低周波被害者の諸君へ

「風力発電反対」と検索すると下記のような結果が出る。理由が、また面白い。風力被害者だけじゃなく、一般の重機や工場の低周波被害者でも、この現実がいかにオゾマシイ有様になっているか分かると思う。エネファームや、コンビニの空調機で被害を訴える人がいる。大体はアホにされて無視される。その真摯な聞き役として低周波被害者の会、つまり汐見文隆医師や窪田泰氏がいたわけだ。この二人が引退すると、一瞬で被害者の会は吹き飛んだ。

低周波被害は頭をやられるからね。会の運営など、人様の被害感など構ってはいられない。そんな悠長な公害じゃない。日常の生活が、人生が破壊されるのだ。それほどの苦しみを味わい尽くす。風力発電の低周波被害と、一般の低周波被害と、どう違うのか、何度も議論を重ねてきた。社会的な弾圧、殺人的な虐待、由良町の風力被害を見れば、その違いがよく分かる。あるいは、仕組まれた低周波音の被害に、人々が狂い踊り出す場面もな。

どこにでも環境問題に意識が高い人がいる。とくに由良町周辺では、原発計画が三か所もあって、s50年頃だったか、エラク賑やかにやっていた。今から思うと、関係者に話を聞くと、とても素朴な反対運動を展開していた。正義感、郷土愛、暮らしを守るんだ、と必死になって戦う人がいた。その反面、私は高専の土木科だったから、すぐにエライサンに成れるんやで、と地域対策の波に乗っていたものよ。結果は、原発は建設されなかった。

ホントに良かったと思っている。政治は役に立たなかった。反対運動を戦い抜いた竹中貞子教諭と喜び合ったものよ。地域運動の原点を見たと思っている。しかしな、その時の、原発反対の闘士たちかが、なぜか風力反対とはならなかった。日高町の原発反対の後裔が、たまたま風力反対を取りまとめた。それも後が続かない。目の前の海岸1㎞に、風力発電が林立するというのに反対の声がない。それらの洋上風力は由良港にまで連続する。

まったく誰も反対しないからね。見事なもんさ。ちょうどその時、拉致問題があった。s57年、私は新潟の長岡市にいて、拉致被害があることを聞いていた。和歌山にも同じ被害らしい行方不明者がいた。無数の、たくさんの看板が海岸に建てられていたものさ。「不審者に注意」とかね。1ケ、1万円の看板として、1000ケ立てれば1千万円の予算になる。それほど緊迫していたのに、今は誰も覚えている人はいない。行方不明者は帰ってくることはない。

可哀そうにな。誰も関心も何もないんやで。家族の者でさえな。s4年生まれの親父が、それらの原発闘士と仲が良かった。親類の人たちは違っていたけど、落ち着くところに落ち着いたと思っている。時代と共に人々の意識が希薄になっていく。戦争の事も、公害の事もな。昔は四季折々の行事があって、人々は生活に「ゆとり」があったやないか。貧しいとか、金持ちとか、社会的な地位とか関係なく、人々の触れ合いがあった。

それがないと寺の会式は成り立たない。いつしか近所の古刹、開山興国寺も留守番の一人だけになっている。需要がない。寺に遊びに来る子供の姿がない。日本人の意識が変わったのだ。興国寺専門学校といって、昔はたくさんの雲水が修行していた。今は坊さんになる人がいないんだって。行事ごとの時、茶飯や漬物が美味しかったんやで。お茶会もよく開かれていた。雅な、文化の香りがしたものさ。対話の場、フォーラムがお寺や神社だった。

宗教心もあったかな。神さんや仏さんの世界よ。今とは違うでしょ。役場が、政治が、人々の暮らしや生活を規制する。全体主義、恐怖社会やないか。60年前と、今と、人々の幸せ感を見比べるがよい。40年まえでもよい。随分と、心が貧しくなっていると実感する。我利我利亡者ばかりよ。このホームページでは、風力発電の被害について、様々な問題点を指摘してきた。すべて人災、悪政、人の悪意でしかないことに結論している。

ヨーロッパやアメリカの風力反対を見ろ。日本の、なんとバカらしい有様よ。よくもこんなにも狂ったな、と思わないか。太平洋戦争の末期とよく似ているで。ウソばっかりよ。ダメなものは、ダメだと言おうぜい。人間主義。自然エネルギーや土砂崩れじゃない。風力の弾圧政策に反対しようやないか。低周波被害で耳鳴りがして苦しいんだよ。風車を撤去してくれ。