二人の名誉教授に問題を問いました。

私からのメールです。

先日は、風力発電の低周波を暴露することによって、人の心理に何らかの影響を与えています。というメールを致しました。

もう一つ、風力発電は、回っていなくても低周波音を発している。という問題です。
クーパーの論文のように、回り始めた時、回転数が変わった時、被害者たちは余計に苦痛を感じた。という調査報告があります。

それは生身の人間ですから、生体反応をしていることでしょう。
そうではなくて、風車は、止まっていても、有害な低周波を発している。これはO先生とも何度も話したことでした。

実際に、風力発電のないところでは、あるいは影響のないところでは、0~1Hzの音圧は、2、3、4、5Hz ~ と、同じような波形です。
ところが、風力発電の影響のあるところ、あるいは風力発電の周辺地域では、0、0.1、0.2Hz辺りの音圧は、急激な高さを示しています。

O先生の弁によると、補正の必要があって、15dbほど、まだ高くなるはずだ、というのです。
風力発電は、止まっていても、嫌な低周波音を感じます。夏場、ほとんど動かない時でも、私は辛い時間を過ごしています。

谷口さんもそう証言していますし、他の被害者も、同様でした。
こんなところにも、風力発電の低周波被害の秘密が隠されているはずです。しかし、誰もそのメカニズムを研究しない。触れてはならない鬼門、タブーとしています。

私の卒業した長岡技大の先生たちに相談しましたが、それはすごい反発をもらいました。けんもほろろ、取り付く島もありませんでした。
また、和歌山高専も卒業しましたので、昔、教えてもらった先生などに連絡しましたがまるでダメです。

環境の先生など、ひどいものでした。「風力発電の被害」に書いたとおりです。
私ですら、こうなのです。一般の被害者たちは、それはもう人として扱ってはもらえないことでしょう。逃げ出した被害者は幸せなのか。

苦しみながら死んだ被害者はアホなのか。心理的にも心を壊されて、ヘンになってしまった人を多く見ました。
それを環境運動家たちはまた、取り囲んでアホにするのです。なにかマニュアルとか、指示があるのかもしれません。

私の排除だけは徹底しています。それは、ドイツのARD放送の中身を見れば、その理由が分るものです。
風力発電に関わる得体のしれない悪意、イデオロギーを感じます。

日本は、ドイツや北欧と違って、宗教戦争も、侵略戦争もありません。その分、ごく少数の差別者を作って、苛めて喜ぶのかもしれません。

由良守應でさえ二百叩きの刑罰と追放処分でした。本当はそれで、大阪の淀川あたりで非人として終わっても不思議ではなかった。
しかし彼はそうはならなかった。

たまたま私には、そのような昔話があったので、ここまで来たのかもしれません。彼には明治維新という歴史の転換があった。

K先生からの返事です。

この問題については私も注目しています。あなたもそういうし、Cooperのレポートにも同様の記述があったし,なにか根拠がありそうです。
ひとつは、風車から出る超低周波音はブレードと自由振動に関係があり、仮に停止時でも、何らかの刺激によって、その自由振動が励起されてるいる可能性が考えられます。

出発点は、常に被害者の言い分にあり、そこから出発するのが真の科学ですよ。
風車は止まっていても苦しい

OO先生からの答えです。
真実を重視するお答えがありがたい。

メールありがとうございました。私は話を単純化してみました。間違いでなければ,その方が一般の人に受け入れやすいからです。

1.私ごとで恐縮ですが,私は20年ほど前に仕事でドロップハンマーをつかい,そのガンガンという音で,いまだに耳鳴りに悩んでいます。
こういう,耳に物理的障害を与える大きい音と,風力発電のように,生理的なストレスを与える音は区別されるべきだと思います(言わずもがなですが)。

2.被害を受ける人は,原因となる音を音として認識するかはともかくとして(注),音を体に受ければ,直接ストレスを感じ,それが障害となる。
(注)大きいストレスを受けた人は,「音として認識しましたか?」と聞かれても,はっきり返事できないのではないかと思います。
逆に大きいストレスを受けない人は,音とストレスを別々に認識できるのかも知れません。私のような鈍感な人間はどちらも認識できません。

3.したがって,風車タービンその他による障害を,「音として聴覚する」という枠組みでしか考えないことは,問題の本質を直視しないことになります
(うっかりにせよ,意図的にせよ)。

由良さんが紹介して下さった「低周波音被害実験映像」は,そのような意味で,一般人に受け入れやすい形で,かつ説得力があると思いました。

多くの人に見てもらうよう,努力したいと思います。これを見た人は,脇道にそれることなく,容易に次のステップに登れると思います。