平成28年12月議会、一般質問要旨

私が風力発電の被害を訴えてから、ちょうど5年になります。谷口さんから電話があって、「由良町議会で訴えてほしい」、と依頼されたことが始まりでした。

途中で、たくさんの物語がありました。抗議のための署名運動をしていると、「由良さんが私のことを、気違いだと言って回っている、という連絡が十人以上の友達から来た。
由良さんが、そんな人だとは思わなかった。みんな私の信頼する古い友達です」ということもあった。

確かに私は、2~3人の人に、谷口さんが低周波で苦しんでいる、と話しました。谷口さんを知っている人だったからです。
それが十人以上になって、私が、そんなこと言うはずがないのに、私の悪役ぶりが強調されました。そして排除されました。

被害者の会の窪田泰さんも、運動家たちから一番の除け者でした。谷口さんは「考える会」で張り切っていました。
しかし2年、3年とするうちに孤立したのか、本当に古い生まれ故郷の友達の言によると、村八分にされて嫌悪の対象にされて差別されていたそうです。

私は史記列伝、孫子・呉起列伝に習い、最後まで力を尽くしたつもりです。
谷口さんと同級生で幼友達の畑中町長は、最後まで冷血漢を誇示しました。

玉置議長は、私の発言に対して「根拠を示せ」として、多くの発言の取り消しを命じました。


風力発電の低周波による健康被害について

私は、平成23年12月議会から、一貫して、風力発電の建設により、地域の住民に被害を受けて苦しんでいる人がたくさんいることを報告してきました。
そして、健康調査をしてほしい、いったん、風車の運転を止めて、アンケート調査をして、住民の意見を聞いてほしいと訴えてきました。
風力発電の低周波による被害については、法律などにより規制はされていない現状があります。

また、なぜ風車病になって苦しむのか、wind turbine syndromeといわれるように、世界的に被害が確認されながら対応が遅れているのか、問題になっています。
今年3月に亡くなった、和歌山市在住の汐見文隆医師は、「低周波音測定機で測定すれば、明らかである

由良町の風力発電では、2Hzの所に卓越したピーク(特異なピーク)があって、自然界にはない被害成分があることを示している。
なぜ、被害を認めないのか」と主張してくれました。今年、9/25日には、由良町を見下ろす風力発電21基がすべて止まっている日がありました。

10/29日には、由良風力発電所2.000kwの西側1基だけ止まっている日がありました。
私たちは、その両日の測定を行いました。なんと、低周波領域、0.1Hz~20Hzの間で、20dbもの音圧の差がありました。
エネルギーに換算すると、100倍もの差がある証拠です。

とても日本気象協会が報告するような、「一般的な住宅内に存在するレベルと変わりなく・」という状態ではありませんでした。
このように風力発電が発する、低域の低周波空気振動が連続することにより、内耳に損傷を与え、風車病に苦しむ原因となっていることは明らかでした。

アメリカ、ワシントン大学医学部のSalt論文では、低周波被害を受けると、内リンパ水腫となり、内リンパスペースが腫れあがる。
そして耳鳴り、目まい、吐き気に苦しむ、と解説しています。まさに外因性の疾患であることが明らかにされています。

法律的に規制がないからと言って、協定書には「低周波、電磁波等により、地区住民に苦痛を与えないこと」と明記したことを反故にする理由にはなりません。
今は、由良町は全国有数の風力発電の被害地です。由良町が、これほどまでに有名になるとは私も予想していませんでした。

インターネットで検索すると、由良町の風力発電被害の様子が大量にアップされています。たぶん全国で一番です。
先日、風力発電の低周波被害で亡くなった畑地区の谷口さんも、全国の風力発電建設地に出かけていって、低周波被害の酷さ、残酷さ、を話してきました。

最初に、谷口さんから問題解決の依頼を受けてから、ちょうど5年になります。谷口さんが亡くなったからといって、抗議運動を止めるわけにはいかないのです。
他にも、たくさんの被害に苦しむ人がいます。低周波被害の苦しみを言葉に出来ずに、私に声を掛けることができずに、苦しんでいる人がいます。

行政は、議会は、なぜ、これほどまでにして風力発電の被害を否定して隠蔽するのか。それが私には理解ができません。
北海道や下関で、大規模な風力発電計画があって、建設反対運動が盛り上がっています。小さな町に2千人、3千人もの人が集まって反対集会を開いてデモ行進いるのに、なぜかニュースにはなりません。

新聞にもテレビにも出てくることはありません。これが原発反対運動なら、ニュースになって、人々の話題にもなることでしょう。
風力発電の建設は、初めから少しずつ建設が進められて、なし崩しに被害が広がりました。

被害にあう確率も、100人中で2人か3人です。多くて5~6人でしょうか。
なんともない人は、全く何も感じないそうです。かといって、たまたま低周波の被害を被ることになって、苦しむ人にとっては、それこそ死に至る病です。
原因は、間違いなく、風力発電であると確信しています。

被害地域にはたくさんの人が住んでいます。畑地区400人余り、中地区100人余り、門前地区400人余り、三尾川地区200人余り、被害にあう確率から推測しても、相当な被害者がいることが予想されます。

法律にあるから、とか、ないから、とか、そういう無責任な話ではなく、まずは人道上の問題です。人として、どう考えるかです。行政として、住民の健康に対して、責任があるのではないでしょうか。

ここに、紀州新聞に投稿された風車被害者の記事のコピーがあります。「もう読んだことあるよ」という方もおられると思います。改めて、一人の被害者の苦しい思いを紹介します。

【投稿 風車被害】

たくさんの人が風力発電の低周波で苦しんでいます。すぐに風車を止めて、被害者を救済しなければならないと考えます。
畑中町長の答弁を求めます。


質疑①
先日、亡くなった畑地区の谷口さんは、畑中町長の同級生であり、子供の頃からの旧知の仲、いわゆる、幼友達であったと聞いています。
谷口さんから、畑中町長に対して、何度も、今回の風力発電被害に対して、解決をお願いしてきたと思います。

私が、谷口さんから何度も聞いてきたことですが、「町長は騙されている。誰かに操られている。」と伝えてきました。
谷口さんの厚い信頼に対して、彼女の切実な願いに対して、町長が、どんな言葉で、風力発電被害を説明したのか、お聞かせいただけますか。

谷口さんは、決して嘘や作り話で、被害を訴えたものではありません。私は、彼女から依頼を受けて、5年間も問題解決に向けて力を尽くしてきました。
私は、谷口さんを信じています。今も、その思いに変りはありません。

それは、人ですから、多少の間違いはあったかもしれません。ですが、谷口さんの一生懸命な姿に、全国の関係者が心を動かされました。
北海道や山口県の風力発電被害地の人たちも、大きな影響を受けたと思います。

同時に、谷口さんに対する畑中町長の態度も、全国版として関係者の話題になってきました。
私にも、それがよく分からないのです。論語にもあるように、長年、仲良くして暮らしてきたものが困っている。

その時、その人はどうするか。普通は助け合って、社会を維持しようとするはずです。人との信頼関係が社会の基盤だからです。
谷口さんにとっては、町長が出世したことで、何度も自慢話を聞かされました。当時は、それほど嬉しかったのでしょう。

是非、苦しみながら亡くなった谷口さんに対して、どのような説明をしたのか、お聞かせください。

質疑②
今、インターネット上にアップされている記事があります。ジャーナリストの山本節子という人のブログです。
昭和53年11/7日の沓脱タケ子議員の質疑をそのまま記載しています。

沓脱タケ子議員は、元、お医者さんですね。有名な議員さんなので、皆さんもご存じの方が多いと思います。
私は、汐見文隆医師のことばかり話してきましたが、医師としての低周波被害に対する見解を、沓脱タケ子議員は、実に的確に指摘しています。

40年も前に、既に低周波音被害は、その実態、メカニズム、発生源対策にまで明確に、国会の場で議論されていました。
その結果として、西名阪自動車道、香芝高架橋周辺の低周波音被害は、被害補償がなされ、大改修工事が行われることになりました。

沓脱タケ子議員は、こう述べています。
「被害が出ているのに基準ができていない。基準ができるまで、ほっときますか。4年も経過しているのに、何の解決もしていない。
住民が、毎日毎日苦労しておる。苦しめられておる。行政は極めて無責任だ。住民の皆さんに謝罪をして、緊急対策を建てるべきです。」

そして、私も、沓脱タケ子議員と同じく、「由良町役場の対応は、時代錯誤も甚だしい」、と考えております。
この質疑には、汐見文隆医師の実績も紹介されています。

畑中町長、被害のすべては明らかにされています。全国的に、畑中町長の答弁が注目されています。たぶん、歴史に残る事件になっています。
山口県の下関市でも、北海道の石狩市でも、畑中町長の答弁が、大反対運動の根拠の一つになっています。

・風力発電には低周波被害があることは分かっている。
・風力発電の低周波被害にあって、苦しいと訴えると、散々に否定されて弾圧される。
・風力発電事業は、行政と一体となって、低周波被害を隠蔽している。

こういった悲惨な事態になっていることは、既に全国的に知られています。
風力発電の低周波により、苦しみながら死んだ人、今も苦しみながら、じっと生活している人のために、誠実な答弁を求めます。