社会性が機能しない。

風力ビジネス、政治目的、初めから違和感と共に、環境運動をテーマにした宣伝が覆っていた。地球温暖化だという。たしかに夏は暑くなり、冬は暖かくなった。そして冷房、暖房と、電気を使用した。この辺の思考バランスも可笑しいわな。余計に石炭や石油を焚いているんでしょ。逆じゃないの。思考パターンがコントロールされている。とくに日本では新聞やテレビのコマーシャルが人々の行動に影響を与える。

今の若者はテレビを見ない、と言っても、インターネットでは盛んに再エネを煽るからね。試しに「風力反対」なんて検索して見たらよい。風力コマーシャルで覆われている。「風力被害」でもよい。低周波被害を検索しているのに、環境省の被害否定が堂々と1ページ目に踊っている。国の方針だ。法律なんだよ。被害者は「ウソつき」になっている。なーんや、風車病はないんや! 現地の人がカネ欲しさに騒いでいるだけ。「土砂崩れが心配だ」という。

自然を守りたいとか。自然エネルギーなんだよ。チャンと話し合えば納得するだろう。結局、風力発電に反対する人は、反社会的なヘンな人となる。太陽パネルでもな。石炭焚くよりマシだろ。それを国民負担で支えていく。何が悪いのか、と思考停止に麻痺してしまうのだ。もし何か人的被害があるなら補償すればよいだけのこと。問題の大きさを取り違えてはならない、か。日本人が、すっかり思考を奪われていることに驚いている。これが日本の原理主義かい。

h18年の東伊豆町の風力被害に始まり、日本の各地で同じ災厄が繰り返される。h23年の由良町の風力では、もう何が悪いのか明らかになっていたのだ。議員や行政は被害者の弾圧を楽しんでいた。被害者になった人が苦しむ。それを見て笑いものにする。面白いんだよ。2018.1/22日、1/20日のページに役場の言葉(録音)が述べられている。罪の意識なんかない。ボロクソな事後報告会の有様に、魂を奪われた住民たちの再出発がある。全体主義だ。

風力発電に囲まれるとこうなる。人ではなくなる。しかし現実は、今、新築ラッシュだ。それでも私にはヘンな現象やな、と気持ちが悪い。私だけの偏見か? なんせ村八分だからね。誰もが私を敵視する。「アカンて!」そう言って笑うのだ。私にはもう風車病の酷さを説明する気もない。たぶん、その地域に暮らしていれば、普通ではない音環境に異変を察知しているはずだ。「ウチは、何ともないんや」と嬉しそうに教えてくれる。よかったじゃないか。

人のよさそうな百姓だけど、それが中立、誠実な生き方なんだろうか。どちらでもよい。生活に不自由はない、と言うか。多少の被害感はあっても、我慢できればそれでよい。気にしなければよい。「オマエが間違っている」と人々は決めつける。そうだね。私は、風力被害に苦しみ狂い死んだ人のために供養塔を建ててやれ、と思っている。この隔絶した考えは、もはや受け入れられることはない。あれから、もう12年も経ってしまった。

被害者はまだ生き残っているから、今も塗炭の苦しみに狂っているはずだよ。途中から低周波音に敏感に反応する人もいる。しっかりと苦しむべし。そして私を恨むのだ。風力の心理トリックと、私が伝える真実と、その違いが明確になる。ワシらは役場を信じる。皆さん決まってそう言うわな。集団催眠術。例えば秋田や山形では、あんなにたくさんの風車群の下で人々が楽しく暮らしている。異常だとは誰も思わない。自慢の風景だ。

じつは由良町でも同じ心理が刷り込まれていて、観光資源になる、と言っている。遊歩道を付けて散策する観光ルートの整備をしよう、なんてね。隣の広川町ではキャンプ場に整備しているけど誰も来ないから廃墟になって土捨て場になっている。危険なんだよ。病気になるやないか。みんな知っているんだよ。知らないのは由良町だけ。この思考の不具合が面白いと書いている。同じ山の風力発電を挟んで、北側と、南側の人の認識がこうまで違う。

事実を、意味を理解することが出来ない。精神が奪われているとしか思えないのだ。アホよら、と言われるけどね。南隣の日高町では、日の岬の、強風で折れて撤去した風車は再建されない。せっかく公園整備までして観光の名所だと歌っていたのに。歯の浮くようなサイトの文があったでしょ。異常な絶賛の風景だったよな。由良町では今もそのままの精神性が生きている。素晴らしいんや。被害などあるはずがない。プロパガンダと事実。どちらを取るかは個人の自由だ。

由良町では役場言葉が繰り返される。信頼の証よ。もはや風力被害を訴える人も被害者もいない。私一人だけ。なんと、これが全国でも私一人になっている。誰も風力発電の低周波被害を言葉にしない。被害者はたくさんいるのにね。なぜや❓。笑えないか。海外ではどの国でも「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)と言って烈しく抗議しているで。日本人だけその意味が分からない。関心もない。信頼はお上だけ。汚い業者とかな。

環境運動家の悪いことよ。気が付く人もいるだろう。なんで私一人なんや。気の小さな内気タイプの私が、とうとうここまで来てしまった。有害な低周波音の測定から、論文発表までして、懸命に風力被害の酷さを訴えて来た。それでも、どうしても日本人には伝わらない。「アホか」、と言われて終わりよ。士苟も正を得て斃る。(身を守ることに価値などあろうか、ありはしない)ということか。任重くして道遠し。160年前の幕末みたいやで。いずれ開国になる。人の意識がな。