因果応報と、因果関係がない、と。

「風力はワシらのもんや、オマエラ関係ない」と住民が言っている。低周波音の被害に苦しむ被害者がいることを話しても通じない。「それくらい辛抱したらいいんや」とバカにして笑う。これが被害地の現実だ。h23年12月に、風力発電の麓に住む人たちに話を聞きに回っていた。h20年に16基、h23年に5基、合わせて21基の風力発電が北側の山々に林立した。南側の山々にもすぐに建設される予定だったんだよ。

これは私だけの力ではない。私の知らない別な勢力が「待った」を掛けたんだろう。南側の日高町では、強引に風力発電を推進する町長がいた。身近に睨み合ったことがある。このクソ野郎、と思ったさ。その後の住民投票で、日高町の風力は休止となる。私の祖母も曾祖母も日高町の出身でね、叔母や大叔母がいる。地域の信仰寺院とか、わりと話しやすい道順があった。せっせと宣伝しましたよ。由良町ではどんな酷いことになっているかもな。

最近、日高町の従妹たちに話を聞いてみると、「全然知らなかった」などと言っていた。地域で生きていくための知恵なんだろうかね。50年前は原発計画であれほど賑わったんだけどな。教訓、反省の言葉も残されてはいなかった。米が安い。野菜も豆も、何を作っても生活が厳しい。産業がないからね。今、御坊市には大量の中国人労働者が働いているという。20歳前後の若者ばかりで、集団で歩いているからすぐに分かる。彼らにとっては外国だからね。

日本の風景やショッピングが楽しいんだろう。日本人の若者にも、何か夢とか希望を持たせてやればよいものを、とふと思う。給付金の10万円で何ができるんだろうか。時間をかけて成長していく仕掛けが必要なのにな。私の場合は、近くの和歌山高専で、たまたま卒業時に原発計画があった。それよりも東京で活躍したいと思ったのさ。由良守應の昔話を聞いて育ったからね。もし東京での生活がなかったら今の私はない。

これも運命だと考える。使命感、思いを込めているつもりだ。先日、香港から昔の客が来てくれた。これで三度目の再会だ。香港にも是非遊びに来てくれといわれている。香港の事情を聴いていて、どこも大変な状態になっているらしい。もちろん私の反風力、反政府運動を知っている。大きな力に、拒否、嫌悪、対決意志を聞いていた。だから我家の蜜柑畑にまで来てくれたんやね。八朔はルーツが中国の南の地域だと説明した。

それがヨーロッパに伝わってシトラス、オレンジになったことも。今の中国で「柑橘」が美味しいとはあまり聞かない。フルーツは食べないんだと言っていた。昔とは人種が入れ替わっているのかもしれないね。日本でも縄文人、弥生人、現代人と、変化しているからね。天孫降臨なんて、大陸のどこかから来たんでしょ。同じ漢字文字を使っていても、これだけ民族性が違うからね。それを面白がって話題にして笑っている。

華僑の彼らには世界中にネットワークがある。これが彼らの強みだ。日本人にはそれがない。日本の弱みを見る。やはり私は日本人だ、と自覚したよ。日本では、オマエは日本人か、とよく言われる。由良町の様な田舎町では、私が英語をしゃべると大変な事件になる。嫌悪の的だ。人々には裏切りか何か、許せない暴挙に映る。彼らの香港語が、なぜか優しく聞こえる。幸せに暮らしているのだ。私は仕事ばかりで、どうも家庭とか家族のことは置き去りにしていた。

一人、生きていくので精いっぱいだったからね。風力発電の有害な低周波音でやられてきた。人々の弾圧もすごかった。それを理由にするつもりもないけど、いろんな人との交流を受け流してきたようだ。反省の至りよ。これまで風力被害で死んだ人たちのことを書いてきた。義務感とか、誰かが、とか、使命を感じていたんだろうね。結局、全国の自称・風力〇〇を見て分かる通り、国策の闇にかき消されている現状でしかない。

日本だけ、「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)の言葉かない。日本人のどうしようもない冷淡、残酷を見る。水俣や福島の被害者と同じ事だ。蔑視、嫌悪、差別心、ジョニーデップが映画にして残したかったはずだよ。日本人にはその異常、狂気が分からない。「アホよら」と言って笑う。実は恐ろしい日本人独特な悪意が丸見えとなる。田舎では昔から分かっている悪党だけでなく、何とか維持していた道徳・倫理さえも破壊されていた。

これが風力発電の被害だ。香港人たちにもそれが見えるんやで。1945年、敗戦と共に彼らが何を見たのか、有名な風景やないか。日本人よ、人間としての意識を持とうぜい。自動人形じゃない。家畜にされて殺されるだけか。私が異端なのか。