産経記事には原発と再エネ推進の本音が剥き出しにして書かれている。「二酸化炭素CO₂を排出しない再生可能エネルギー」と堂々と書くからね。こんな提灯記事も、まぁないし、それに媚びを売る人々が日本人の姿かと思うと、うんざりとするのだよ。試しに「自然エネルギー、嘘」と検索してみると下記のサイトがある。
自然エネルギーが自然にやさしいという嘘 1
自然エネルギーが自然にやさしいという嘘 2
自然エネルギーとhttps://president.jp/articles/-/25265言いながら、それは幻想でしかないことが書かれている。錯覚なのだと。以前、谷口さんら被害者は、由良町の風力発電のことを「私たちはデモンストレーションの風力発電に殺されるんや」と言って泣いていた。同じことを山田征さんやジャーナリストたちも指摘してくれていた。あれは電気で回している。見れば分かるのさ。環境省も経産省も、まるでカルトのように、幻想を振りまいている。
政府には頭の良い人もいることだと思うけれど、誰も再エネ政策に反対する人はいない。人が被害を受けて死んでいるのに知らん顔だよ。先日の風力裁判でも、それが明らかになった。私は、ある程度の義務感から、義理もあって、抗議したつもりであった。彼らは笑っていたのだ。h23年の12月から、私は、何がおかしいのか、と不思議な気持ちを抱き続けてきた。人が苦しんでいるのに、それを笑いものにするのだ。
そして被害者も、苦しみながら「私たちは風力発電には反対ではありません」と主張するようになる。低周波被害を訴える汐見文隆医師をボロクソに言って追放して、行政の地域対策に埋もれて消されていった。私も地域からは総スカンで排除されていた。h19年の伊豆や伊方の風力被害に始まり、今も全国で風力発電の被害が繰り返されている。抗議しているのは私一人になっている。
「考える会」というのは、本当に皮肉な被害者対策だった。海外では、あれだけ各国で抗議運動が勃発しているのに、日本には一つもないんだからさ。その情報を伝えても、誰も聞く耳持たないのだ。由良町で起こった惨劇は、あまりに酷いので、私はどうしても本にして書かなければならないと思って書いた。由良町では、たぶん誰も読まなかっただろう。みかん畑にボロボロになって捨てられていたものよ。
あの水俣市でも、今も被害者を差別する人たちがいるという。由良町と同じ風土があるらしい。何が人をそこまで残酷にするのか。社会の意味がないではないか、と私は驚いている。逆に考えれば、これはモラルを取り戻すチャンスになるのか、とも思ったけれど、トテモトテモ。悪意の嵐にあう羽目になったよ。誰一人として被害者を心配する人もなければ、その人が死んで笑って喜んだのだ。
これがサステナブルの正体さ。「持続可能な開発」なんてアヘンよ。麻薬だよ。これは幻想だと気が付いてくれ。日本社会は今、大変なパラメーターに襲われている。狂わされていることを知ってほしいのだ。