田んぼや畑が消えていく。

和歌山の田舎町でも耕作放棄地が増えている。百姓する人がいなくなったのだ。サラリーマンと比べて、現金収入にはなりにくいからね。趣味で家庭菜園している人もいるけれど、百姓じゃなかったら、そのやり方はどこかヘンテコで邪魔くさい感じがする。百姓から見ると、仕事の邪魔なのだ。暇人の趣味には関心はない。

百姓の家に生まれても、サラリーマンをしていたら、百姓仕事をしなかったら、田んぼや畑は荒れていく。山畑の斜面ならなおさらだ。そこに太陽パネルを並べたらどうなるだろう。もう二度とそこで百姓することはなくなるわな。写真にあるように、私は物心ついたときには毎日毎日開墾の日々でありました。

松茸山だったので、マツタケ、ネズミタケはたくさん食べたかな。タケノコ、ワラビ、フキ、そんな山にあるものばかり食べていたようだ。なんせ現金収入がほとんど無かったのだ。これで生活がよくできたものよ、と母はこぼしていた。古い家柄だけで中身は空っぽだったのだ。今、私は2ha(二丁歩)ほどの田畑でやっている。

63才、そろそろ限界だ。太陽パネルの営業の電話が何度も来る。その度に断っている。私のワンダーランドに、そんなものはいらない。それ以上に風力発電の低周波が襲ってきて、体がしんどいのだ。ほっぺたに空気振動の圧力波を感じる。「風圧」ではない。「気圧変化」がワァッ、ワァッ、と辺りを覆うのだ。

すっかり重症患者になっている。苦しみながら死んでいった被害者たちを思い出すよ。最初から気が付いていたけれど、やはり社会の破壊が目的だ。被害者に対する弾圧だけでなく、周辺の田畑を奪っていく。すべて税金でやっていることだからね。日本人が、こうもアホだとは思わなかった。

私には、昔の貧しかった時が懐かしい。松の木を伐り、シダを刈り、トンガで、手作業で新鮮な土を掘り返す。ミカンはとても安値で、採算は合わないけれど、それでもいいと最近、思うようになっている。カネではない。人として前向きに何かに夢中で取り組んでいければと考えている。再エネは、もう止めよう。