日本だけが「Stop wind turbines !」、風力発電を止めろ、と言えない仕組み。

昨日、考える会の代表から「風力発電は止められないからな」と強く言ってきた。これまでも野鳥の会などの環境運動家たちから何度となく同じ言葉を聞かされてきた。この本にも、環境運動家には何を言っても通じない、と説明されている。彼らはマルクス主義、ナチズムと同じで、カルト教の信者なのだ。初めから今回の風力事業に参加して、被害者の抗議の声を吸収して、黙らせる仕組みの一つだった。

全国にある風力発電の既設、計画地域に、「風力発電を止めろ」という抗議があるか? アメリカやヨーロッパでは、当たり前に「Stop wind turbines ! 」と抗議運動しているではないか。風力発電が建設される田舎では、人々はインターネットを使わない。とくに被害者となるのは50歳より上の年寄りばかりだ。たまに若い人も風車病になるが、若いだけに人生経験からも被害を訴えにくくされている。

簡単に言いくるめられてしまうのだ。被害者や、風力被害を心配する人を黙らせる方法はいくつも用意されている。「被害がある」という人は誰もいない、というのだ。由良町で聞いてみたらよく分かる。伊豆や伊方でもそうなっている。環境運動家たちの勝利が続いている。風力被害者は、コテンパンに潰されてきた。誰も助けるものはいなかった。下関市の風力スラップ訴訟は「やらせ」だと思っている。

田舎の漁師が1500万円も支払えるか。懲役刑(執行猶予)まで付いている。誰も抗議しないし、メディアが伝えることもない。2019年にハワイの原住民を、風力発電に反対したから55人も逮捕した事件と似ている。何かがおかしいのだ。開けてはならない箱を開けたみたいではないか。下関や石狩、由利本荘で風力発電の反対運動があると聞く。しかしどうもおかしいのだ。被害があるなら「風力発電を止めろ」だろう。

肝心の核心、コアの訴えがない。低周波被害は認められない、と言っても、低周波被害こそ、被害の核心であるのだ。つまり、いくら上手いこと言ったって、考える会などの環境運動家は、エセだということだ。風力被害に反対することも、風力被害者を助けることもない。海外の風力反対運動との決定的な違いよ。行政や業者と結びついた御用運動会だったのだ。既に全国には多くの風力被害者がいて苦しんでいる。

とうに逃げ出した人、苦しみながら亡くなった人たちがいる。私がこのブログで伝えてきた通りだ。それを海外の資本はよく見ていてカモにしていると聞く。風力事業のキャッシュフロー、資金の流れは複雑に隠蔽されているという。政治家がまず汚染されているとも聞く。それを政治に執着して懇願を繰り返すアホな運動家もいる。正義を取り戻そうではないか。

海外と同じように「Stop wind turbines!」と抗議しよう。イデオロギーに侵された環境運動家たちに騙されてはいかんだろう。「エコなのか」と笑い話にしている場合ではない。被害者を弾圧して、風力発電を進める意味などどこにもない。風力発電を止めよう。そして風車を撤去しよう。