外人さんはもう珍しくもなんともない。誰でも片言の英語でコンニチワ、と言っている。「ディスイズ ア ペン」といった50年前が懐かしい。本当に日本人は白人を見ると同じ言葉を投げつけたんやで。私もやった。
「ディスイズアペン」と言って鉛筆を見せた。今もそんなに変わらないかな。素朴な田舎者でしかない日本人の原形のままだ。外人たちは笑っていたけどな。英会話教室では、先生の外人さんは「私にディスイズアペン」と言わないでください、と言っていたでしょ。笑ったよ。今年は温州ミカンが不作で、早々に収穫が終わってオレンジの取入れになっている。百姓仕事に切れ目はない。
寒起こし、と言って田んぼを耕耘する仕事がある。もう20年以上やってないかな。裏作のウスイやニンニクも昔のように作りたい。年取ると昔の生活に愛着が出ている。子供だった60年前は寒くてな、12月になると霜が降りて山々は雪で真っ白になっていた。何もない静かな昔がとてつもなく懐かしい。また一年が過ぎていく。