奇妙な心理コントロールに騙される。

世界中で風力発電は拒否され、抗議デモが行われている。h19年の汐見文隆医師の訴え、ニーナビアポントの『Wind Turbine Syndrome』は世界的に有名だ。個人が、社会が、徹底的にやられていたのだ。あれから十数年経つけど、未だに妄想を振りまく政治や社会運動が賑わっている。このページでは、そう言った海外のトラブルの記事を紹介してきた。「Stop wind turbines !」と海外では、どの国でも抗議している。

健康被害を烈しく訴えている。ところが日本ではどうだ。どうも様子が違う。これほど対比される場面もない。なぜなのか❓ 日本独特の心理コントロールが蔓延しているのだ。社会操作、世論を牛耳る魔法とは何かを分析してきた。たしかに風力発電の被害者になるとヒステリックに顔つきまで変わってしまう。精神的なダメージがあって、そこに巧妙な弾圧が加えられると、たちまち被害者は変人、狂人に仕立てられてしまう。

笑いものにされて孤立する。社会から引き剥がされて悪口の的にされている。嫌がらせ、蔑視、アホにしまくる。それが人々には面白い。被害者を否定する演出に、政治家や役場、環境運動家、エージェントはマニュアル通りの言葉を繰り返すのだ。h23年度の環境省の報告書に書いてある通り、【被害を訴えるものは精神疾患のもの】は一面の真理になっている。そのようにされて迫害されるのだ。国の政策としてだ。

普通に考えて、道徳的にも人に対して「精神疾患のもの」と書いて指弾するか。当時の協定書には「風車建設により低周波音等で住民に苦痛を与えないこと」と書かれてある。無茶苦茶やないか。しかも事後報告書として、低周波音を測ったら被害は認められずに、それは「国道を走る車の騒音」であった、と結論する。もちろん役場や政治家が、被害者を取り囲んで脅迫するんだよ。言葉の暴力だ。

そして重症の被害者は苦しみ狂い死んでいく。あるいは自宅を捨てて引っ越してしまう。これにも裏技があって、被害者を集めて「考える会」という秘密結社にして閉じ込めて管理する。恐ろしい地域対策が横行した。私もボロクソにやられたからね。悪党は大喜びさ。どの地域にも悪い人は昔からいるでしょ。こんな時、その正体を現すわな。「あっ、言い伝えられてきた話は本当やった」と思ったのは私だけではあるまい。

それでも社会政策として、被害を訴えるものには怒鳴り散らして悪口三昧よ。人々は大喜びした。なぜなんや、これまで仲良くやって来たんと違うのか?と思ったことだろうね。私はまだ家柄という自意識があるけど、その時には議員だったからね、他の風力被害者は泣いて苦しんでいたで。電話で苦しさを聞く。受話器を置いたらまた電話がかかってくる。その繰り返しを何度もした。私にどうしろと言うのか。

次々と被害者が死んでいく。自分も苦しくてならない。被害感のない人でも、癌や脳梗塞で死んでいく。なんかヘンだ。怖さが身に浸みる。なぜ人々は笑って喜んでいるのか、とな。普通に考えてみたら、風力発電の低周波音の被害は明らかだ。だからどの国でも人々はこんなにも烈しく抵抗する。抗議デモを繰り広げる。日本人に、なぜそれができないのか。ビックリしているんだよ。

日本ではナント、「土砂崩れが心配です」とやっている。人が苦しんでいるのに、我々は土砂崩れだ、と言うのだ。その言い方が悪意を滲ませた敵意丸出しでな、何やコイツラハ、と思ったさ。真面目に風力反対やっているのかと思ったら、私をアホにして大喜びやった。こんなのばっかしよ。学者を呼んできて騒ぎ立てる手法も相変わらずでな、誰にも分からないグラフや数式を見せて、【心配いりません】とか言っている。

主催者は風力の工作員だからグルグルのキャンペーンになっている。全国どこでも同じ状態だ。風車病、低周波被害を訴えているのは私一人になっている。いや、彼らは殺人罪の手先として、被害者弾圧を請け負っているだけ。何がサステナブルだよ。恐ろしい地域対策を繰り返しているのだ。それにしても被害者の狂いようよな。同じ人間として哀れに思わんか。なんで笑いものにして喜んでいるのか。それが悲しいね。

日本だけの弾圧政策なんやで。人の苦しみが面白い。人の不幸ほど楽しめるものはない。谷口愛子さんは小便を掛けられたり、車のタイヤをパンクされたと言う。こんなことを繰り返してよいのかい。警察の弾圧が恐ろしいのかい。160年前の幕末のようやで。日本人の転落を見ている。這い上がってくる人はいない。ロボット化。家畜化が進む。このまま日本社会は崩壊するんだろうか。

新しい人よ、風力発電の被害が見せた日本の危機を感じないか。日本だけ、「Stop wind turbines」(風力発電を止めろ)の言葉がない。「考える」だけなんか。違うだろ。心理トリックなんやで。目に見えない侵略なんやで。自由に操作できる自動人形として、