国防婦人会という記憶

私の祖母は、軍港の由良港で国防婦人会の会長さんでした。菊水紋のお嬢だったからね。たくさんの兵隊さんが我家に「慰問」という形で食事に来たと聞いています。その時のお椀やお皿、箸などがどっさり残されていました。「スパイに注意」というチラシや冊子もあって、アメリカのグラマンが来た時には100人ほどの人が亡くなったそうです。

大きな穴を掘って埋めたとか、薦で包んで積み上げたとか、悲惨な光景を聞かされたものです。その場所には今「平和の塔」が建っている。人の善意を利用する。ふと、そんな気配を感じました。祖母は多くを語らなかった。「お上には逆らったらあかんよ」というぐらいか。

風力発電の被害でも、もとは自然の風を利用して環境にやさしいエネルギーを利用しましょう、という理想があったと思います。それがどうだろう。たくさんの被害者が苦しみながら死んでいく。それを見て笑いものにする。何がおかしいのか私には分からない。人は簡単に洗脳されるし、悲惨な光景にも知らん顔できる。

国防婦人会は1000万人もの参加があったという。あの戦争に協力することになったという。最初は小さな善意から始めたことなのにね。自然エネルギーの風力も同じことの繰り返しか。