たくさんの被害者が、被害の苦しみを訴えたのだよ。
先日から何人かの知人が来て、「もう風力のことは止めなよ」と心配そうに話しました。それぞれに長い付き合いなので、聞かされてきた世間話を教えてくれました。私を非難する言葉に興奮して、まるで風力被害者のような激しい話し方でした。笑ってはいけない。友達とはそういうものよ。
- 「被害届が一つもないのに被害者がいると何度も繰り返している」
- 「誰も被害があると言っていないのに、一人だけ大げさに問題だと言っている」
- 「風力で人が死んだと言っている。ウソばっかり。誰も死んでいない」
- 「普通の病気で死んだ人を風力で死んだと言っている」
- 「由良さんは風力のことでウソばかりを言うので選挙に落ちた」
これまでにも散々な悪態をつかれてきたので今更めずらしくもない。風力発電の被害を否定する言葉は、役場、議員、環境運動家、地域の人々、まるで判を押したように同じフレーズを何回もあちこちで聞かされてきた。
例えば、最初の頃、h24年ごろ、「低周波はエアコンやテレビからも出ている。風力とどう区別するのか。何が悪いか分からんやろ」と。日に4度も聞かされたことがあったものよ。
- 被害届については、彼らは何度も役場に風力被害を訴えた。2018.1/20日、1/22日のページに、畑地区の事後説明会の時の抗議する様子をアップしています。H23年の当初から、役場は受け付けなかった。御坊保健所も受け付けなかった。
私も彼らに頼まれて何度も役場に訴えた。しかし定例議会などでその役場職員たちは「被害のことは一度も聞いていません」とウソの答弁を繰り返した。
私たちは、こんな不実な職員を糾弾して、罪を償ってもらわなければなりません。少なくとも、退職金の返還。被害者への謝罪は必要です。
『風車の下で』のDVDビデオでも、被害者が役場に訴えたことの証言が語られている。ぜひ見てください。私も出ています。
- 誰も被害があると言っていない? 2019.2/7日のページに、被害者たちが集められて「被害のことはさておいて過激な反対をしないように」という地域対策が行われています。
被害者が風力被害のひどさを投稿した記事を添付します。これまで何度か紹介したものです。是非読んでみてください。私にはどうしてもウソだとは思えません。
また私も6人ほどの被害者から、風力被害を何とかしてくれと依頼されました。『風力発電の被害』に書いた通りです。
- 風力発電の低周波被害に苦しみながら被害者たちは亡くなりました。ほとんどの被害者は末期、同じ行動をとって体力を消耗して亡くなりました。
夜、部屋にいられないので枕をもって、部屋から部屋へと渡り歩く。睡眠不足と過労がたたって、ガンが悪化していく。
家にいられないので表の軽トラで体を休める。眠るのではない。朝までじっと時間を待つ。冬の寒さはさぞや苦しかったと思う。家の周りを散歩したり、国道沿いを門前地区の方まで歩いてみたり、ドライブして海岸で本を見ていたり、朝までの時間を過ごす。
朝方の温度差は、低周波空気振動の卓越した被害成分が純音として伝播して被害を引き起こす。朝方は、静かな環境になるので、暗騒音、バックグラウンドノイズがないから被害成分が響き渡るのだ。
医者からもらった安定剤と睡眠薬を飲み続けるのでボウッとなって薬漬けになっている。汐見先生は「キサマに医師の資格はない。医者なんか辞めてしまえ」と怒った。その話を聞いて、医者を代えようと思っていると話した。心配そうに被害の症状を聞いてくれるけれど、どうもおかしい、と感じていたという。
- 2/7日のページにアップした録音でも、被害者は、亡くなった被害者たちの個人名を上げて被害を訴えている。それぞれ病気が違うので、風力発電の低周波が原因で亡くなったとは証明が難しい。しかし前項③で書いたように、彼らは薬漬けになり、部屋にいられないので夜から朝まで耳鳴りや頭痛、振動や騒音に悩まされながらストレスをためて免疫、抵抗力が低下していった。心筋梗塞、脳溢血など突然死が多かったように思います。
そしてなによりも風力被害を隠ぺいするための地域対策、圧力が加えられました。何重にも取り囲まれて苛め抜かれた。「あなただけだよ。そんなこと言うのは」と。
彼らが「私たちは風力発電には反対ではありません」と言うまでには相当なトリックが行われたと思います。私が訪ねていくと「出ていけっ」と泣き叫んだ人が4人ほどいました。
- 私は風力発電の被害のことでウソは言っていないつもりです。被害者たちから依頼されたので、常に彼らのことを気にしていました。地域対策の凄さを見ながら、腹を立てながらも力を抜くことができませんでした。H24年には、彼らは私を拒否して追放しますが、その割には最後まで電話してきて愚痴話を聞かされてきました。
私のホームページを初めから見ていただければと思います。汐見文隆医師や小林芳正先生、ジャーナリストなど、たくさんの人のお世話になりました。『風力発電の被害』に書いた通り、すべて本当に起こったことを書きました。
選挙に落ちたのは主に風力被害に関わったからだと考えています。汐見先生や窪田さんは全国各地の被害地から依頼されながら、拒絶されて追放されました。
被害者が、汐見先生に依頼しながら「大変な迷惑をした」と言って怒って拒否しているのです。先生に同行した黒田さんも「驚いた」と証言しています(2014.2/5日のページの動画)。
私も同じ拒否される体験を何度も繰り返しました。風力被害を訴えることが、地域の人々からどれほど嫌われて拒否されているのかも十分に分かっていました。
ヨーロッパやアメリカでは、当たり前のように風力被害に地域住民が抗議デモをしているのに、日本ではなぜそれが一つもないのか、それが不思議でした。
「由良さん、ここは日本ですよ。なぜ外国のことばかりを言うんですか」といった役場職員がいました。
といっても選挙は私の人望次第だと思っています。ですから不徳の致すところ、としか言いようがない。
しかしあの時、h23年からh24年にかけて、地域対策で風力被害者たちがまるで態度を変えていく中で、私はどちらを選択しただろう。
もちろん風力発電の低周波被害を訴える以外には考えも及ばないことでした。弓は放たれた。長岡技大に入学した時に初めて司馬遷の『史記』の講義で行動哲学とかいうものがあることを知りました。
私に向かって、泣いて被害の苦しみを訴える人たちがいる。次々にその人たちが死んでいく。どうして知らん顔が出来ましょう。
議員職なんてのは、その事件の前では、使ってもらったらよい。もともと私のものではない。そう割り切っていました。何人かの人が心配して、選挙のこともあるから風力のことはもう止めとけ、と注意してくれました。私は聞く耳持たなかった。当然の結果だと思っています。
負けに不思議の負けなし。
では他の議員さんはどうかと言うと、被害者たちから助けを求められながら、「被害はない」「被害など聞いたこともない」と言い続けています。被害者が亡くなると手を叩いて笑ったのです。とても私にはできることではありませんでした。私に、選択の余地はなかった。
私はタダの百姓としてミカンと米を作って生活しています。議員ではないので束縛もなく、愛想を振りまく必要もない。なんで今頃、私の悪口が巷で流行っているのかその理由が分からない。
いや、これから和歌山県の各地で風力発電が建設されるというのに、「低周波被害がある」ことを認めるわけにはいかないのだろう。被害のない事を執拗に言いふらして回っていることに「ご苦労さん」と感じている。彼らは「悪い」ということが分からないのだ。
汐見先生の本を見せようが、あのちゃんマンガを見ようが、被害者の記事を見ようが、全く被害のあることを受け付けない。全国の被害地で同じ活動をしているから話し言葉が実にこなれている。噺家さん顔負けよ。私もコンサルタントをしていたので彼らの話し方には感心するほかない。プロフェッショナルといっておこう。
心理操作に関心のある方は、私の悪口を吹聴している人や、風力被害を否定している人の何気ない言葉のやり取りに気を付けてみてもらいたい。教科書通りの見事な説明会になっていることに感心するはずだ。
由良町では、目の前に21基の巨大な風力発電が回っていて、被害に苦しむ人がいることは誰でも知っている。それでも「私たちは風力発電には反対ではありません」「もうその話は聞きたくない」といって私を拒否しました。私の60票の人は義理だったのか、反骨だったのか、今も分からない。あれ以来、この話題はすっかり聞かなくなった。
御坊市周辺では、新たな風力発電計画に、もういがみ合いするようなことはしたくないと言っている。私が由良町で総スカンを食った事実がどのように展開されるのか、社会実験として見ものではないか。
全国で風力発電の低周波被害を訴えているのは、なんと私だけになってしまった。なんで自称被害者たちは、ご自分の低周波被害を声に出して抗議しないんだろう。黙っていたら何か良いことがあるのか、そもそも被害があるというのは嘘だったのか、人としての信頼をなくしていることに気が付いてほしい。
風力発電の被害とは、社会の崩壊、人間性の破壊であったことが分かるだろう。低周波被害を否定して、被害者を黙らせて、何のために風力発電を建設するのか、もう分ってもよい頃ではないか。
私は世間知らずで今日まで生きてきたけれど、人でなしの素顔がなんなのか、見たくないものを見てしまったと後悔しているところです。