水俣市のシンポジュームに参加する予定。

水俣市の道家さんから連絡があって、10/31日(土)、14~16時に水俣市でシンポジュームを開催するから、由良町で体験した風力被害のことを話してほしいと依頼されました。水俣市では10年前、同じような風力計画があって、彼らは伊豆や伊方を視察したり、東伊豆町の藤井さんが講演に水俣を訪れて、風力被害の悲惨を伝えました。

「水俣市、風力発電」と検索すると、すぐに当時の記事が出てきます。それなのに、なんで今頃、また風力計画が進んでいるのかと不思議に思ったのです。水俣には歴史があるでしょ。被害者に対する過酷な差別と、社会の崩壊を見て、身に染みて公害の悲しさを悟ったはずです。全国に向けて、水俣学とまで啓蒙した。同時に、どうしても拭いきれない愚かしさも見せた。

私が協力するのは、これが一つのきっかけになればと思ったから。水俣病の時は、全国から「義により助太刀いたす」と言っては、会社や国に対して抗議運動を展開した。あの正義を期待してのことに尽きます。水俣病を訴える多くの人物が登場した。

風力発電の低周波被害も、これだけの被害者を出しながら、汐見文隆医師の訴えが続かない。「これは国家犯罪だ」と怒りを込めて言った言葉だけ残された。私は、何とか風力被害の酷さを伝えるために『風力発電の被害』を書いた。肝心の由良町では、1冊だけ売れた。あるいは、我家のみかん畑には、ボロボロになったその本が、これ見よがしに捨てられていた。

汐見先生もたくさんの冊子を作っては人々に配っていた。そして、それぞれの被害地で、ボロクソに言われて迫害を受けた。この人は神か、と感動したものよ。私はとてもそこまで及ばないまでも、自分が助かりたいこともあって、義理もあって、この場をお借りしたいと考えました。

風力発電の被害には、主に3つの被害があります。

①低周波周波被害

②発電の役には立っていない。

③被害者に対する弾圧

この他にも、騒音、シャドーフリッカー、景観破壊、バードストライク、などがあります。それぞれに深刻な被害です。今回、私が限られた時間内で話すのは、

①低周波被害とは何か、由良町での出来事を説明します。畑地区の谷口さんの証言は、お聞きになった人もいると思います。私はその依頼を受けて、ここまで活動してきたものです。

②の発電効率については、私のページ、10/18日の「風力発電という幻想」に書いたとおりです。山田征さんらジャーナリストも最初から指摘していますし、環境運動家の人も本にしています。「リスクを享受する義務がある」と町長は豪語しますが、電気を生産、利用しない風車のために、なんでこんな犠牲を負わねばならないのか、サギ、狂気、カルトでしかありません。

③の被害を訴えるものに対する弾圧です。私に対する風力裁判は、それは酷いものでした。私は、谷口さんが被害地域で、どんなに泣かされてきたのか、まざまざと見ることになる。被害者たちが御坊警察や検察に、必死になって被害を訴えた思いは何だったのか。

これは水俣市では、理解されることだろうと思っています。ところが、今では水俣でも、当時の被害者に対する差別や弾圧のことが分からない人が多くなっていると聞く。

私は今62歳。40年前、当時20歳の頃、水俣運動や、香芝高架橋の低周波訴訟があった。私より年上の人なら、当時の公害問題を覚えているだろう。しかし40年も経った今にして振り返ると、当時の悲惨な思い出はすっかり風化して、高度成長、バブルを経て、少子高齢化、コロナウィルスの話題がニュースを独占する。

風力発電のプロパガンダは凄まじいから、自然エネルギーよ、CO₂削減よ、という言葉に置き換わる。すべて嘘なのにね。だから風力発電に被害があるなんて誰も知らないし、関心もない、というのだ。

最初にシンポジュームのパンフレットを見た時、「考える」という言葉がいくつも並んであって、「反対」の言葉が一つもないことに気が付いた。

公害に中立はない。加害者か、被害者か、それしかない。

そんなことは水俣の人なら百も承知だろう。

全国に「考える会」というエセ風力反対運動が展開されている。御用学者を招いては被害の否定を繰り返す。常連講師を囲んで別の言葉にすり替える。海外では、普通に「Stop wind turbines !」「No wind turbine」と言っているのに、日本にその言葉はどこにもない。すっかり被害者対策をされている。そういう仕組みにされているのだ。

それでも参加者の中には、風力発電はいらない、と強く主張する人たちがいるらしい。どんな展開になるのか、大変なシンポジュームになるだろう。

私から見れば、水俣病の本をたくさん読んで、教えてもらうことの方が多いのだ。それが自己崩壊してどうなるのか、と思う。杞憂だろうけどね。

風力発電という悪行には、いろんな意味がある。この場で、釈迦に説法だと、言われることを想像する。全国に向けて、水俣学を発信してもらいたい。