日本人にはどうしても分からないのか。

風力発電の低周波被害は、私が由良町で体験した時には既に全国的な広がりを見せていた。東伊豆町はh18年、由良町はh20年には被害者がいたらしい。共にコテンパンにやられている。谷口愛子さんから深夜、電話があって、風力被害の悲惨な状態を聞いたのがh23年11月末のこと。この時には、有名な環境省の調査報告書『平成22年度 移動発生源の低周波音等に関する…』が公開されている。

被害を訴えるものは精神疾患のものだと書いてある。移動発生源、というのも奇妙な呼び方で、車や飛行機なら移動してなくなるけど、風力発電はしっかりとコンクリートで固定されている。役所言葉なんだろう。この報告書は毎年のように延々と、被害否定の言葉とともに公開が繰り返されていた。御用学者がたくさん記載されていて、何度か手紙を書いてみたけれど返事はなかった。

岡山大の津田敏秀先生には何度か話を聞いてもらったかな。頓珍漢な話で終わったよ。福島の被ばくで忙しそうだった。縁がなかったようだ。由良町周辺の地元新聞には、h20年には風力発電の記事で、「土砂災害」の言葉がある。低周波被害の言葉はない。田舎新聞とはいえ、h18年の東伊豆町の風力被害を知らなかったとは考えづらい。

じつは、h19年に由良町が風力発電の建設を決めたというので、私はすぐに風力反対の投稿記事を載せてもらった。裏山に風力発電が出来たら煩いやないか、と危機感をもって書いたものだ。これが最初の関りだったんやね。今もまったく同じ心境でいる。いや、被害者たちの苦しみ狂い死んでいく有様を見た。私も散々にやられている。人々の裏切り、悪意の恐ろしさを見てきた。

「ようこそ地獄へ」とは海外のプラカードに書かれた言葉だけど、同じ気持ちを共有している。日本にはそんな人たちがいないだけの事か。なぜなんだろう、という奇怪な疑問を書いてきたつもりだ。由良町の人は笑って喜んでいる。日本国中がそんな不思議な破壊思想に染め上げられていた。それがまた誰も気が付きはしないし、言って説明しても理解してくれないんだな。「土砂崩れ」だというばかりよ。

これまで何人の人が、「由良さん、もうそろそろ土砂崩れじゃない、の言葉は止めませんか。あなただけでしょ」と言ってくる。風力発電反対、と言っていた運動家でも、「ヘンッ、ワシらは土砂崩れなんや」と吐き捨てるのだ。私の悪口を聞いたんだろうね。そうなったらもう後戻りはできない。人物破壊の恐ろしさは由良町で何度も見たのだ。下津町や広川町でもそうだったでしょ。悪口の酷さは殺人的なんやで。

そりゃぁ、泣き叫ぶわ。それを面白いと言って周囲の人たちは笑いものにして喜ぶのだ。地域から被害者を叩き出す。こんな面白いゲームもないわな。カルトを楽しんでいる。取り留めのない空想じゃなく、現実に、具体的にその人を破壊して殺すんだよ。みんなでだよ。昔あった生贄の儀式だ。穴掘って生き埋めにしたでしょ。人柱だと言ったでしょ。そして、夜になったら「シクシクと泣く声が聞こえる」とか言って喜んだじゃないか。

被害者を助ける、なんて気持ちはどこにもなかったんやね。たとえその家族でもな。下津町では一家、家族全員が地域を離れている。百姓家、自慢の畑や蜜柑の木があっただろうに。カネじゃない。もっと大切な心の在り方まで壊されたんやな。なんと県の環境課と有力者が9回も、低周波を測定して被害はないと否定した。普通の百姓をそこまでして懲らしめて、笑いものにして喜ぶか。

私はその笑い声を何度も聞いた。はっはっはっ、低周波の法律はないんだよ。とな。何がそんなに面白いんだろう。政治や行政は、それほど生贄が必要だったんだろうか。私は由良町役場で29回も一般発質問で風力被害を訴えた。被害者たちが次々と死んでいく。頼まれたからには何かできることしないわけにもいくまい。アホ役、と承知の上よ。それが今も日本で私一人の姿になっている。

「土砂崩れじゃない」という言い方は止めろ。アレアレ、本心を晒して嬉しそうなことよ。お花畑の環境運動は糞まみれよ。外国の風力反対運動の意味、というより風力ファシズムの権化よな。人間狩り。風力被害者を否定して叩きのめすのだ。日本の政治や行政の公認なんやで。こんな楽チンな正義もないで。地獄に落ちろ、と願っている。日本には土砂災害の心配だけになりましたなぁ。

その笑いの影には甚大な人的被害がある。個人もそうだが、社会として取り返しのつかない崩壊を見ている。私はもう人に親切にするのは止めたよ。「陰徳により由良家の災厄を・」なんて祝詞は捨て去った。関わるだけ反作用が来る。「憎しみ」というお返しよ。人々の単純な社会観も見飽きるほど見た。学校の教諭が、「これ見て見い、影響はないと書いてある。よく見やんかい」と風力被害の否定記事を人々に見せる。

それらの人は分かったのかどうか、ウンウンと頷いて見せる。それだけで通じるのだった。レベルの低さよ。羨ましいと思わんか。被害者でさえ、一時、かどうか、被害を忘れて世間話に興じて笑って帰っていく。もうそれらの世代は終わっている。私だって65才だ。誰も話し相手にはなってはくれない。まるで家畜だからね。意味のない言葉の羅列に笑いあう。「ハビ(マムシ)が多いの。気を付けないとな」それでおしまい。

今年はホントにマムシが多いね。7匹殺した。4匹逃げられてしまった。ヘビよりもマムシが多い。秋までにはいったいどれほどのマムシを獲ることやら。皮を剝いて干したのもある。親父は腹を裂いたらその肝を美味そうに啜って食べていた。卵が入っていたらさぞごちそうだっただろう。いつか私も挑戦しようと覚悟を決めている。