かつて「地球市民です」という政治家が多くいた。拉致被害があるのに、不法占拠や恫喝されても、何も言わない、何もしないことが政治や行政の判断だった。今もそうだけどさ。いつの間にか日本も住みにくい国になった。アラスカなんかに行くと日本人がたくさん住んでいるという。
彼らは日本に住んでいられないのだ。私には彼らの気持ちが分かる気がする。別にアラスカの自然がいいわけじゃない。日本で生活している私なんかは、まだ頑張っているんだろうなと感じている。そんな話を風力被害者の谷口さんと話したことがあった。
カルロスゴーンの逃亡劇は、日本社会のアホらしさを蹴っ飛ばしてくれた。息苦しさに耐えられなかったのだろう。内心、笑えた人もいるやろ、と思っている。しかしこの記事はあまりに厳しい現実を見せてくれる。グローバル社会と言っても、地球市民と言っても、この程度のことだったのだ。
私の住む和歌山は、移民した人の多い地域なので、他人事とは思いにくい。彼はやり過ぎたのだ。出過ぎたのだ。日本の歴史には、このような役柄の人物がいたと思う。そう思えば生きて逃げられただけよかったじゃないか。私も今、二つも起訴されて追い詰められている。風力発電の低周波被害を訴える、
これがなぜ悪い事なのか私には分からない。スラップ訴訟に国策の圧力がある。日本から逃げ出す日本人たち。日本にやってくる新しい移民の人々。日本という国が溶けていく。国際的なインテリジェンスだと感じている。情報を遮断して、耳障りのよいプロパガンダを繰り返す。いつか来た道よ。