s56年のことだったか、大西先生の「都市計画論」の講義を半年聞いたと思います。40年前のことですから、都市計画と言えば、大阪の万博、千里ニュータウンの成功を見ていました。何もない竹藪の野原に、道路や鉄道、集合住宅を作る。土木屋にとっては夢のような時代でした。私が就職したときでさえ、東京の田園都市線の周りはイノシシが走り回る丘陵が広がっていた。
たまプラーザの近くの荏田駅近くの宅地の値段が、坪20万円ほどでした。私でも買える手ごろな土地がたくさんあった。バブルが始まっていたので、土地ころがしして、大金を手にした人もいたと思う。由良守應も、東京で土地を購入して儲けていたからね。地籍図にあるように、守應の宅地は四千二百九十壱坪とある。少し離れた木戸孝允の屋敷が、二千二十四坪である。
政治に繋がると、とんでもない大儲けができるのだ。昔も今も変わらない。そんな匂いを大西先生からも嗅いでいたのかもしれない。∫∫∫dxdydz、そんな訳の分からない数式を黒板に書いては、君たち、分かんないだろう? と笑っていたことを覚えている。私の成績は60点であった。何に対する評価だったのか、いまだに分からない。
あれから40年近くして、再びこの人の顔を見るのは、土木学会誌に風力発電のゾーニング論を書いていた。ここは風力発電地帯だと縄張りして決めるのだ、とアメリカの西部劇丸出しの発想だった。彼の時代はジョンウェインなど、西部劇全盛の時代だったからね。私も子供の頃、叔父に西部劇の映画に連れて行ってもらった。テレビはまだ稚拙な内容だったのだ。
彼は御用学者だから、風力被害に苦しむ人がいることなど何のかけらも知らないだろう。受け付けない。関心のあるのはご出世だけ。見事な出世人生だと思う。長岡技大は、生研の傘下だから、誰も私の風力被害の話は聞いてはくれなかった。昔、優秀だと思っていた人たちの卑屈な学究生活を見て、なんという勘違いをしていたのかと自信を取り戻したよ。私はこれでも劣等感に苛まれてきたのだ。
正直言うと、それまでは、分からない技術的な問題は、長岡技大の先生に教えてもらってきた。(河川の流量計算で、二次方程式が尖塔化すると、流水は常流から射流に遷移するか? とか) それはそれで有り難いことだと思っている。しかし、こと風力発電の低周波被害に関しては、全く受け付けてはもらえなかった。
最新式の機材を揃えながら、ホームページにもこれ見よがしに自慢してアップしながら、低周波測定器を使って、風力発電の低周波を測定してはいけないのだった。水俣病の時と同じだ。今は、福島県や、青森県でも測ってはいけないらしい。こちらは放射能だけど。宮仕えも大変だ、と思うけれど、彼らは喜んで奴隷になっている。なんせ組織から権限やら権力、地位を与えられて、上級国民として笑って暮らせるからね。
ただ、最近の大西隆さんを見ていると、なかなかやるじゃないか。こういう危機の時こそ、その人の価値が分かるってもんだ、と妙に感心している。高揚感溢れる発言に、彼とは縁がなかったことに、私との違いを思い知る。都市計画という分野は、不動産業とは思いながら、つかみどころのない闇が付きまとう。この記事を、言葉通りに受け取る人は少ないんと違うか。
これ以上、被害を及ぼさないようにと願っている。