御坊警察での取り調べを終えて

11/22日、1時から5時過ぎまで、みっちりやりとりしました。取調官とは、どうしても意見が合わずに「それは違う」という言葉の応酬でした。例えばtwitterでもあるように、研究論文や新聞記事のように事実であること、と、感情を爆発させて「バカヤロー」と書いてしまう二つがあるだろうと私は説明しました。

私のホームページにも、もちろんこの傾向はあって、読者諸君は何も私の感情論を見るためにこのページを開けているわけではない。小林先生の紹介する貴重な記事や資料を渉猟する人もいるだろう。由良町役場や議員たちがどう反応したのか知りたい人もいるだろう。それを同じにしてしまっては話がもつれてしまうではないか。

取調官は同じことだという。不特定多数の人に知らせるためにホームページをやっているんでしょ、と。私は風力発電の被害者に対する弾圧が許せないので、その腹立ちを記事にした、と話した。怒りを発散したかったわけだ。h26年ごろ、ちょうど「ハンナアーレント」、「アイヒマンの末裔」の映画をやっていた。

大量殺人は命令されたから実行した、と言われているが、実際に殺人を犯したのは末端の兵士であり看守であった。あるいはユダヤ人の虐殺にはその地域のユダヤ人リーダーの協力により実行された。という内容が、風力被害者たちの弾圧に瓜二つだったのだ。地域のものが、地域の被害者を弾圧して黙らせる。

全国どこでも行われているらしく、当初からジャーナリストや運動家がそのことを指摘していた。私も由良町で見ているし、私がそうされているからよく分かる。あの時、何人かの人が私を掴んで泣いていた。それを環境運動家たちは、地域の人々は「大げさな物言いをする」とあざ笑うのだ。私が怒らずにどうしようか。汐見先生も怒っていた。

私は、汐見先生の謦咳に触れた。暗夜を憂うなかれ、ただ一灯を頼め、と。これからのことは分からない。とりあえず逮捕、拘留もされずに生還した。以前、小林先生たちが由良町に来た時、和歌山はまだ徳川の江戸時代にあるんだ、と言って笑っていた。汐見先生も同じことを言っていたと聞いている。

安政の大獄、蛮社の獄、って歴史の教科書にあったでしよう。吉田松陰や高野長英といった学者たちが殺された。何のために? 同じことが今も繰り返されている。幕府の意向に逆らう不届きな輩よ。歴史は動いている。次のステップは何か。私は香港などから移民が押し寄せて、とうに壊された日本社会に、新たな多民族国家にされていくように思えてならない。

私がどちらを取るかは明白だ。それを仕向けられているようにも感じている。再エネ資金は年間に5兆円超あって、これまで100兆円が費やされたという。金額だけでもすごいことだが、カネの流れを誰もチェックしない。原発資金と同じよ。そしてそれだけでは済まない日本という国の変革が行われていると思えてならないのだ。