日本だけ、風力反対運動がない。h23年11月末に、谷口さんから電話があって、風力発電の異常な低周波被害が明らかになりました。由良町には21基の巨大な風力発電が、北側の山々に林立しています。
2000kw × 5基 (h23.9/30日稼働)
1500kw × 16基 (h2011/11日稼働)
民家までの距離は700mほどで、細い谷あいの町だから、騒音が反響していた。もちろん低周波という耳には聞こえない空気振動も、定在波として、地域一帯にへばりついていた。
田舎は静かだから風力発電由来の低周波が卓越するのだ。たとえ風車が止まっていても、風車独特の低周波を発している。自由振動しているのだ。谷口さん宅で測定した低周波分析図を見てほしい。
風車が止まっている時と、回転しているときのグラフである。リオン社製NA-18Aによる1/3オクターブ分析である。またその下には、周波数を細かくして計測する高速フーリエ変換FFT図を示した。日時が違うので、分析図も違ったものになる。
この時、風車の真下まで行って測ってみた。
すごいじゃないか。音圧dbが、40dbも違うことが分かる。対数表示だから10.000倍、のエネルギー差があることになる。風車の根元では、こんな物理的な現象が起こっているのだ。目に見えないからと言っても、敏感な人が見に行くと、何かヘンな空気があることが分かるのだ。しかし問題は空気振動だ。我家は風車から1.2㎞離れているが、常時、30db、つまり1.000倍のエネルギー変化、気圧変動を受けている。
Youtube動画(morio yura)にアップしているからその挙動を確認してください。FFT分析図でも、2Hzのところで30dbの落差があるでしょ。これって、ジッとしているんではなくて、常に上下に振動しているんですよ。特異なピークがあって、倍音になっていることが分かります。これが「卓越している」という現象です。ピアノやバイオリンなどの楽器にも倍音があります。えも言われぬ音色に聞きほれることがあるでしょう。あれと同じものです。
いや、だからこそ、風力発電の低周波の倍音は、我慢のできない苦痛を与えるのです。小川のせせらぎ、波の音、自然にある低周波は、なんと心地よいものなのにね。人工的な低周波は、脳髄に突き刺さる。被害確率は100人中、1人か2人と言われているが、それは重傷者で、10人くらいの人は低周波があることを煩わしく思っているだろう。畑地区では、それが5、6人もある地域があって、苦しみながら死んでいった。
実際、h26年に行われたアンケート調査では、全体の18.9%の人が被害症状があると答えている。なんとこれは、由良町だけではなく、伊豆や伊方など各被害地でも同じ被害調査が行われていて、同じ結果になっているというのだ。風力発電の低周波被害を隠蔽する秘密工作は恐ろしいものなのだ。
これまで、私はこのホームページを使って、たくさんの弾圧風景を伝えてきました。しかし誰も真面目に聞いてくれる人はいなかった。そりゃ、ジャーナリストたちが来てくれて、「再エネ」って非常に悪い仕組みですよ、と教えてはくれた。風力発電の計画があるんだが、何とか反対運動して被害から免れたい、という人たちもいた。なかにはかなり怪しい人がいて、御用学者の被害否定を吹聴するようなアホもいた。
野鳥の会や、「考える会」といった、環境運動家の悪行も見た。あたかも風力被害を心配するようなふりをして、風力発電反対と言いながら、風力発電を推進する手合いも見てきた。これはどこでもあるからすぐに分かった。地球温暖化サギをテーマにした本には、環境活動家、とか言ってアホにしている。海外にも、そんな連中はドツサリとあって、ドイツの緑の党なんかはとくに有名でしょ。
このホームページの初めにあるADR放送を見れば分かると思います。「私たちには風力発電が必要です」と繰り返すのだ。ナチス運動と本質は変わらない。それを日本は国策として真似しているんだから、75年前と同じ過ちを繰り返している。風力発電の被害の本質は何か。低周波被害はもちろんだが、人が苦しみながら死んでいるのに、それを笑いものにして、さらに建設を進めて、地球温暖化だ、気候変動の危機だ、とか、勝手なスローガンを掲げてカネ儲けと利権に酔っていることだ。
得体のしれない支配する意思を感じないか。h19年に伊豆や伊方で風力被害が問題となって、被害者たちは助けを求めた。ところがh23年度の環境省の報告書には、「被害を訴える人は精神疾患のものである」と書いて、被害者を精神的に打ちのめす。その後、環境省は毎年のように風力発電の被害はない、と報告する。なんと風力発電からは低周波を観測することはできなかった、とまで書くのだ。すごいじゃないか。
海外では既に、低周波の観測や被害の実態が調査報告されて、たくさんの抗議運動が引き起こされている。「Stop wind turbines !」というのだ。ところが日本には、風力発電を止めろ、という抗議運動が一つもない。それどころか、風力計画に反対する連中が、市民風力をやっている。風力被害はありません、という。被害者は、コケにされ、闇に消されている。最近もTwitter記事など見ると、土砂崩れが心配、などと盛んに書いている。
言葉のすり替え、トリックやね。あるいはSFファンタジーのような、風力コマーシャルが常時流されている。印象操作なのだ。私のページには誰も訪れないが、そういった再エネ推進の環境運動家たちは、資金が豊富で、体制派を自任しているんだろう。国を背負っていると勘違いしているかもしれない。ただのアホなのにね。何のために風力発電やメガソーラーを建設するのか。地産地消と言いながら、電気なんてもうそんなにいらないでしょ。
その建設費は、すべて税金で、私たちが電気代として支払う仕組みになっている。その電気は使われているのか? 揚水発電に使うのだという。アホも休み休み言え。これから電気自動車になるんだという。いつからのことや。まるでナチス運動、ファシズムの闇やないか。先日もテレビで、経産大臣が風力企業の営業をやっていた。環境大臣も同じものよ。日本の大臣たちが、風力発電を積極的に推進するという。
政治主導だからか、各地に風力反対運動はない。エセ運動会なら、風力事業とセットになっているけどさ。伊豆から始まった風力被害地が、どうなっているのか見てほしい。逃げ出した人はいい。苦しみながら亡くなった人。今も苦しみながらジッと我慢している人がいる。被害を訴えるとアホにされて弾圧されるだけよ。とくに昔から、あの家は悪い、と言われた人ほど悪いね。親の言うことに徒(アダ)はない。親のありがたみが分かったよ。
ジャーナリストたちは、「社会が崩壊するんやで」、と私に言った。彼らは各地の風力被害地を回ってきているから、各地に共通する悪事が分かっていたのだ。だったら、ライターが本業なんだから誠実にご自分の本分を発揮すればよい。水俣病もそうだったでしょ。やはり環境運動なのか。思考を奪われているんではないか。あの日、ジャーナリストと一緒に、由良町役場を訪ねたことがあった。ボロクソに叫ばれたね。
ジャーナリストは、どこでもあのように、ヒヤッ、冷やっ、と背筋が凍りつくような恐怖を受けているんだろうか。そして警察が背後にいる。国を相手に戦うことの無意味さを知っているんだろうか。私は、汐見先生が各地の被害地から追放されてきたことを知っている。被害者が、「私たちは風力発電には反対ではありません」というのだ。ヘンでしょ。恐ろしいでしょ。全体主義、恐怖政治になっていることに気が付いてほしいのだ。
ちなみに我家には由良守應という面白い男がいた。ここに記録されているように、同じ由良町に住む人の讒言、作り話で和歌山から追放されてしまう。エシミ、エシュミ、羨み、という意味らしいのだが、お上の方も分かっていて、処分したらしい。今回の私の起訴と同じパターンやね。歴史は繰り返す。正義なんて、どこにもなかったんや。畑地区の人は大喜びしている。幕末、明治の頃と同じ心理が現実に、今も露わになった。
私はカネもないし、一人暮らしで貧乏して暮らしている。とくに羨まれるようなことは何もない、と思っている。旧家と聞くが、家柄と言っても、何の由緒もないのだ。曽祖父が80年ほど前に、家系図や古い仏壇などを田んぼで焼いてしまったらしい。さっぱりしたものよ。
それでも、私の踏ん張りの理由に、旧家のボンのプライドか、と言うと、「それがいけない。家柄を自慢するからダメなのだ」と何度言われてきたことか。それほど人の「エシミ」「エシュミ」「羨み」の呪いは恐ろしい。
そして彼らは汐見先生であろうと誰であろうと、親切に寄り添おうとする人を追放すると面白くてならないのだ。こんなに簡単にコントロールできる社会もあるんやね。閉ざされた社会が、現実にあることに驚いている。
日本だけやで、自由にモノが言えない、自分たちの社会を、自分たちで運営できずに、上からの指示にひれ伏しているという姿は。とても民主主義ではない、ということを分かってもらいたい。自分の頭で考えて、何が価値があって、何が真実なのかを突き止めようやないか。